カテゴリ:洋ロック・ポップス
原曲に忠実でありながら、原曲とは別物に変えてしまうマジック ヴァン・ヘイレンは主に80年代から90年代にかけて大ヒットを連発したハードロックバンドで、とりわけギターのエドワード(エディ)・ヴァン・ヘイレンは、70年代末にロックシーンに姿を現して以降、独特のギター奏法(ライトハンド奏法)や彼独自のスタイルをあっという間にロックシーンに根づかせた。ヴォーカルは当初はデイヴィッド(デイヴ)・リー・ロスだったが、彼の脱退に伴いながらくサミー・ヘイガーが加わった時期もある(他のヴォーカリストの時期もあったが、2006年からデイヴィッドが復帰している)。ちなみに、筆者は基本的にはサミー・ヘイガー時代のヴァン・ヘイレンが最も好きではあるが、それ以前のデイヴィッド・リー・ロス時代にも名曲・名演が多い。今回の「オー・プリティ・ウーマン」はそうした1曲である。 1978年、キンクスの大ヒット曲「ユー・リアリー・ガット・ミー」のカヴァーおよびアルバム『炎の導火線(原題:Van Halen)』で鮮烈デビューを飾った後、年に1枚のペースでアルバムリリースを重ねていった。シングル曲で全米トップ10入りを果たすのは、1984年の「ジャンプ(Jump)」を待たねばならないが、この「オー・プリティ・ウーマン」を出した頃は、着実に人気を上げ。ファン層をつかんでいった時期と言える。 初期のヴァン・ヘイレンはオリジナルでない曲を一定した割合でアルバムに収録する傾向にあった。単純に考えれば、オリジナル曲を聴くのが彼らの真価を測るには適当と思われるかもしれないが、そうとも限らない。中途半端なバンドが中途半端なカヴァーをやったならば、結果は一目瞭然だ。原曲に及ばない。その意味は2つあり得て、1つは原曲に忠実すぎて(あるいは原曲に捉われすぎて)原曲を超えられない場合。もう1つは、原曲をアレンジするのだが、そのアレンジが原曲とかけ離れすぎて、かといって原曲を超える素晴らしさは出せず、聴き手に相手にされない場合。 ヴァン・ヘイレンの「オー・プリティ・ウーマン」はこのどちらでもない。デビュー曲「ユー・リアリー・ガット・ミー」についても同じことが言えるが、ヴァン・ヘイレンによるこの曲のカヴァーが見事なのは、ある意味で原曲に忠実な点にあると思う。忠実、というと多少語弊があるかもしれないが、早い話、原曲をぶっ壊してはいない。原曲を完全に消化しきっていて、その上、なぜか出てきたサウンドは100%ヴァン・ヘイレンのものとなっている。技術はもちろんのこと、自分たちのイメージに合った名曲を探してきて、それを自分たちのものとして見事に演じきる自身があってこその選曲だろう。 1964年のロイ・オービソンの名曲は、こうして1980年代前半の当時の若いファンの間に根づいた。ちなみに次の世代には、原曲が有名になる。1990年の映画「プリティ・ウーマン」の主題歌として、ロイ・オービソンのオリジナルが再び脚光を浴びたからだ。結果、現在まで、街中やテレビのBGMなどでこの曲を耳にするのは、原曲である場合が多くなった。筆者はロイ・オービソンも好きではあるが、新しい世代のロック小僧やロック少年も、いまだ色褪せないヴァン・ヘイレン・ヴァージョンの「オー・プリティ・ウーマン」にぜひ触れてほしいと思っている。 [収録アルバム] Van Halen 『ダイヴァー・ダウン(Diver Down)』 (1982年) Van Halen 『ヴェリーベスト・オブ・ヴァン・ヘイレン(The Best Of Both Worlds)』 (2004年) ![]() ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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