シーニュ(記号)の持つ構造=離散座標。。。
今、どうやって離散系を説明しようか考えあぐねているのだが、離散系の典型的な例であるシーニュ/記号について最近特に考えている。シニフィアン(シニアン)とシニフィエ(シニエ)では、まずはシニフィアン(シニアン)の方が離散座標化しやすいだろう。これは、聴覚(音声)言語に関して、音韻体系として客観的な形で観察することができるからである。シニフィエ(シニエ)の場合、いわゆる「意味」が関わってくるので、具体的な座標化を行うことがより難しい。聴覚言語のシニフィアンの離散座標化だが、音声を分割するという考え方から離れて、聴覚記憶を離散的に調律するというような感覚を使ったらどうかと思う。まだイメージしかないのだが、イントネーション等で、まず大まかに聴覚記憶を分割し、その内部に離散的な境界を複数生じさせることで、音素と言われるレベルまで離散的な座標をつくっているのだと考えている。こ子で言う「離散的境界」とは、子音/母音の境界が基本であるが、言語によっては、例えば母音/子音という境界を使っているはずである。ちなみに日本語には、この種の境界は無いと思われる。その代わり、モーラの追加という境界があるはずである。実は数年以上前に既に、音韻体系を離散化で説明しなければいけないとは思っていたのだが、当時は全くイメージがわかなかった。今のイメージが正しいかどうかは分からないが、日本語という特殊な言葉を使って、まずこれが実現できたら、その他の言語にも適用できるかも知れない。