【四国遍路38日目(後編)】
(38日目前編よりつづく)金泉寺を過ぎて4~5人の歩き遍路とすれ違う。今朝、霊山寺を発ったひと達だ。そのうちのひとりから「逆打ち?それとも戻り?」と聞かれる。「戻るところです」応えると、「何日かかりました?」、「今日で38日です」、「早いですね」と続く。08:55第1番霊山寺に到着。お参りを終えて納経所へ行く。昨年2月「徒歩巡礼者名簿」に名前を記したことを伝え、その時期の名簿を出してきてもらう。納経帳に満願の記帳、丁寧な墨書朱印「おめでとうございます」と返してくれる。座って名簿を見ていると、お茶を出してくれる。出発日のページには、大阪勤務のときの住所と年齢。この1年3ヶ月の間に、転勤による引っ越しで住所が東京に変わり、2度の誕生日を経ている。渡された赤ボールペンで今日の日付を入れる。同じページで赤い満願日の記入があるのは3分の1くらいだろうか。結願や満願の記帳を受けるより、この名簿への記入のほうが遍路旅の完結を感ずる。発車時刻の30分前、高速バス鳴門西停留所に着く。荷物整理してから、溝渕工業の休憩所でもらった甘夏を食べる。おじさんが言ったとおり甘味も酸味も濃く、絶品。もうひとつもらっておけばよかった。バスは定刻より少し遅れて、10:26発車。車内で少し眠る。12:25JR難波駅着。下車した乗客のなかに遍路らしき男性がいたので、「これから高野山ですか?」声を掛けてみる。思ったとおり高野山へ向かうところ。一緒に行くことにして、とりあえずカレー屋で昼食。13:00発の南海電車に乗る。男性は大阪出身の60代で失業中、各地をぶらぶら旅しているとのこと。四国でも主に交通機関を利用しての遍路だったそうだ。14:29極楽橋駅着。ケーブルカーとバスを乗り継ぎ、金剛峰寺で別格納経帳に墨書朱印を受ける。金剛峰寺に用のない大阪の男性遍路とは別れる。 「一の橋」から「奥の院」参道を歩く。杉の巨木と無数の墓所が続く様は、さながら俗世から聖域に入ってゆくための舞台装置のよう。だんだん厳かな気持ちになる。弘法大師御廟で最後の般若心経、無事に四国を歩き通せたことに感謝する。墨書朱印を受け、戦国武将の墓所に立ち寄りながら参道を戻る。再びバス・ケーブルカー・南海電車を乗り継ぎ、橋本駅でJR和歌山線に乗換え、18:58五条駅。夜行高速バスの発車まで2時間以上ある。ファミリーレストランで時間潰し。奈良交通「やまと号」は21:05五條バスセンターを発車、2階建バスの最前列だが夜行では仕方ない。翌朝05:42新宿駅西口着。JR中央線・総武線を乗り継ぎ、06:40自宅に帰り着く。土柱パラダイス→第1番霊山寺:31.0km(第1番霊山寺より1311.9km)