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カテゴリ:神社仏閣巡り
更に南下。下京区に入ります。
烏丸通沿いにある「八坂神社大政所御旅所舊趾(Yasaka-jinjya-omandokoro-otabisyo-kyusi)」。 以前、南区にある「伏見稲荷大社御旅所(Husimi-inari-taisya-otabisyo)」に行ったが、境内はとても広かった。神輿を収納する奉安所もあったし。 同じ御旅所でもこちらは「舊趾」。全然違います。ビルとビルの谷間に押し込められたようにあります。 以前は、2ヵ所あった「八坂神社」の御旅所ですが、豊臣秀吉(Toyotomi Hideyosi)が1つに統合し、現在では四条の方にあります。 ですが、今でも「祇園祭(Gion-maturi)」(ユネスコ無形文化遺産)の還幸祭の際、こちらの「舊趾」に3基の神輿が立ち寄り、神職が拝礼します。それって、統合した意味、あるのかしら。 何でも、秦助正が夢の中で、自宅から「八坂神社(Yasaka-jinjya)」まで蜘蛛の糸が引かれている情景を見た事に始まる。そのことを第64代・円融(Enyu)天皇に話をすると、天皇ご自身も同じ夢を見ていたという。ということで、秦助正の自宅が「御旅所」になったそうな。 あれ?よく見ると鳥居の扁額が「八阪」になっているぞ。 そのまま烏丸通を南下します。 「ホテル京都ベース四条烏丸」の一角をくりぬいた様に祀られている社があります。 「俊成社(Syunzei-sya)」です。 平安末期~鎌倉初期の歌人・藤原俊成(Hujiwara-no-Tosinari)の邸宅跡なんだとか。 藤原定家(Hujiwara-no-Sadaie)の父であり、『勅撰和歌集』の選者。 不明門通をちょっと北上。その突き当りにある「平等寺(Byodo-ji)」へ。 不明門って変わってますよね、名前。「あけず」と読むそうです。 この「平等寺」の南門は現在は開いていますが、昔は開いていませんでした。第80代・高倉(Takakura)天皇がこの門のすぐ南側の「東五条院」にお住まいになったため、遠慮して閉ざしていたといいます。その頃は、西側の門から参拝していたのだそう。 このため、この南門までの通りを「不明門通」と呼ばれるようになった。 手水鉢。 本堂。 ご本尊:木造・薬師如来立像(重要文化財)。 三大如来の1つ(「善光寺」の阿弥陀如来・「清涼寺」の釈迦如来)。 「京都十三仏霊場」第7番札所・「京都十二薬師霊場」第1番札所。 秘仏で拝顔することができないが、とてもキュートな格好をしています。 頭に小さいお座布団のようなものを乗せているんです。 一大事の際、すぐに運び出せるよう厨子の後ろに車輪がついていて、横に倒して動かすのだそうです。そのため、薬師如来さんの頭を守るように常にクッションを乗せているんだって。 本堂の東側。 弘法大師座像(康正・作)。 本堂の西側。 大黒天座像:忿怒の顔が三面あり、腕が6本の大黒天。 「京都大黒天霊場」第5番札所。 横には、賓頭盧尊者。 と、割れた鬼瓦? 注意書きに、130年前の鬼瓦であるという事と、鬼の顔ではなく経口巻とある。 真ん中の割れた模様は、寺紋。菊の周りに橘が巻いている図柄。 人形にお願い事を書いて、水に浮かべたらいいらしい。 「観音堂」。 十一面観音像(「洛陽三十三所観音霊場巡礼」第27番札所)。 御詠歌 “ まよひいで ここはいなばの ひがしむき 心はにしへ はこびぬるかな ” 左:「歓喜天」 中央:「地蔵堂」 右:「十九所権現」 「十九所権現」の左右に、神木が立っている? 阿樹(女)と吽樹(男)で、穴の中に手を入れて樹に触ると元気になるそうです。 十九の神様が勧請されているという豪華な社。 天照大神・八幡・春日・賀茂・祗園・愛宕権現・松尾・熊野・北野・山王・住吉・摩利支天・妙音・辨天・白髭・多賀・平野・御霊・蛭子の19柱。 集まったね~。 何やら真新しい感じのする閻魔王像。 色んな所に、「因幡堂」の文字。 因幡といえば、今の鳥取県ですよね。 こちらの「平等寺」に伝わる絵巻『因幡堂縁起』(重要文化財)によれば、 959年、橘行平(Tatibana Yukihira)が因幡国の一宮を詣でると病気になってしまった。祈った所、夢に1人の僧が現れた。「賀留の津に浮かぶ木を引き上げよ。」とのお告げが。 早速、浮かんでいる木を引き上げると、等身大の薬師如来だった。因幡の国に祀り、行平は屋敷に帰るが、その薬師如来が飛来してきたので、1003年、私邸を寺としてその薬師如来を祀ったという。あれ?ものすごく、日時が経ってるじゃないの? 現在の寺名を「平等寺」としたのは、南側に引っ越してきたあの高倉天皇なのだそうだ。 平安時代、京には官寺「東寺(To-ji)」(世界遺産)・「西寺(Sai-ji)」以外の仏寺の建立は、禁止されていた。ただ、町堂は黙認されていて、この「因幡堂」、「六角堂(頂法寺)」・「革堂(行願寺)」・「千本釈迦堂(大報恩寺)」に庶民の崇拝者が多く集まったのだそうだ。 (2017年12月初旬現在) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.01.02 00:36:58
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