サザンビーチで40年ぶりにウインドサーフィンの先輩に会う!
先日泉南イオンにカリンバを買いに行った帰りに、久しぶりにサザンビーチ横の樽井漁港にある大阪セイリングクラブに寄りました。そこで40年ぶりにウインドサーフィンの師匠であるTさんと遭遇しました。遭遇と言っても、最初は互いに誰だか分からず、話しているうちに段々と分かってきました。オモシロいですねェ・・・年寄りの会話って。Tさんは私が46年前に初めてウインドサーフィンを樽井浜(今のマーブルビーチの山手側にあった)で教えてもらった先輩の1人です。Tさんを含めたYさんMさんの3人は、大阪湾で初めてウインドサーフィンを始めた人達で、昔ウインドサーフィンの愛好団体だった「泉南フリート」の創設者で、大阪のウインドサーフィン界のレジェンドです。彼ら3人と出会わなかったら、妻との出会いもありませんでしたし、私の人生も大きく変わっていたでしょう・・・そういう意味で、人生っていうのは「出会いがすべて」と感じる今日この頃です。ウインドサーフィンがアメリカら日本に初めて輸入されて2年後の1975年にこの樽井浜から大阪のウインドサーフィンが始まり、二色浜や脇の浜や和歌山にウインドサーフィンがドンドン広がっていったのです。大阪のウインドサーフィンのルーツは樽井浜・・・つまり今世間から注目を浴びている関西のカリフォルニアと呼ばれる「泉南ロングパーク」辺りにあったのです。4,50年前は大阪市内から遠く離れた「ひなびた漁港」といった感じでしたが。まぁ昔話に花が咲き、当時のメンバーの近況をイロイロと聞きました。40数年前は確か1000人くらいのメンバーがいたはずですが、未だにウインドサーフィンを続けているのは私を含めてたった4人だけとは寂しい限りです。0.4%しかいないという事です。感覚的には0.4%もまだいた・・・なんて。仕事や結婚でヤル気が無くなったり、病気や転勤でできなくなったり・・・続けられなくなった理由は様々です。その0.4%に私も入っているとは、貴重な存在です。それでも時々、私のような元メンバーがウインドサーフィンを止めていても懐かしんで、この大阪セイリングクラブに今でもやってきて昔話に花を咲かせて帰っていくらしいです。いずれにしてもTさんはウインドサーフィンショップ経営も含めて50年間もウインドサーフィンの栄枯盛衰を見てきた訳ですから、昔話は1週間徹夜で喋っても語り尽くせないでしょう・・・まぁ老後の暇つぶしには持って来いか・・・(笑)。そして最近のウインドサーフィン事情をイロイロ聞かせてもらいましたが、やはりサザンビーチででもウインドサーフィンからウイングフォイルに「転向」している人が多いそうです。セットで60万円もするみたいですが・・・ラクなのが何よりみたい。私の心がチョッと揺れ動きました・・・(笑)。まぁ68年の人生を振り返ると、20代前半にウインドサーフィンにハマった事が1番の思い出でで、亡き妻との思い出がイッパイ詰まっており・・・私の青春そのものでした(涙)。なので、足腰の立たなくなるまでウインドサーフィンをしたい・・・のです。という事で、若い頃に一生懸命やっても、結局離れてしまうのは世の常ですが、私のようにウインドサーフィン、ドラム、空手なんて途中で中断があっても長く続けていけるのも「極めていない」からです。平たく言えば、プロになろうと身体を壊すほど練習しないで、中途半端にやって来たからです。だから未だに出来るのです。もちろん私も一生懸命やってきたつもりですが、飽き性なんでしょう・・・(笑)。本当のスペシャリストは別ですが、殆どの人にとって何でも「やり過ぎはNG」というのが私の人生訓です。裏を返せば、何をヤッテも大した才能がない・・・という事なんですが(笑)。それが私であって、商売でもそんな性格を活かして「これ一筋!」ではなく、基本戦略はイロイロと中途半端に手を広げる六毛作経営(トランクルーム、音楽スタジオ、不動産仲介業、卓球場、レンタル自習室、駐車場)だったのです。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