「70%肺がん」と言われたときもこころが暗く沈んだけれど
もっと沈んだことがある
左目が網膜剥離になり「失明の可能性」を言われたときだ
まだ35歳、子供も小学生と幼稚園
今はどうか知らないが、当時は剥離が発見されるやいなや
ベッドに絶対安静の寝たきりにされた
そして剥がれた部分を焼き止めにする手術を待った
(今ならレーザーでするが当時は目玉をひっくり返して電気でするのである)
「手術をしても剥がれが止まるかわからない
左にあれば右にも起こることが多い」
医師の告知は冷静
順天堂病院の古い病室で
一睡も出来ず、食事ものどを通らない、絶食状態で悩んだ
その時がわたしの今まででいちばんの窮地である
でも本好きのわたしが本を読めなくなるとは
心配するどころではなかったのもほんとう
後で考えればそれがいちばん悲しかったのではないかと思うのだが
左目の剥がれ止めの手術は成功した
そののち35年経った
右目はいまだに剥がれてこない
あと何年生きるかわからないが
いまのうちにたくさん本を読んでおこうという
気持ちの高揚はその後、ずーっと続いている