7287136 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

JINさんの陽蜂農遠日記

JINさんの陽蜂農遠日記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Profile

jinsan0716

jinsan0716

Keyword Search

▼キーワード検索

Category

Freepage List

Comments

Favorite Blog

春の東海道をゆくツ… New! オジン0523さん

ベランダの花(ヨウ… New! 隠居人はせじぃさん

【花々が一斉に咲き… Gママさん

エコハウスにようこそ ecologicianさん
noahnoah研究所 noahnoahnoahさん

Headline News

Archives

Calendar

2019.07.19
XML
カテゴリ:海外旅行
『西配館』
ホンタイジ時期(1627~1643)に創建されたホンタイジの庶妃の寝室である。
乾隆年間、皇帝が東巡して盛京に滞在する際にここで祭祀の供え物を作ったことがあった。
入口には『后妃生活洋品展』と書かれた『扁額』の如き表示板が。
瀋陽故宮は清の初代皇帝ヌルハチ、続くホンタイジ、順治帝が使用した宮殿というだけでなく、
康熙帝、乾隆帝、嘉慶帝、道光帝が東北地方を巡回し祖先を祭る際に滞在した
行宮(あんぐう)で、清の皇室の貴重な宝物が所蔵されている場所。国家文物局に
登録されている同博物館所蔵の文化財は2016年9月末時点で10万5085点に上ると。



『清 红木染牙三多花卉梳枚盒』



『清 黒缎点翠串珠花女帽』



『清 红缎平金双喜活计』



『孝荘文皇后』



『清 珊瑚小朝珠』



様々な宝石。



案内板。



『永福宮』。



『清 太宗・ホンタイジ』。



『永福宮』
次西宮とも呼ばれ、清太宗天聡年間(1627~1635)に創建されたホンタイジの荘宮の寝室である。
崇徳3年(1638)に順治帝はここで生まれた。



若き日の『清 太宋・ホンタイジ』か?



33歳で病死したホンタイジの寵妃、宸妃(海蘭珠)の肖像画。



『永福宮』案内。



『鳳凰楼』前の広場。



『鳳凰楼』扁額。



『祈福』


右は『西所』入口門、左が『西掖門』。



『西掖門』



『西掖門』扁額。



『西掖門』を潜り『西路』に入る。



『戯台』。



『戯台』
乾隆46年~乾隆48年(1781~1783)に創建され、乾隆帝と嘉慶帝はここで芝居見物を
観賞したことがあった。



『嘉蔭堂』。



『嘉蔭堂』。
乾隆46年~乾隆48年(1781~1783)に創建され、皇帝が東巡して盛京に滞在する際に
芝居見物を鑑賞する場所である。皇帝は南を向いて座り、大臣たちも回廊に列席する。



『東直廊』。



『東直廊』。
乾隆46年~乾隆48年(1781~1783)に創建され、皇帝が東巡して盛京に滞在し
芝居見物を鑑賞する際に、大臣たちの席となる場所である。



『扮戏房』手前の脇門に向かって進む。



『清代宮廷钟表展』は『清王朝時計展』。



『鐘』も時を知らせるのだ。



清王朝の鎏金塔式時計が展示されていた。



『清.镀金锒売藍表 瑞士制造』



『清.铜镀金鸟音座仲 法国制造』


『清.鎏金塔式钟 英国制造』。



様々な種類の時計が。



『清.象牙扇扇雕人 中国制造』。
日本のからくり時計に似ていた。



『清.铜鎏金花瓶盆景表 英国制造』。



鎏金塔式時計は並ぶ。



石製時計、上部に太鼓か?



『世界文化遺产 清沈阳故宮』。



『西路』の『扮戏房』を見る。



『沈阳路』沿いに並ぶ土産物屋。



『西大門』に向かう。



『西大門』。



『西路』券売所。



『西路』入口。ここにも『沈阳故宮』の文字が。



東に進むと再び『沈阳故宮博物館』が右手に見えた。



右手に真っ赤な衣装の『シルバー』ダンス集団が演技中であった。



アクティブシニアライフを楽しむ方々は何処も元気そのもの。



『獨一麗茶館』



沉阳路と朝阳街の交差点から。



瀋陽故宮博物院を出て瀋陽路を東へ進むと、復元された撫近門(大東門)がデンと構え、
道路をまたいでいた。
瀋陽は満州族の故地にあり清帝国最初の都・盛京として、清代を通じて重視された。
そのため城壁・城門の規模も雄大であり、門の扁額に満州文字が使われているのも特徴的であった。
内城は方形、外城は円形というのも珍しい。中華の概念である“天圓地方”を実現したものとされる。
例によって新中国成立後、大躍進期に土法炉を作る等の為城壁の煉瓦は利用され、基礎部分を
残して完全に撤去された。
現在は大東門・大西門のみ復元されているが、高さ・容積とも往時の威容を彷彿とさせるものがある。
内城の城壁高3丈5尺(約11.2m)、周囲9里332歩(約4.85km)、8門を開く。
康煕19年(1680)に造られた円形の外城は高さ7尺5寸(約2.5m)、周囲32里48歩(約18.5km)、
同じく8門を開く。



『瀋陽路』を進む。



右手に地下鉄『中街』への入口が。



そしてこの日の昼食会場へ。



この日は焼肉屋でビビンバ料理を楽しむ。



キムチ、野菜サラダ。



ビビンバ。



よくかき混ぜて。



冷麺も。



巻きずし、餅菓子も。



                             
                              ・・・​もどる​・・・

                  ・・・​つづく​・・・





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2019.11.01 23:59:52
コメント(1) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
別の画像を表示
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、こちらをご確認ください。


Re:『中国・東北地方7名所大周遊8日間』の旅へ:4日目(6/22-5)                 オジン0523 さん
肖像画は、太祖?
二代目の太宗では、ホンタイジ (2019.07.19 10:04:25)


© Rakuten Group, Inc.