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テーマ:映画館で観た映画(8180)
カテゴリ:邦画(た行・な行)
監督・脚本 : 黒沢清 出演 : 香川照之 、 小泉今日子 、 小柳友 、 井之脇海 、 井川遥 、 津田寛治 、 役所広司 鑑賞劇場 : CINECITTA' 公式サイトはこちら。 <Story> 健康機器メーカー、総務課長として働く佐々木竜平(香川照之)は、人事部に呼び出され、リストラを宣告される。 突然の出来事に、呆然としたまま帰宅するが妻・恵(小泉今日子)にリストラされたことを言い出せなかった。 夕食時、小学校6年生で次男の健二(井之脇海)はピアノを習いたいと言い出すが、竜平は反対。 翌日から、会社に行くフリをして、毎日ハローワークへ通っていた。 ある日、大学生の長男・貴(小柳友)が、世界平和のためにアメリカの軍隊に入りたいと言い出す…。 ![]() トウキョウソナタ - goo 映画 <感想> ここのところ『グーグーだって猫である』、『TOKYO!』を立て続けに観たせいでしょうか。 どうもこの映画も、主役がかぶっているだけに、何となく別々の映画とは思えない感じがしてました。 『ゆれる』ですっかりファンになってしまった香川さん。そして昔から、危なっかしさが気になるキョンキョン。やっぱり観ておきたいです。 平凡な家族。夫婦に子供2人の核家族。 傍から見ると、大して事情もなく、特段変わったこともないように見える中で、家族それぞれの心が揺れている。 その揺れる心の波がぶつかりあっていく。当人たちはぶつかっていることはわからずに。 波がぶつかりあっていくひずみが、どうにもその細かい衝撃に耐えられずに、 ある日一気に津波となって襲いかかってくる。 家族の事情、それはいきなり起こるものではなく、予兆は確実にあるわけだから。 竜平のリストラこそ青天の霹靂とは言え、それがきっかけとなって浮かび上がっていく家族のきしみ。
家族が「つながる」ことが本当に難しい時代だと感じます。 どこかうちの家族はヘン、誰もがそう感じていても、誰もそれを修復しようとしない時代です。 「家族だからお互いが大切」。 その価値観はそれぞれが持っているものの、それが歩み寄ることが少なくなりました。 竜平がしがみつく「権威」。家長としての、という、とてつもなく旧い概念が彼にはあるのかな。この言葉を思い出してしまいました。 何をそんなに繕わないといけないんだろうと思うくらい、がっしりとした殻に覆われた彼は、家族の存続に関わることですらパートナーには言えなくなってしまう。 恵は、目の前に与えられた自分の役割をこなすこと。ここに縛られてしまっている。女性にはありがちなことですが。 現実的な心配をしない主婦はおりませんが、ただそれがルーティーンのように流れていってしまっている。 この夫婦を見ていて思うこと。 それは、家庭生活の方針に関して歩み寄った気配があまりないまま過ぎてきたんだなということ。 子育ての方針然り。 それぞれバラバラなことを考えていて、問題が表面化した時だけ、お互いを攻め合っている。 そんな両親に対して、力を合わせようと子どもたちが思う訳もなく。 夫婦のひずみが最も強く現れたのは、長男の貴がアメリカの軍隊に入隊したいと言い出した時ではなかったか。 子どもが訥々と語る「希望」「夢」に対して絶句する竜平と恵。 恵は、目の前に展開される彼の希望に愕然としながらも、それが貴の希望であるならばと、流されていくばかりだが、真っ向から「権威」を振りかざして抑え込もうとする竜平。 その、合わなさっぷりを眼前で見ながら、更に距離を離していく貴。 これでは家族に夢や希望を抱けと言う方が無理というもの。 次男の健二も、ピアノを習うことを竜平に抑え込まれようとして、真っ向から「権威」に立ち向かっていく。 否定されてもされてもめげずに。 子どもだって感じている。何がそんなに偉いのか。何でそんなに抑え込むのか。 認めてほしい、それは昔から、子供たちが大人に抱く切なる願いのはずだから。 自分を抑え込もうとする大人たちへの、井之脇海くんの表情がとても凄味があった。何とも言えない心の境界が現れています。将来いい役者さんになってほしいですね。 男は弱い生き物だと思う。 黒須の危うい虚勢、そしてそれが決壊した時の結末は哀れである。 しかし現実、失敗したら根こそぎ奪われてしまう社会に日本はなってしまった。失敗は許されない、白か黒か。 失敗したら絶望だけが待っている現実の中、何を望めばいいのか。そんな男たちの慟哭も聞こえてきそうで。 役所さん。壊れている家族のお話が続いている中、突如として入ってきて、辛うじて秩序を保っていた佐々木家を一旦バラックにしてしまう存在。 それは冒頭で恵が、雨嵐が吹き込んでくる床をきれいに掃除した後、暴風雨が入ってきて再度家の中が濡れるとわかっているのに、それでもなお、窓を開けてみたい衝動に駆られてしまうのに似ている。 「つぶれちゃえ、そんな権威」 そう言い放つ恵は、どこかで自分を取り巻く世界が一度ぶっ壊れてしまえば、どんなに楽になるだろうと、潜在意識の中で思っているのでしょう。 どこの家にも、「澱」は存在していて、それは溜めたくもないけどいつの間にか溜まっているもので。 みんなその「澱」を、敢えて見ないようにしながら家族してます。 ですがそれがある時、何かのことがきっかけで、ぐちゃぐちゃにかき回され、沈澱していた家族の「澱」が浮かび上がって水が濁り、そして水が衝撃であふれかえってしまった時・・・ その後始末は一体どうするのか。 元通りになれるのか。水は浄化されるのか。 あの役を演じていたのが役所さんとわかった時に、いささか、この映画のそれまでの語り口とは異質な印象を受けました。 『パコと魔法の絵本』も最近観ているせいか、「異質なもので壊す」という役どころなので致し方ないかと思いつつも、どうもジェスチャーが大きく感じてしまいました。 あの体験で、それまで得体のしれない流れに流されるしかなかった恵は、 流れに踏みとどまることの必要性を感じたのだろうか。 ラストへの伏線がいささかこじつけっぽいのは多少目をつぶるとしても、 お互いの存在をしっかりと意識して、認めていく。 そんな当たり前のことがなかなかできずにいることも改めて感じます。 そこができた時、人はつながり合っていくのだろうから。 虚勢を張っている裏に、何とも言えない弱さや不安を隠しきれない人間を演じている香川さん。こういう演技はさすがだと思います。 そして、『グーグー』の時もそうでしたが、心が一瞬、目の前から彼方へと飛んで行ってしまうような、遠くを見つめている小泉今日子の表情も、もう彼女しか出せない味のようなものとして、大いなる魅力を醸し出している。 そして2人の子ども役も、繕わずに、家庭にある心のずれや揺れというものを出していっていたと思う。 あと、個人的には津田寛治も好きなだけに、彼の微妙な小細工が切なくなってしまうくらいうまかったのが、やっぱりいいなと感じましたね。 『TOKYO!』も、この映画もそうなんですが、タイトルに東京とついている割にはテーマ的には殊更東京を強調しなくてもよく、普遍的なものを描いていると感じます。 要するにどちらもかなりな「こわれもの」を描くという点では共通しています。 その象徴として、雑多な人間が集まる東京が選ばれているだけなのかもしれません。
今日の評価 : ★★★★☆
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