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テーマ:ココロ(1186)
カテゴリ:逃避生活
わたしの明日は あと幾日?
指折り数えて 幾日過ごす? 時計の針は 動き続ける 陽も 月も 周り続ける 時は止まらないのに わたしの明日は 止まろうとしてる 壊れた時計は 動かない 壊れた心は 動けない 電池切れ かもね あしたの、喜多善男 のストリーム観終わりました。 相変わらず、自分と重ねて観ました。ブブブブっと書きます。 10話 「この人はなぁ、とっくに知ってんだよ」 そう・・・知っていた。 気付いていた。 『あの人』がどういうつもりだったのか、なんて。 それでも、彼、『主人格』は言葉のままに信じようとした。 騙されたことに気付いても、信じていたかったんだろう。 「自分で作ってるんだよ、いやなものを見ないために」 そう・・・作り出されていた。1つの人格として。 見ないで済むように・・・。その存在に該当するのが・・・ よもや・・・あの人格だったなんて、今気付いたょ。 サポートするようにしていた彼女がそうだったんだよね。 『あの人』とまともに接触していた彼と彼女・・・ヵ。 「ネガティブと向かい合うんだ - そうだ、しっかりと見つめろ - - そして、1つになるんだ」 そう・・・1つになった。 そして崩壊した。 負の遺産は 重かった。 わたしらには支えきれない重みだった。 ネガティブ善男と向かい合う喜多善男。そしてネガティブは消えて行った。 00:24:36付近から。 「あぁ、そうだよ、知ってたよ。オレは全部知ってたさ。 みんな、みんなオレを騙すことしか考えてないじゃないか。 あぁ、わかってたよ! --- --- --- なにが死ぬなよ、だ! どうせ裏があるんだろう! みんな、自分が得することしか考えてないじゃないか! みんな、自分のことしか考えてないんだよ! オレを騙して、利用したいだけなんだよ。 オレはそんな世界でずっと、ずっと、生きてきたんだ。 畜生!騙されなきゃ誰もオレなんかに近寄ってきてくれないんだよ 誰も優しくなんてしくれないんだ!オレはずっと一人なんだ! こんな世界、大嫌いだ。 オレは、オレも大嫌いだ。 ずっと自分を騙しながら生きてきたんだ。 こんなヤツ、消えた方がいいんだよ。そうだろう? 喜多善男なんかいなくなった方がいいんだよ! そうだろう? な? そうだよな!?」 「喜多さん、ぁの・・・すまなかった」(END 00:26:45) わたしらの代弁だねー。この台詞は。 喜多善男よりはマシな人生だったかもしれないけれど。 『あの人』に求めたのは、三波が言ったような詫びの一言。 それすら通じなかった。それが・・・悔しいから始まる感情七変化。 過ちを犯さないことが大事なんじゃなくてさぁ。 過ちを犯したって気付いて、それを正すこと、しないようにすること、 それが大事なわけじゃん。 それが 正しいココロ じゃないのかな。 そんな風に考えられる人が少ないこの世界は、わたしは嫌いだ。 少なくとも、わたしにはそういう人とは出会ったことがない。 最低の連中ばかりに出会って生きてきたってことなのかな。そうかもね。 ココロの叫び。 そんなもんは・・・ 騙す側・利用する側の人間には絶対に届かないし聞こえないと思うな。 最終話 喜多善男が選んだ最後の場所・・・クリスティーナの世界の模倣。 クリスティーナの代わりにいるのは みずほ。 「そうさ、美しい死なんてあるもんか。 死ぬってコトは、この身体を傷つけるってことなんだ。壊すってことなんだ。 そうさオレは、この身体を壊しにいくんだ。」 ちょっと違うよね。 美しい死というのは存在する・・・。 そこは美意識の問題でもあるけれど、死の美学は実在する。 結果的に壊れるだけで、壊そうとして壊れるわけじゃない・・・。 壊れることを認識する段階で死は訪れる。 そういうもの。 死ぬ過程で壊れるだけで、壊すことが死ぬこととは違う気がする・・・変?w それに・・・ 身体に傷をつけないで死に至るという美しい死は実在する。 書かないけどね。w ぃぁ、参考にされても困るし。 自殺推奨、やり方伝授なんてする気はないので。 「ずっといいように使われて、いいように騙されて、 利用される価値がなくなったら、誰も相手にしてくれなくなった。 