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カテゴリ:探訪
![]() 大雄宝殿正面の回廊を斎堂側に引き返し、法堂への回廊を進みます。 ![]() ![]() 回廊から眺めた「法堂(はっとう)」です。 ![]() 回廊の突き当たりは石段の先に板戸が見えます。 ![]() 大雄宝殿の東側から眺めると回廊の先、南側に入母屋造・柿葺きの「東方丈」の屋根が見えます。 ![]() ![]() 柱に「東方丈」(重文)の木札が掛けられ、案内額も掲示されています。 東方丈は「中央に寿像がある。1日、15日の一山の朝礼その他の式礼は住職が就いて取り行われます。襖や壁は池大雅の五百羅漢図、虎渓三笑の図、西湖の図、全部重要文化財ですが、現在は京都博物館に出陳されています。その他額や聯は開山禅師、木庵禅師筆で重要文化財です。この奥に住職の居住する甘露堂があります。」(案内文転記) 板戸の左右の柱には、聯が掛けてあります。 右側には「甘露中門開八字」、左側には「十方龍象任登来」と記されています。 ![]() 右側に目を転じると、ここにも東方丈への入口があり、小ぶりな鐘が吊されています。 この鐘も何か特定の合図として叩かれるのでしょう。 ![]() ![]() 左折してまず目に止まるのが、白壁に設けられた円窓。 大雄宝殿の円窓との違いは、大きめの格子の円窓になっている点です。 ![]() ![]() 円窓を斜めから眺めると、「方丈」と記された扁額が部分的に垣間見えます。 ![]() 法堂正面の回廊を北方向に眺めた景色 ![]() 法堂正面の北側から南方向を眺めた景色 ![]() 大雄宝殿の東側から正面に法堂を眺めた景色です。 ![]() 法堂側から眺めた大雄宝殿の東面です。 ![]() 法堂は入母屋造、桟瓦葺きで、寬文2年(1662年)に建立されました。 法堂は禅寺の主要伽藍の一つで、説法を行う場所です。法堂の内部は見られません。 内部には須弥壇のみ置かれているとか。(資料1) 「中央の高いところを須弥坦といい住職がこの坦上に登って説法し衆僧は問答(商量)によって所信をみがくところ」(案内文転記) 坦は壇と同義でしょう。 参照の小冊子(資料1)に「上堂」という語句が使われています。意味がつかめず調べてみたら、住持などが須弥壇に上り説法することだそうです。(資料2) 法堂は住持の晋山式にも使われます。(資料1) ![]() ![]() 法堂の正面の勾欄は卍くずしの文様が使われています。 この文様は、奈良時代の法隆寺など南都寺院に使われていますが、江戸時代初期にあらためて黄檗を通じてもたらされたとか。(資料1) ![]() 正面に「獅子吼」の扁額が掲げてあります。隠元禅師の師匠である徑山(きんざん)費隠禅師の書によるもの。(案内額、資料1) 獅子吼とは、釈尊の説法を、百獣の王である獅子が一度咆哮すれば百獣すべてがこれに従うということにたとえた言葉です。(資料1) ![]() ![]() 左右の柱には第6代千呆禅師筆による聯が掛けあります。 右側の聯は「棒喝交馳国師千古猶在」、左側の聯は「象龍囲繞霊山一会儼然」と記されています。(資料3,4) 法堂の背後(東側)の奥には、伽藍図を見ますと、「威徳殿」があります。徳川歴代将軍を祀るお堂だそうです。昔は、雙鶴亭があったと言います。(資料1,西方丈の案内文) ![]() 法堂正面を通り過ぎ北に進むと、西方丈の角に到ります。 板塀に「西方丈(重文)」の案内額が掲げてあります。 西方丈は総門とともに、寬文元年(1661)最初に建てられた入母屋造、柿葺の建物です。 方丈は禅院住持の居間です。萬福寺では寬文5年に甘露堂が建てられて以降そこが使われるようになりました。上記と重なりますが、それ以来、二つの方丈は来客の応対や特定の儀式に使われるようになったそうです。(資料1) 西方丈側の回廊を西方向に進みます。 ![]() ![]() ![]() 途中、右側(北)奥にお堂があります。こちらに向かう回廊には「納骨堂」の扁額が掲げてあり、建物の正面に扁額が掲げてありますが、中央の一字が判読できません。 ![]() このお堂は堂内に「慈光堂」の扁額が掛けてあります。 延宝3年(1675)に建立されたお堂で、一般信徒の位牌を納め、永代供養する場所になっています。隠元禅師300年遠諱のときに納骨堂が併設されたそうです。納骨堂の額が掲げてあるのはこれに由来するのでしょう。宗旨を問わず納骨を受け付けているそうです。(資料1) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 塔身の語句が目にとまりました。「怨親平等」という語句の意味はどう理解すればよいのか。 調べてみて、「おんしんびょうどう」と読むのです。