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カテゴリ:茅ヶ崎市歴史散歩
【茅ヶ崎市の神社仏閣を巡る】目次
「白峰寺」の境内の散策を続ける。 ペット共同墓地には「想い出」碑があった。 ![]() 合同で火葬を済ませたペットを埋葬するための墓。また、希望により 「納骨堂に安置されていたペットの遺骨を土に返したい場合」もこの墓に 埋葬出来るのだと。 ![]() 「●お線香は左後ろのガラス台にあります。 ●お供えの食べ物などはココにあるボックスに入れて下さい。外に置くと すぐにカラスが来て散らかします。 ●お墓の前などで紙などを絶対に燃やさないで下さい。火種が飛び非常に危険です。 ●防犯カメラ作動中です。」![]() 「本堂」の左側の一段高い場所にあったのが「地蔵堂」・ ![]() 「地蔵様」をズームして。 ![]() その隣には「太子堂」。 ![]() 「弘法大師坐像」。 相模国準四国八十八ケ所 第81番札所 正面に「四国八十八ヶ所之内本地千手観音第八十一番讃州白峰寺写文政三辰年(1820)十二月吉日」 の銘があった。 御詠歌:かしらには 月日の霜を いたヾきて 數の御寺を めぐるうれしさ。 ![]() 石碑群。 左には「馬頭観世音」碑。 ![]() 「萬霊塔」。 ![]() 「本堂」横の参道には両脇に墓石が並んでいた。 ![]() 多くの陸軍戦死者の墓石であった。 ![]() 墓地の左側には無縫塔も並んでいた。 歴代住職の墓であろう。 ![]() そして「本堂」裏の参道を進む。 「本堂」と新客殿「隨雲殿」間の回廊が右手下に。 ![]() 右手新客殿「隨雲殿」の横には休憩所が。 ![]() そして「諏訪神社」。 ![]() 正面から。 「諏訪神社」は、「下寺尾諏訪神社」とも。 創建年代や由緒は不詳。当社はもともと、曹洞宗白峰寺の東側に鎮座していた。 明治時代末期に堤地区の諏訪神社、行谷地区の金山神社、下寺尾の諏訪神社の三社が合祀され、 現在の建彦神社となった。 合祀以後、旧諏訪神社については白峰寺の一角に神社記念碑が残されるのみとなった。 昭和60年(1985年)、神輿が制作、完成したことをきっかけに、白峰寺の一角に 神輿殿が造られた。 さらに平成6年(2004年)5月、建彦神社より御霊分けをし、社殿がここに設けられ、再建された。
御祭神は建御名方命とされる。 ![]() 横にあったのが「神輿殿」。 ![]() 「下寺尾諏訪神社」の「神輿」👈リンク をネットより。 ![]() 鳥小屋もあった。 烏骨鶏(うこっけい)に似ていたが。 ![]() 「諏訪神社遺跡紀念碑」。 ![]() 「道祖神碑」。 ![]() 「祈願町内安全 道祖神」。 昭和五十三(1978)年。 ![]() 「双体神祇道祖神」碑。 安永八(1779)年。 ![]() 「掲示板」。 「全て行動だよ 考えていてもどうしようもない」。 ![]() 「白峰山」を後にして、「小出中央通り」を東に進み坂道を上って行った。 ![]() そして左折し北に向かう。雨がポツポツと落ちて来た。 ![]() トキワマンサク(常葉万作)の大きな樹が満開。 ![]() その先にあったのが「茅ヶ崎新北陵病院」。 ![]() そして茅ヶ崎市行谷のT字路を左折して「宝蔵寺」に向かった。 ![]() 先のT字路を右手に50mほど進むと、左手の山の斜面にあった道祖神。 「行谷長久保の道祖神」。 茅ヶ崎市行谷245。 ![]() ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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