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JINさんの陽蜂農遠日記

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2009.06.09
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カテゴリ:海外旅行
サクサイワマン遺跡からバスで坂道を下り市街地観光へ。
リマクパンパ広場(Plaza Limacpampa)の モニュメント・ Qosqo a sus fundadores
リマクパンパとはアンデス地方の言葉で「大地の語り」の意味と。



バスを降りてサント・ドミンゴ教会(太陽の神殿、Iglesia de Santo Domingo)へ。
前の狭い路地を抜けてサント・ドミンゴ教会の正面にやって来た。
スペインが造った教会だが、元はインカ時代のコリカンチャ=太陽神殿であった。
スペイン人はインカ人が造ったコリカンチャの土台の石組を利用し、その上に教会を建てたのだ。
インカ帝国の公用語であったケチュア語で「コリ」とは「黄金」、「カンチャ」とは「部屋」とか
「囲い場」を意味すると。コリカンチャは黄金の太陽の神を祭ったインカ帝国最高の神殿。
1533年フランシスコ・ピサロがクスコに入城し、壁などに敷き詰められていた黄金をすべて
奪い去ってしまったと。



サント・ドミンゴ教会の鐘塔。



ここが観光用の入口。
QORIKANCH(コリカンチャ)=太陽神殿 の文字が。



16世紀、征服者のスペイン人たちは神殿にあった黄金製品を本国へと持ち去ったのち、
上部を壊して教会を建てたと。



その後の大地震でスペイン人の建てた部分は崩れたもののインカの石組みは残ったという。
開口部は窓で、インカの精巧な石組。



4部屋通した窓。



最も小さな石組み。再び何故このような小さな石組? 皆が触るせいかここだけ黒く
光っていた。



ここの石組みも。



祭壇。



サント・ドミンゴ教会の中庭。真ん中に井戸があるが、この井戸はカテドラルの地下にある
水源まで地下でつながっているとのことだ。昨年のスペイン旅行で訪れたアルハンブラ
宮殿の中庭に酷似していた。



サント・ドミンゴ教会の中庭をグルっと。







中庭から鐘楼を見る。



インカの世界観を表した黄金の壁画。インカの人々は文字をもたなかったため、
絵にすることで表現した。三層に分かれており、上にある楕円のものが太陽の神だと。  



黄金の壁画の説明板。



サント・ドミンゴ教会から外を望む。



サント・ドミンゴ教会の外庭。かつてここは金のリャマ、金の泉、金のとうもろこしなど、
金でできたもので覆い尽くされていたと。



更に左手。



インカの建築物は地震に耐えるような見事な耐震構造になっている。例えば、壁はまっすぐでは
なく内側に10度傾いている、また、石を単に重ねていくのではなく石に凸凹の細工を施し、それ
をパズルのように組み合わせることにより、より強固な造りとなっているのだと。



サント・ドミンゴ教会の周囲を散策。



標高3400mの下での散策。



外壁の前にあったこのクリスチャン クロスの如きモニュメントが。
太陽崇拝の面影は今はなく、十字架が教会を訪ねる人を出迎えているのであった。



クスコの街並みとそれを囲む山々。



インカ帝国時代、政治と宗教の中心である太陽の神殿:コリカンチャ
(コリ(Qori)=黄金、カン(kancha)=居場所 を現した)があった場所。当時この神殿には
黄金が満ち光り輝いていたと言う。スペイン人は黄金を全て持ち去った後、
石積土台だけを残し教会を建てた。クスコに大地震があったとき上部の教会は
崩れ落ちたが、石積土台はビクともしなかったという逸話が残っているのだ。
インカの石組技術をものがっているのだ。日本の木造建築でも用いている"貫"と
いわれる工法を石で行っていたのである。教会の所々で美しい石組みを見ることが
出来た。教会の裏手では、現在でも発掘・復元作業が行われているとのこと。
下の丸くなった石壁がインカのもの。その上にスペイン人が教会を建てたのである。
石積みの技術の差が歴然としている光景なのであった。



再び「ペルー万歳」と「国章」を見る。



サント・ドミンゴ教会 全景。



その右手の白き建物は単科大学等の宗教学校(C. E. P. Santa Rosa de Lima Cusco)で
あるようだ。



宗教学校(C. E. P. Santa Rosa de Lima Cusco)が更に続いていた。



手前のアルマス広場とサント・ドミンゴ教会。



「アルマス広場」に面した「ラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会」。 第11代インカ皇帝
ワイナ・カパックの宮殿だったとのこと。この教会は1650年の大地震で一度
崩壊しているという。



