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2020年08月19日
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カテゴリ:牧場
8月上旬、オホーツク海側にある紋別市で行われたポニーばん馬を見に行きました。今年は草ばん馬大会も中止が相次いでいます。






紋別に行く途中、滝上町にある2つの牧場を訪れました。
滝上町といえば、5月下旬から咲く芝桜が有名な町です。

まず、佐藤節雄さんの牧場にお邪魔しました。タキニシダイヤとトウカイシンザンの種牡馬2頭と、繁殖牝馬5頭、ポニーが過ごしています。
トウカイシンザンは純ペルシュロンとして貴重な血を残しています。現在21歳。
佐藤さんの牧場に来る前は、帯広市にあった三井牧場で過ごしていました。アンローズなどに会うため私たちはよく三井牧場を訪れており、のんびりとして優しいトウカイシンザンをすっかり気に入っていました。久しぶりの再会です。
たてがみは少し減ったけれど元気そうで、食欲も旺盛とのこと。大きな病気もないそうです。
年とともに繁殖能力も下がってはいますが、これからも牧場で余生を過ごせそうとのことで、ほっとしています。






同場で産まれたタキニシダイヤは、5歳で引退して種牡馬として牧場に戻ってきました。現在9歳、若々しくてかっこいいですね。初年度が2歳。まだデビューした馬はいませんが、これからです。
父はダイヤノホシで、タキニシダイヤは唯一デビューした馬。ダイヤノホシはサダエリコ(センゴクエースの母)の弟でもあります。



カネゾウの母、弥生姫さん。純ペルシュロンのきれいな芦毛です。子どもとともに





2011年のオークス馬、アグリコトブキもいました





十勝や釧路以外は、競馬場がなくなったこともあり馬産農家が減っています。滝上町は現在3軒だそう。
地域の特徴というのもばんえいの魅力ですが、種馬も少なく、繁殖相手も限られます。馬をいつも見ているという獣医師や装蹄師も多くありません。
でも、そんな中からの活躍馬は応援しがいがありますね。

次は、芝桜高橋牧場を訪れました。


コーネルトップやセンショウリなどの大種牡馬を扱う名門牧場として活躍馬を送り続けてきました。
以前は種牡馬3頭、繁殖牝馬30頭ほどがおり、種付けのために来ていた牝馬を含めると100頭ほどがいたこともあったとか。
今は牧場を縮小し、繁殖牝馬2頭を残すのみとなっています。





代表は高橋敏さん。以前はなんとサラブレッドの世界にいました。
道営競馬から錦岡牧場へ。そして開業当初からいたレックススタッドではカツラギエースやダイナガリバーを担当していたそうです。


ヤマニンアピールが馬生活のはじまりだそうです。
障害馬として名を馳せた同馬の貴重な平地勝利の写真ですね

そして30歳で、馬で丸太の切り出しなどを行う父の牧場に戻ってきました。
ばん馬とサラブレッドの違いを聞くと「ばん馬は楽! サラブレッドは神経質だから」。両方大変だと思いますが……



休憩室にあるポスター。サラブレッドでよく見られるタイプのポスターですね。ばん馬ではあまり見かけません

1997年ばんえいグランプリなど重賞8勝、マルミシュンキなどを輩出し、帯広一市開催となった頃のリーディングサイヤーだったコーネルトップを種牡馬として繋養していました。
コーネルトップ、種付けが大嫌いだったそう! なかなか繁殖牝馬に乗らず、2時間ほど立って待っていたこともあったとか。
そのうち「仕方ないなぁ…」と種付けを行うそうです。しかし「乗れば一発」。
ご飯もいやいや食べるそうで、めんどくさがりだったのかなぁ笑。こんな馬だったとは!



レイをたくさんかけたコーネルトップと、ばんえい大賞典を勝ったキクスピードの写真

むしろ種付けが好きで、毎年120~30頭近くをこなしていたのはセンショウリ。スミヨシセンショーなどを輩出しています。血統表でもよく名前を見かける馬です。
「食べる量が違う!」比例するものなのかな。
ばん馬は種馬が馬運車に乗って回ることが多いですが、高橋さんは種付け希望があればその繁殖牝馬を自分の牧場に運んで種付けを行っていたそうです。

そして、私が好きだった馬、重賞13勝のサダエリコが繁殖牝馬として過ごしていました。
「こんなうるさい馬いなかった。横っ飛びするんだから」。かなり敏感な馬だったようで、それが強さの理由でもあったのでしょう。

最初に種付けを行ったのは、当時牧場にいたサロマオーカン。そんなに大きな馬ではなかったのですが、大きなサダエリコに向かって「片足で這いつくばって種付けしていた。感激した」そう。そして産まれたのがサクセスクィーン。残念ながら脚が悪く、子どもは遺せませんでした。
サダエリコは子煩悩で、おっぱいを自分で飲ますほど子どもを大事にしていたそうです。ただ、アブを払うのが下手で、刺され放題だったとか。
3番仔となるセンゴクエースを産んだ年に、頭を蜂に刺されて命を落としてしまいました。
一度牧場で会いたかったな…。

さて、センゴクエースの幼少時は「手のかからないおとなしい馬だった」。
途中半年育成に出し、デビュー年の3月まで牧場にいたそうです。
普段は褒めることのない、当時90歳近い装蹄師がべた褒めしていたそう。

思い出に残るレースは、と聞くと「(取り消した)ばんえい大賞典!!」と悔しそう! 帯広に向かい、三国峠を走っていたら連絡が来たそうです…。
逆にうれしいのは「菊花賞。やられたと思った」。素晴らしい差し脚でしたね。
初めての挑戦で優勝したばんえい記念。工藤元騎手が調教をつけたとき、オレノココロと同じ量の荷物を積んでもこたえずに障害を上がり「力あるんだわ」と話していた、と教えてくれました。

さて、サダエリコのほかに2003年のヒロインズCなどを勝ったコスモカップも引退後しばらく牧場にいました。オークス馬2頭!
2頭とも安産で「脚が出た、と思ったらスポーン!って。腹筋違うのかなぁ」と。馬によるのでしょうが…。




さて、滝上町では郷土館にも寄りました。北海道の郷土資料館は馬が多く、楽しいです。
滝上の周りの町は林業が盛ん。ということは、馬搬が多く行われていたということですね。
1954年(昭和29年)9月の「洞爺丸台風」で倒木被害を受けた後にも馬が活躍しました。1960年には町内に1448頭の馬がいたそうです。
鞍やハミ、馬搬に使うバチ橇やタマ橇などの展示もたくさんありました。馬の剥製もリアル!

図書館には、町出身の作家、小檜山博さんと加藤多一さんのコーナーがありました。
お二人の小説には、馬とともに過ごした記述が多く、開拓時代の馬について知ることができます。
加藤多一さんは特に馬をテーマにした児童文学が多く、当時の雰囲気がよくわかります。


文/小久保友香
写真/小久保巌義





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最終更新日  2020年08月19日 17時21分37秒



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