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JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.12.21
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カテゴリ:国内旅行
「八代城跡」を楽しんだ後は、この日の次の目的地の鹿児島県南九州市知覧町にある
「知覧特攻平和会館」を目指してひたすら南下する。
時間の関係上、高速道路の「九州縦貫自動車道」を利用するために「八代IC」に向けて
国道3号を進む。



現役の頃、何度となく訪れた日本製紙(株)八代工場の大きな煙突が見えた。
昔は十條製紙(株)であったが1993年(平成5年)に山陽国策パルプ(株)と合併し、
日本製紙(株)に。そして2003年(平成15年)に日本製紙(株)と大昭和製紙(株)が正式に
合併し「新生」日本製紙が誕生したのであった。



そして八代ICから九州縦貫自動車道に入る。



鹿児島、宮崎方面に向かって進む。



トンネルの多い九州縦貫自動車道を進んでいくと、「えびのPA」の先で前方に
「霧島錦江湾国立公園」にある「夷守岳(ひなもりだけ)」の姿が現れた。
夷守岳(標高: 1,344mは、宮崎県小林市の南西部にある山で、霧島山の北東端に位置している。
山麓から見上げると裾野を広げた雄大な山容で、生駒富士とも呼ばれている。
山全体が深い緑に覆われており、霧島山の中にあっては、ひときわ目立つ存在の山である。



そしてその右手には甑岳(こしきだけ 1301m)、韓国岳(からくにだけ 1700.3m)、
えびの高原、白鳥山(しらとりやま 1363m)の姿が。



「えびのJCT」を直進して鹿児島方面へ。



更に南下していくと、左手前方に「鹿児島空港」の「ドップラーレーダー」が見えて来た。



そして「桜島」が姿を現した。



「桜島」をズームして。



「加治木JCT」手前からの鹿児島県姶良市の山々。



鹿児島湾(かごしまわん)の姿が。
鹿児島湾は、鹿児島県の薩摩半島と大隅半島に挟まれた湾。
鹿児島県では錦江湾(きんこうわん)の名称で古くから呼称されている。



そして再び桜島を、噴煙も確認できた。



「高倉展望台」が山の上に。
標高125mの高台から眺めると、スケール感のある風景がひろがっていると。
山側の緑、活気を感じる加治木の街並み、錦江湾、桜島が一枚のフレームにすっきりと
収まるのだと。



こんな光景が見えると、ネットから。

鹿児島県/姶良・伊佐地域の宝写真集(姶良市)
   【https://www.pref.kagoshima.jp/an01/2013hp/airashisyashin.html】より

桜島をカメラで追う。



「九州自動車道」の鹿児島料金所を通過。



そして指宿スカイライン指宿有料道路の山田料金所を通過。



南薩縦貫道を進み「南九州知覧IC」から一般道を東に進む。



そして「南九州市コミュニティセンター 知覧文化会館」前の駐車場に車を駐めて
散策開始。時間は15:23過ぎ。



最初に訪ねたのが「ミュージアム知覧」。



「ミュージアム知覧」案内板。
「ミュージアム知覧」では,「交錯する文化の波」をテーマにして、音や映像で楽しむ
シアターや比較民族、武家屋敷、知覧城跡、薩摩のかくれ念仏などについて、
わかりやすく紹介していた。



まずは「続日本百名城 知覧城」のスタンプを頂きました。



「知覧特攻平和会館」を訪ねた。
ここを訪ねるのは今回で3回目。



「ミュージアム知覧」とのセット券を購入し入館。
ここロビーと「零式戦闘機展示室」のみ撮影可能なのであった。



「知覧鎮魂の賦」
紅蓮の炎をあげて燃える隼の機体から特攻隊員の魂魄を6人の飛天(天女)が救い出し
昇天させる姿を表したもの。
(高さ3メートル幅4.4メートルの信楽焼陶板壁画) 宮崎市/仲矢勝好氏画。



「特攻平和会館について
この特攻平和会館は、太平洋戦争の末期、沖縄決戦において、特攻という人類史上霊を見ない
作戦で、爆弾搭載の飛行機もろとも肉弾となり、一機一艦の突撃を敢行した多くの特攻隊員の
遺品や関係資料を展示しています。
私たちは、特攻隊員たちの崇高な犠牲によって生かされ、国は繁栄の道を進み、今日の
平和日本があることに感謝し、特攻隊員のご遺徳を静かに回顧しながら、再び日本に特攻隊を
つくってはならないという情念で、貴重な遺品や資料をご遺族の方々のご理解、ご協力と、
関係者の方々のご協力、ご支援で展示しています。
特攻隊員たちが帰らざる征途に臨んで念じたことは、再びこの国に平和と繁栄が甦ることで
あっただろうと思います。
この地が特攻隊の出撃基地であったことにかんがみ、雄々しく大空に散華された隊員の慰霊を
とこしえに顕彰し、当時の真の姿、遺品、記録を後世に残し、恒久の平和を祈念することが
基地住民の責務であろうと信じ、ここに平和会館を建立した次第であります。」



「平和の世界へ」。
満開の桜並木の奥に知覧特攻平和会館や開聞岳、太陽が配置さらその上に特攻機が飛ぶ様子が
描かれた影絵。(レプリカ)
作者「藤代清治」氏が知覧を訪れ構想を練り、特攻戦死した友人を思い制作し2016年7月に
完成した作品。作品は、会館につながる満開の桜並木や薩摩半島南端にある開聞岳の上で、
特攻機が飛ぶ様子を描いたもの と。
高さ1.8m、横2.2mで裏側からLED照射。