一人になった。 もう、絶望しか残ってない。」 かなり、ちがうよねw あんた、絶望が残ってるじゃん?w なんて思ってしまった。 おかしな表現になってるかなぁ。 本当に死ぬこと考える人間って・・・絶望って概念すらなくなってる。 脚本家、死ぬこと考えたことないな? などと勝手に思ってしまった。 少なくともわたしらは「死」という感覚すらなくなってたし・・・ ・・・ぁ、まだ死んでないか。w 廃屋の上で佇む喜多善男に近付く八代平太。 自殺した父親と善男を重ねる平太。 00:31:20付近から。 「--------- そんなことねぇよ。そんなことないんだって。 オレ、あんたといて、そう思うようになったんだ。 弱くたっていいじゃねぇか。 オヤジはさぁいつもオレに謝ってばかりで。 でもさぁ、アイツはアイツなりに必死に生きていたんだ。 わかったんだよ。オレがオヤジをキライだったのは弱かったからじゃねぇ。 死んじまったからなんだ。生きててほしかったんだょ。 弱くたってかまわねぇからさぁ、生きててほしかったんだょ。 喜多さんは死なないでくれょ。 ----------」(END:00:32:06) 善男の 父親じゃないから の返しは正論。 この台詞の中で一番重要な言葉って・・・たぶん・・・ 「生きててほしかったんだょ」 になるんだと思う。 失って初めて知ることがある。勿論、失っても気付かないこともある。 ココロなんてそんなもんだと思う。 自分が関わった人には死んでほしくない。 特に、かつて自分が関わった人で自殺した人がいる場合には 自殺しようとする者がまた出たときに制止行動は顕著に現れるみたいだ。 一種の加害者意識も持ってしまうのかもしれない。 なにもできないというのにね・・・。自分の意思で動くんだから。 わたしらの周囲にもそういう人がいる。それで今こうして生きてるわけだけどさ。 果たしてそれでよかったのか?とはよく感じる疑問。 その人がいなければ、ほぼ間違いなく今この場に生存していなかったとは思う。 今まで使っていたバッグから荷物を新しいバッグに移して 古いバッグをゴミ箱に捨てる善男。新しいバッグにはタグがついたまま。 (ここでバッグの底に付けられた怪しげな物体に善男が気付いている) 00:43:40付近から。 「終わるはずだったオレの明日がまた始まった。 数えるには多すぎるほどの明日が。 かなしい明日もあるのかもしれない。 だけど、笑える明日もきっとあるような、そんな気もするんだ。」 明日。明日。明日。そういう概念を持てればそう思えるんだろう。 でも、ココロが壊れた人は、そういう概念すら持てない人がいる。 日付なんかは勿論、昨日、今日、明日、そんなのも関係ない。 あるのは、「今」それだけ。 本当に壊れた人はそうだ。 朝だとか夕だとかも関係ない。 「今」それだけ。 心の病に堕ちなくてよかったね。 そんなエンディングだ。 冷静に眺める人は解離性障害とか持ち出して云々語る?w 実際には、元々ポジティブな現実主義者だったってだけでしょ。 「騙されればうまく生きていける」って持論もってたんだから。 本当に死ぬことを考えている人間は、死ぬことを口にしないはず。 なぜって、口にする必要ないから。他人に言うことじゃない。 口にする人は、まだ生きることにしがみつきたい人達。違うかな。 わたしには、助けを求めているようにしか見えない。(個人的意見) ココロの声は・・・外には漏れない。 でも感じることはできる。 もし、本当に死んでほしくない相手が居るなら、それを感じればいい。 そう思える相手なら、必ずココロの声を感じ取れるはず。 自分がどうすればいいのかもね。 キット。 このドラマの視聴率が低かったのは・・・ネガティブな内容だからかな。 観るなら、10・11話を見てから全部みるか決めたら?w 最終話より10話のが面白いと思うょ。 個人的にはね。 わたしらの明日はあと幾日なんだろうねぇ。 密かに相談している人格どもがいる。 ・・・放置。 WOMAN系 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 15, 2008 12:41:04 AM
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