ズームして。



クスコの中心地・「アルマス広場」の北東部に建つ「カテドラル(大聖堂)」は、インカ時代の
ビラコチャ神殿の跡に建てられたもの。1550年から建設がはじまり、完成に百年を
要した。右の大塔には1659年につけられた南米で最大の鐘マリア・アンゴラがあり、
その深い響きは、20km先にまで達するという。 



「カテドラル(大聖堂)」前を通り昼食会場へ。



「サント・ドミンゴ教会」の鐘塔を再び。



昼食を楽しむ。



食事を終え路地へ。



石畳の路地を進む。



インカの石組を楽しみながら進む。
ここの石組みも、石を単に重ねていくのではなく石に凸凹の細工を施し、それをパズルのように
組み合わせることにより、より強固な造りとなっていたのであった。



路地にある「12角の石」
インカの石組みの特徴は「カミソリ一枚通さない」こと。ここクスコの街中の道に残る石組みは
まさにその象徴的存在。いったいどうやって造ったのか。12の角の複雑な切り込みだけでなく、
その周りを固める石組みも注目である。



幅が1メートルもある巨石で、それが緻密に計算されたように12角に加工され、
隣り合う石とぴったりと合わさっていたのだ。
インカ文明の石造技術の高さがうかがい知れる場所なのであった。



更に路地を進む。



スペイン風の見事な彫刻のベランダ。



再び「ラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会」。



クスコの「マクドナルド」です。 おなじみの赤地に黄色の文字ではなく黒字のマクドナルドの
文字Mのみ。黒の地味な看板で営業をしているのは 景観保護のためとのこと。



30分ほど「アルマス広場」で自由行動。久しぶりの自由行動であった。
現地ガイドSさんが経営すると言う土産店で女性軍が土産を色々買っていた。
女性軍の衝動買い?POWERには驚くばかりであった。   
アルマス広場
左:カテドラル、右:ラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会。



「アルマス広場」の花も美しく咲いていた。



アルマス広場越しに「ラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会」。



クスコ観光終了後、今晩の宿のあるピサック(Pisac)の村に向かう。
クスコから30キロメートルの山々の谷間に小さく拓けた村である。
昔と変わらないインカの人々の生活を垣間見ることができるという。
村の背後の急な斜面にある遺跡は、太陽の神殿や段々畑などがあり、マチュピチュ
の遺跡に似ていると。下を流れるのが、ウルバンバ川である。



山の斜面に段々畑と「インティワンタナ遺跡」がある。インカ皇帝や地位の高い僧侶などが
宿泊した場所で、神聖なる儀式が行われていたのではと。



ウルバンバ川両岸には民家が。



漸くホテル「ROYAL INKA HOTELS」に到着。
外が明るい時間に到着したのはこの日が初めてであった。



ホテルの中庭には色々な花々が咲き乱れ、我々の早期!!到着を歓迎してくれた。



部屋に入る。ここにも「ROYAL INKA HOTELS」。



ツインベッドの部屋。



日本食が恋しくなり、日本から持ってきた味噌汁を飲むことにした。
Sさんが日本から電気ポットをトランクに入れてきてくれていたのだ。
南米のホテルには電気ポットが置いていないとの事前情報を掴んでいたのだ。
さすがに旅慣れた吾人であった。
ただしここは高度3000m。沸騰温度85℃。ややぬるかったが久しぶりの日本の味を
満喫したのであった。もちろんワカメ、カップ&割り箸は私が持参したのである。



久しぶりに部屋で寛げる時間が出来たので、ブラジルで購入しておいたワインで宴会。
同行のMさんご夫妻も部屋に招待し多いに盛り上がったのであった。
ホテルの中庭から南十字星が見えるというので千鳥足?で中庭に出てみた。
この南十字星は、天の川の中に位置している。たくさんの星が輝いているので
見つけにくかったが 現地添乗員の説明により、漸く肉眼でもハッキリ見ることのできた。
明るい星4つで構成されているのが解った。
日本では沖縄の一部でしか見えない星とのことだ。
そしてまた明日は3:15モ-ニングコール、4:30出発の指示が下されたのであった。


                              ・・・​もどる​・・・

                   ・・・​つづく​・・・

                          






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Last updated  2020.08.17 18:56:49
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