頂いたパンフレット(表)。
「知覧特攻平和会館」は第二次世界大戦末期に編成された大日本帝国陸軍航空隊の特攻に
関する資料を展示している。写真、遺書などの遺品約4,500点、特攻隊員の遺影1,036柱
などが展示されている。その展示されている遺影、遺品の多くは、知覧特攻平和会館
初代館長板津忠正(元特攻隊員)が集めたものである。
また、知覧特攻平和会館が建てられている場所とその周辺は、知覧平和公園として
整備されている。



頂いたパンフレット(裏)。



館内平面図。
ロビーの壁にも多くの展示品が掲げられていた。



まずは「零式戦闘機」展示室へ。
この零戦は、昭和20年5月鹿児島県甑島の手打港の沖約500m、水深約35mのところに
海没していたものを知覧町(当時)が昭和55年6月に引き揚げたものであると。
機体は35年間海中にあり、腐食が進んだ姿だが、往時をしのぶ姿をとどめているのであった。
機体は旧海軍の零式艦上戦闘機52丙型で、20ミリ機銃2門、13ミリ機銃3挺を装備していた と。



正面から。
プロペラはハミルトン定速3翅 直径3.05mであると。



全幅:11.0m 全長:9.12m 全高:3.57m 自重:1,970kg 正規全備重量:2,955kg
最高速度:560.6km/hr(高度6,000m)航続距離1,920km
とウィキペディアより。



プロペラ用の発動機は栄二一型(離昇1,130hp)。



曲がってしまっているプロペラ(紫電改)
紫電改(しでんかい)は、太平洋戦争期における大日本帝国海軍の戦闘機である。
紫電(N1K1-J)の二一型以降が紫電改と呼称される。
局地戦闘機紫電は、水上戦闘機「強風」を陸上戦闘機化したもので、紫電二一型は強風に
ちなんだ中翼配置の紫電を低翼に再設計した機体であり、紫電改は新機軸の設計
(自動空戦フラップ、層流翼)が特徴であった と。



零戦の模型。



「海軍 零式艦上戦闘機
この飛行機は、旧海軍の主力戦闘機として使用されていた零式鑑上戦闘機52丙型です。
鹿児島県の甑島(薩摩川内市)の手打港沖合に、昭和20 ( 1945 )年5月にエンジントラブルに
よって不時着水し、水深約35mの海底に沈んでいたもので機体の前方部分だけが残っています。昭和55 (1980)年6月、知覧町(現.南九州市)によって35年ぶりに引き揚げられました。」



機体の前方部分。



前翼。



後方から見る。



陸軍乙式ー型偵察機、陸軍中島式五型練習機のプロペラも展示。



「陸軍乙式ー型偵察機
全幅: 11.767 m 全長: 8.624m 全備重量:1500kg 乗員: 2名最大速度: 182km /時 実用上昇限度: 5800m 機銃: 7. 7mm銃X2
発動機:サルムソン9Z水冷式星型9気筒230HP
プロペラ:レジー木製2翅」



「陸軍中島式五型練習機
全幅: 12.85 m 全長: 7.60m 自重: 780 kg 搭載量: 350kg 乗員: 2名
発動機:ホールスコットA・5水冷直列6気筒 150HP」



「131ミリ機銃」。



工具箱。



20ミリ、13ミリ機銃。



20ミリ、13ミリ機銃を正面から。



反対側にも。



子供たちの多くの願いが。



映画「ホタル」のポスター。
平成13年夏に上映された「ホタル」は、生き残った元特攻隊員とその妻(高倉健、田中裕子)を
通して、観る人に特攻の人たちの思い、相手を思いやる夫婦の愛情などを伝える映画。



「俺は、君のためにこそ死ににいく」。



そして次に「​遺品室​」👈リンク へ。
以下の展示室は撮影禁止ですので「知覧特攻平和会館」のフロアページにリンクさせて
いただきました。

ここには、陸軍沖縄特攻作戦で亡くなられた1,036名の隊員の遺影が、出撃戦死した月日の順に
掲示されていた。また、立体ケースには家族・知人に残した遺書・手紙・辞世・絶筆などが
展示。その他にも、陸軍一式戦闘機「隼」や、鳥浜トメさんをはじめとする生き残った人たちの
証言映像「残された者から」、当時の知覧飛行場を再現した模型「知覧の空」、当時の様子が
記録された映像「出撃から突撃」などがあった。

「​疾風展示室​」👈リンク 

「​戦史資料展示室​」👈リンク 

「​企画展示室​」👈リンク 

「​震洋艇展示室​」👈リンク

「知覧特攻平和会館」を後にして、特攻資料で最も心に響いたことの一つとして、
数え切れない数の遺書・手紙類が保存され、そしてそれらが愛する者・家族等へ送られたと
いうこと。驚くべきことに、遺書・手紙類の多くが前向きな内容のものであり、愛する者の幸せを
願ったものや、過去を(そして隊員の死を)振り返らないで立ち止まらないでほしいといったもの。
彼らは、自分自身の勇敢さと国を想う精神が導く天国の存在を心から信じている、と
語り綴っていたのであった。これらの美しくも悲劇に満ちた遺書・手紙類の存在、そして、
すべての特攻隊員は、抱えている境遇も個性も異なるということ.。
そして全てが想いの籠もった達筆なのであった。
「知覧特攻平和会館」は戦争のこうした側面を明確に教えてくれる意義深い場所であったのだ。
犠牲になられた全ての兵士たちが永久に平和の中で安らかに眠り、残された者たち、子供たちが
永久に平和な世の中で生きて行けることを祈るのみであった。

合掌!!





                              ・・・​もどる​・・・


                  ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2021.12.24 07:38:26
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