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カテゴリ:読者のお便り
お便り☆「ニューヨークの地下鉄での出来事」の、コメント続きです。
>「いずれ、今生かどうかは別としても、誰もがこのレベルの宿題を目の前に出されるのですね。」 ・・・おっしゃるとおりです。 いずれ、皆様もこのようなレベルの宿題が神から出される日がきます。 神から、自分の目の前にこれと同じように、女性なら男性の罪人(犯罪者)を差し出されて、 「この罪人の男性を避けるな、嫌うな、彼も神が創った創造物です、彼の内在紳を観てあげなさい、神から愛を送れ、愛で包め」 とテストされる日がきますよ。 この世は魂の修行の場なので、様々な霊的階層から転生してきている人々と接して学び、向上していくものです。 日本に住んでいると、自分と似たような人々とだけ接点があるものです。 例えば、日本にいると、自分と似たような人々といっしょに仕事したり、似たような人々とつるんで付き合いますし、気が合う人々がつながっていきます。 しかし、世界の大都会ニューヨークは日本よりも危険で、光と陰の差が激しくて、すぐ身近に罪人男性はたくさんいてすれ違うことが多い街なので、その分、魂の修行が早く進みます。 ニューヨークの地下鉄で、たまたま目の前の男性の霊体を2秒でさっと読み取ってしまってその大量のバッドカルマを観てゾッとしたのですが、その男性はやはり刑務所で服役していた犯罪者だったのです。 やはり魂は波動の情報を発しているからです。 通常、女性たちは罪人男性が苦手な方が多いですし、女性は日頃から無意識に罪人男性とは関わらないようにしていて、罪人男性を避けて暮らす傾向があるものですよね。 女性は、罪人男性と深く関わらないようにして暮らすことは出来ますが、接する機会が出来た時には心の中で避ける線引きをしつつも、あからさまに避けないで、「彼は魂がまだ幼稚園生だから仕方がないのだ、彼も神が創造したものだ、神から愛をお送りください」と心の中で祈るように努力してください。そのような祈りは罪人男性にも通じます。 これを、女性や男性など性別関係なく置き換えると、神から目の前に苦手な女性、苦手な男性を差し出された時にも、それは神からのテストなので、同じように「この目の前の方は魂がまだ幼稚園生だから仕方がないのだ、この方も神が創造したものだ、神から愛をお送りください」と心の中で祈るようにしてください。 常に、問題ある方に遭遇した時には、このように心の中で祈ってみてください。そうすると、そのような神からの愛は必ず伝わります。 魂の修行の面で見れば、霊的に上昇していく時に「苦手なこと」「苦手なもの」「苦手な人」がある状態では最終段階に進めないので、神から「苦手なこと」「苦手なもの」「苦手な人」を目の前に差し出されてテストされる出来事が起こってきます。 そして、最終段階では、「苦手なこと」「苦手なもの」「苦手な人」が全く無くなる状態になるまで魂の修行が進められていきます。 その度に一つ一つ、苦手なもの、苦手な人を、理解してだんだん無くなっていくと、最終段階の神からのテストではこの地下鉄での出来事のように「刑務所から出所してきた元犯罪者の男性」や「25年以上不法滞在の男性」を目の前に差し出されるのです。 その応対の仕方も神から徹底的に強烈にテストされています。 神から、「本当に苦手な人」が無くなった状態なのかどうかのテストとして、普通の生活を真面目にしていれば絶対に出会わないこのような強烈な罪人男性を目の前に差し出されて、その方の言動を目の前で実際に詳しく見させられるのです。 これは、普通の女性にとっては強烈な神からの宿題のテストです。 学びの最中には、「目の前の罪人男性も神が創造したものだから内側に内在紳が宿っている」ということを完璧に理解するようになるまで、苦手が克服できるまで、ずっとこの宿題は続きますよ。 他にも、魂の修行として、神から「苦手なこと」もなぜか役割としてさせられる宿題もやってきます。 「え?なぜこういう役割をしないといけないのか?なぜこんな苦手なことをやらないといけないのか?」という強烈な宿題です。 例えば、私は以前、夜の世界で働くのが苦手でドラックが飛び交ってゾンビみたいな人々ばかりの環境でスペインで毎週レジデンスDJの仕事をすることになったのは、あれも「苦手なこと」「苦手な人」を神から目の前にたくさん差し出されてテストされていて、神からの宿題だったわけです。 これは、夜の世界で働く環境と人々を神から観させられた宿題で、強烈な体験経験をしました。 昔、短期間、スペイン時代からしばらくの間、占い師(手相鑑定、タロット鑑定)をしていたのも、様々な意識状態の人々、問題が大きい人々を観させられた神からの宿題でした。