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JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.08.03
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カテゴリ:海外旅行
『日本人街』の散策を終え、バスに乗り、この日の最後の観光の渤海湾の隅に浮かぶ
『棒棰岛(棒槌島・ぼうすいとう)眺望』に向かう。
『仲南路』を利用してバスは進む。
左手にあったのは『亲宝贝海澜幼稚园』。



安全色・黄色のスクールバス。



『山峦路(さんらんろ)』を走る。
『峦』は「えんえんと連なる山々、くねくねと続く山並み」の意と。
亦山(またやま)そして亦山ということか?
信号停止線が車線ごとに中央に向かって、少しずつ後方に下がっているのであった。
理由は??



道路の法面には巨大なキノコが。



『绿水青山就是金山银山(緑水青山就是金山銀山)』と書かれた石碑。
2005年、当時浙江省党委員会書記だった習近平総書記が初めて
「緑の山河は金山・銀山にほかならない」という理念を提起したのだと。
第18回党大会以降、習近平総書記はさらに繰り返しこの理念を強調した。
例えば、2013年にカザフスタンを訪問した際、次のように述べたと。
「われわれは緑の山河を必要とし、金山・銀山も必要としなければならない。
金山・銀山より緑の山河を必要としなければならず、
しかも緑の山河は金山・銀山にほかならない。」
「緑の山河は金山・銀山にほかならない」とは人間本位の民生思想を体現し、
人間と自然の調和的共生の法則を順守し、党と政府が大いに推進するエコ文明建設の鮮明な
態度と確固たる決意を生き生きと表しているのだと。



ここが『濱海北路』からの入口。



遠くに『大连棒棰岛宾馆(バンチュイアイランドホテル)』が見えて来た。



『大连棒棰岛宾馆(旧東山ホテル)』があり、国賓館として、中央政府の要人が 来る時に、
いつもここに宿泊していたらしく、周恩来も鄧小平もよく来ていたのだと。



昨年、2018年5月7、8日に北朝鮮の金正恩委員長の2度目の訪中となった際に
中朝首脳会談を行い、宿泊しているのがこのホテル・『大连棒棰岛宾馆(旧東山ホテル)』。



面白い形状の石のモニュメント。



そして黄海が眼下に見えて来た。
黄河から運ばれる黄土により黄濁している部分があることから黄海と呼ばれている。
黄海は太平洋の縁海であり、広義の東シナ海の一部である。
北西側では、山東半島と遼東半島の間の渤海海峡を通じて渤海とつながっている。
北東は遼東半島と朝鮮半島の間に西朝鮮湾(西韓湾)が入り込んでおり、その湾奥に
鴨緑江が河口を作っている。水深は平均44mと浅く、大陸棚となっている。
北は遼東半島から、南は揚子江河口までにまたがっている。



中国は昔から「黄」の文字が大切にされて来ているのだと。
中国の最初の皇帝は「黄帝」と呼ばれ、文化の発祥地が「黄土高原」であり、中華民族の
ゆりかごの地が「黄河」であり、黄帝の子孫の肌色は「黄色」であるなど、黄色の色は
古くから中国伝統文化とは切り離せない縁があるとのこと。
宋代(960年 – 1279年)から清代(1644年 – 1912年)までの中国では、黄色は皇帝・皇位を
表す色として尊ばれ、皇帝以外の使用が制限されたと。
黄色が皇帝を表す理由に、「黄」と「皇」の発音huáng)が同じだからとのこと。