やっと一歩理解が深まりました。 「怨敵と親しい者とを平等にみる」という意味だったのです。「にくい敵であるからといって憎むべきではないし,また親しい者であるからといって特に執着すべきではなく,平等にいつくしみ憐れむべきことをいう。」と説明されています。(資料5) グプタ朝時代に仏典のサンスクリット化の過程で<ブツダチャリタ>という釈迦の伝記が作られたそうです。それが『仏所行讚』として漢訳され、釈迦の御遺告「能者看定、以怨親平等観行、可令預護」がその語句の由来だと言います。(資料5,6) その境地に到るには、修行がいることでしょう。まずは意味の理解から一歩を進めましょう。 ![]() 位置関係がこの景色からお解りいただけるでしょう。北東側から撮った景色です。 左に見える屋根が南にある大雄宝殿です。宝篋印塔の背後が西方丈からの東西方向の回廊(左)と大雄宝殿からの南北方向の回廊の分岐点です。慈光堂は左(東)隣りになります。 ![]() ![]() さて、宝篋印塔のある箇所から回廊に戻ります。西方丈の方向を眺めた回廊の景色です。 そのまま右に目を転じると、大雄宝殿の北側面の花頭窓が見えています。 回廊を右折して進むと、 ![]() 「禅堂」です。角の柱に「黄檗専門道場」の木札が掛けてあります。 ![]() この案内額が掛けてあります。 ![]() ここのはかなり打ち鳴らされている感じ・・・・。年季が入っていますね。 山内にはここを含め5ケ所に巡照板が設置されているそうです。 ![]() ![]() ![]() 禅堂の正面扉の上には隠元禅師筆の「選佛場」の扁額が掲げられ、左右の柱には聯が掛けてあります。残念ながら、ここの聯についての資料はありません。私には判読できない文字があります。 ![]() 吊り下げられたこの「止静」の文字が効いています。 三黙道場の一つ、速やかに静かに通り過ぎることに。静寂の漂う区域です。 ![]() 回廊沿いに、祖師堂・鼓楼に向かいます。 つづく 参照資料 1)『最新版フォトガイドマンプクジ』 萬福寺発行 萬福寺売店にて購入した小冊子 2)『岩波仏教辞典 第二版』 中村・福永・田村・今野・末木[編集] 岩波書店 3)『都名所図会 下巻』 竹村俊則校注 角川文庫 p106-110 4) 黄檗山萬福寺(万福寺) 都名所図会 :「国際日本文化研究センター」 5) 怨親平等 :「コトバンク」 6) 仏所行讃 :「コトバンク」 補遺 黄檗宗大本山 萬福寺 ホームページ 黄檗宗僧侶名鑑 黄檗宗資料集 :「黄檗宗・慧日山永明寺」 千呆性侒 即非如一 千呆性侒 :ウィキペディア 黄檗禅宗 瑞芝山 閑臥庵 ホームページ ブツダチャリタ :ウィキペディア 仏所行讃 : 現代意訳 池田卓然 訳著 :「国立国会図書館デジタルコレクション」 仏所行讚:「つばめ堂通信」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝! (情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。 その点、ご寛恕ください。) スポット探訪 宇治市 黄檗山萬福寺細見 -1 総門と門前点景 へ スポット探訪 宇治市 黄檗山萬福寺細見 -2 総門(2)・影壁・放生池・三門ほか へ スポット探訪 宇治市 黄檗山萬福寺細見 -3 三門(2)・菩提樹・鎮守社・天王殿前境内 へ スポット探訪 宇治市 黄檗山萬福寺細見 -4 天王殿(ほていさん・韋駄天・四天王)へ スポット探訪 宇治市 黄檗山萬福寺細見 -5 売茶堂・聯燈堂・鐘楼ほか へ スポット探訪 宇治市 黄檗山萬福寺細見 -6 伽藍堂・斎堂(禅悦堂)・雲版 へ スポット探訪 宇治市 黄檗山萬福寺細見 -7 斎堂の開?・月台・大雄宝殿ほか へ スポット探訪 宇治市 黄檗山萬福寺細見 -8 大雄宝殿 へ スポット探訪 宇治市 黄檗山萬福寺細見 -9 大雄宝殿の十八羅漢像と隠元禅師像 へ スポット探訪 宇治市 黄檗山萬福寺細見 -11 祖師堂・鼓楼・合山鐘・石碑亭・寿蔵ほか へ スポット探訪 宇治市 黄檗山萬福寺細見 -12 開山堂・松隠堂・通玄門 へ スポット探訪 宇治市 黄檗山萬福寺細見 -13 文華殿と塔頭(天真院・万寿院)へ スポット探訪 宇治市 黄檗山萬福寺細見 -14 北西周辺の塔頭(萬松院・龍興院・宝蔵院・宝善院)へ こちらもご覧いただけるとうれしいです。 一覧表 宇治(探訪・観照)一覧 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2022.01.23 11:26:29
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