その時には、本当にとんでもない大きな問題を抱えている人々をたくさん観ました。 このようにいろんな立場の人々を見て接することにより、世間の裏の裏まで見て知り、世間をよく知るという経験を神からさせていただいたのだと分かります。世間知らずにならないように様々な意識状態の人々を下の下の下まで見させられる体験もします。 また、「苦手な食べ物」「苦手な飲み物」も目の前に差し出されて食べないといけなくなるという神からの宿題もあるそうです。 「え?これ苦手な食べ物なのになんで食べないといけないの?」という強烈な宿題です。 そういう時にもその応対と心の動きを神からテストされていて(笑)、「この食べ物も神が創造したものなのだ」と理解して、淡々と愛情を持ってありがたく受けいれて理解するという宿題です。 例えば、辛いものが苦手な方には、最終段階のテストでは目の前に「めちゃくちゃ辛い食べ物」が差し出されますが、その時にはそれを苦手だと思わずにありがたくいただくということを試されているそうです。 ですから皆さんも、この修行の場の世界で普段の生活の中で、「苦手なこと」「苦手なもの」「苦手な人」と遭遇する度に、「これは神からのテストだ」と捉えて、心の中で祈り神の愛を送るように務めてください。 大量のバッドカルマにまみれて波動が低くなってしまっている罪人「苦手な人」と遭遇して、何か変な質問をされても、「絶対にまともに答えてはならない」という教訓を守って、「一切答えずに無言」を貫いていれば、そういう罪人の方とも問題にならないです。これだけは、気をつけてください。 「聖人に何か質問しても、一切答えないで無言なもの」なのだそうですよ。 アホな人からアホなことを質問されて、答えすぎるから問題になるのですよね。 「罪人から何かアホなことを質問されても一切まともに答えない」・・・これを守るだけで問題を避けることが出来ます。 逆の立場から観ると、嫉妬癖がある方には、神から目の前に「すごく運が良くて恵まれている人」や「持っている人」や「聖人」などその方の嫉妬心を刺激するような方々を差し出されて、テストされています。そして、神から、その方の応対と心の動きをチェックされています。 その後、その方もいつか「他人の幸せを自分のことのように喜べる」性格になるまで、その宿題はずっと続きますよ。「他人の幸せを自分のことのように喜べる」性格が神にとって正常だからです。本来の人間は神が創造したものなので神が内在しているため、「他人の幸せを自分のことのように喜べる」性格が本来の人間の正常な姿=神の似姿なのですよ。 それを、「いつかあの人も梯子をはずされるよ」とか「ギャフン」や「ざまあみさらせ」の状態を心の中で待っているようでは、それも神にテストされているのですよ。そのような意識状態のままだとまだ学びが進んでいないので次に進めないため、だんだんにそのような「ギャフン」を期待するような意識がだんだん薄れて「他人の幸せを素直に喜べる」ようになれるかどうかのテストが続きます。 そのような意識状態で妬んでいる方へ「愛の祈り」を送ってみたとしても、そもそも心の中に邪心があるので純粋な祈りになっていないから、「ネガティブな意識状態の自分の邪心」はもしその相手が聖人だった場合には全てのネガティブな波動を鏡のように跳ね返すので、自分が送ったつもりの「愛の祈り」が実は「ネガティブな邪心だった」ものが全て何倍にもなって自分へ返ってきてしまいますよ。そのような学びの最中の状態の方も観てきました。ですから、祈ったつもりが「ネガティブな邪心だった」ものが全て自分へ返ってくる度に、自分を振り返って学び反省し、自分を修正していって、学び続けて上昇していってください。 そのような「自分の汚れた邪心」の波動が何も跳ね返ってこない場合は、ちゃんと純粋に美しい愛の祈りが出来ているということなので、問題ありません。 「他人の幸せを自分のことのように喜べる」=「あなたが幸せなら私も嬉しいし幸せ!」=「あなたは私であり、私はあなたである」=「あなたも私も世界も全てつながっていて一つである」=「ワンネス」なのです。 だから、誰にとっても、お互い様なのです。 最終的には、「苦手なこと」「苦手なもの」「苦手な人」が全くない状態になるそうです。 続きはまた書くこともあると思います。 いつもありがとうございます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年12月05日 05時54分05秒
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