白い帆のヨットが静かに。



『棒捶岛』周辺の地図。



海岸から500mのところに、切立った小島があり、遠くから見ると、農家で使われる
衣服を叩く棒のように見えることから、『棒捶岛』と呼ばれていると。
棒棰島は大連市の東南部海浜に位置し、市街区より少し離れた国賓館リゾート地。
海に面して別荘が多い静かな所で、海の正面近くに小さい島があり、名前が『棒捶岛』。
この島に関して美しい伝説が残っていると。
棒棰というのが朝鮮人参の意味、島の形が朝鮮人参に似ているからこの名前が付けられたと。
又は農作物を叩く道具に似ているからという由来もあるのだと。
春にはアカシアが咲き乱れ、夏には美しい砂浜と緑地が共存。
中国の要人たちの避暑地としても知られている。中国中央政府の重要会議もここで開催されると。
園内にはホテルと別荘(一戸建て)があり、9ホールのゴルフ場もあるのだと。
山、海、島、礁の自然景観に恵まれた場。棒棰島ホテルが三つ星クラスで、1959年に出来た
古いホテル。始めは東山ホテルと言い、政府が投資したホテルであったと。
国賓館として、中央政府の要人が来たらここに宿泊、かつて周恩来、鄧小平もよく来ていたと。
本館以外に13棟の別荘があり、毛沢東と周恩来それぞれ使った別荘が残っていると。
1977年から”棒棰島ホテル”と名づけたと。



島の先端をズームで。十数m?の断崖絶壁。



眼下の陸側には釣り場も造られていた。



ズームで。



遠く黄海に浮かぶ左から『ニ山島』、『三山島』、『大山島』が微かに見えた。



見学を終え帰路に。道路脇の見事な植栽。



『濱海北路』からの入口前を再び。



『迎賓路』を走る。



往路と同じ『山峦路』を戻る。



『仲南路』を右に行くと『朝阳路』。



『ニ七広場』のロータリーを右折する。



バスが路面電車を追い抜く。



いろいろな型式、色の路面電車をバスの車窓から。



懐かしい型式のマイクロバスが再び。
『王府学校』の文字があったので、学童の送迎用であろう。



『華東街』の201路の『華東広場駅』から路面電車の一部区間体験乗車に。
大連には現在2系統(201路・202路)の路線があり、市街を東西に走る201路(201系統)は、
日本車輌製の戦前型電車が走る路線として有名で、沿線には旧満鉄本社をはじめ戦前からの
建物も多く、昔日の面影を感じられる路線。
料金は乗車するときに支払う方式なのであった。
幸い、乗った電車はかなりの旧式型の電車。
大連は路面電車以外にも、BRT(bus rapid transit、バス高速輸送システム)あり、
トロリーバスあり、郊外電車あり、かつ地下鉄もと、バラエティに富んだ交通網が
楽しめる街であるようだ。



それほどの混雑もなく。



旅友もカメラを持ってお疲れで居眠りモードに。



『三八広場』で路面電車を下り、再びバスに乗る。



そして大連駅北口に近い『大連日航ホテル』に到着。時間は17:20過ぎ。



ホテルのフロントロビー。



我々の部屋。



ベッド。もちろんダブルではなくツゥイン。



部屋の窓からの眺め。



そしてしばしの休憩後、バスにてこの日の夕食会場に向かう。
大連北口駅前の『長江路』を進む。



『新开路』沿いの夕食会場に到着。



美しいボタン(牡丹)?の刺繍。



こちらにも。



夕食は四川料理。



山盛りで皆さん食べきれずに。



長いあご髯がトレードマークの三国志の『関羽(かんう)』であろうか?
見事な鬚髯(鬚=あごひげ、髯=ほほひげ)をたくわえていたため、
諸葛亮からは「髯」殿と呼ばれ、『三国志演義』などでは「美髯公」などとも呼ばれた武将。



そしてこの日のホテルに向かってバスは進む。
前方に『大连站』が見えて来た。



『长江路』から見た『大连站』。
『大连站』は瀋陽鉄路局の大連鉄路支局が管轄する一等駅。
瀋大線、哈大線が乗り入れている旅客列車の始発駅。
毎日、約80本の旅客列車が発着する。
また、大連快軌3号線や大連市電201系統、トロリーバス101系統も当駅に接続している。
満州国時代に建てられた駅で、日本の上野駅がモデル。南側には広大な勝利広場があり、
2階が出発、1階が到着と空港のようなつくりになっている。
北口も作られ、そこは凱旋広場と呼ばれ、開発区へ行く大連快軌3号線の出発駅もある。



そして一旦ホテルに戻り、この日のオプショナルツアーの『大連夜景鑑賞』に
向かったのであった。

                              ・・・​もどる​・・・
                  
                  ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2019.11.02 00:05:52
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