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カテゴリ:茅ヶ崎市歴史散歩
【茅ヶ崎市の神社仏閣を巡る】目次
「腰掛神社」を後にして東に進むと民家の入口の横にあったのが「権現様」。 神奈川県茅ヶ崎市芹沢1722。 ![]() さらにスマホの案内に従い「芹沢石仏石像群」に向かって進む。 途中、民家の庭にあった八重桜。 ![]() そして「茅ヶ崎市斎場」の入口前を通過し東に進む。 ![]() 左手の丘の上に見えたのが「慶應義塾湘南藤沢中等部・高等部」の校舎。 ![]() そして四辻の手前右手にあったのが「芹沢石仏石像群」。 神奈川県茅ヶ崎市芹沢。 ![]() 歴史を感じさせる多くの石碑が並んでいた。 ![]() 左手には石仏の姿の有る石碑が。 ![]() それぞれに近づいて。 頭が補修の為に繋がれたようだ。何かを持っていたのであろうか。 ![]() 「正徳三癸巳(1713)十二月十一日」と。 ![]() 「宝永七庚寅(1710)」と。 ![]() 削ぎ取られた如くに。 ![]() こちらも。 ![]() 「正徳(1711~1716)」の文字が。 ![]() 「芹沢石仏石像群」を後にして畑の畦道を進む。 ![]() 路地の角にあった神社。 二つ並んだ小祠のうち、左側が「宇賀神(はっとりさま)」と呼ばれていると。 ![]() こちらは石祠道祖神(流造)であろうか。 ![]() 左の社の中にはユニークな形のものが。 ![]() 内陣には左右に四体の蛇のような像が祀られていた。 「宇賀神も突き詰めれば不思議な神様ではありますが、一般的には穀霊・稲霊と考えられていて、 稲の豊作をもたらす水神としても受け止められ、このように蛇体で現されることの多い神なのだ。 しかし、ここ芹沢の宇賀神がなぜ「はっとりさま」と呼ばれているのかは良くわからないそうです。 「はっとり」にどのような字をあてるのかも定かではありませんが、「はっとり」は機織りに 由来する「服部」なのでしょうか。 宇賀神と稲荷の祭神:宇迦之御魂神は同一視されることも多いのですが、この稲荷神は 養蚕・機織りなどに精通していた秦氏が信仰していた神であり機織りの神としても 知られています。また、古代において諸国の織部を統率していた服部連は秦氏同族とも 言われているので、そういう意味では宇賀神と「はっとり」との間に全く関係が無いとは 言えないのですが……ちょっと良くわかりません。水辺で機を織る巫女と水神の関係は 民俗学者の折口信夫氏が言及して久しいですが、あるいはそのあたりと何かしらの繋がりが あるのかもしれません。」とネットから。 ![]() 柿園の中を進む。 ![]() 次に訪ねたのが「芹沢大谷の庚申塔と道祖神と地蔵」。 石鳥居の奥に石祠と社が。 神奈川県茅ヶ崎市芹沢411。 ![]() 内陣。 ![]() その横には道祖神、石仏が並んでいた。 ![]() 右から 「兜巾型文字道祖神」 明治二十二(1889)年 台座の横にあった五輪塔の水輪(丸石)と頭部(繭玉石)は道祖神には付き物。 ![]() 「青面金剛庚申塔」 上部欠損は悲しい。 廃仏毀釈の嵐は、地蔵の首狩りと双体道祖神の切断の形がが多く見られるのだが。 ![]() この地蔵尊も首を刈られていたのか、セメントで補修の痕が。 ![]() 民家の入口にあった庚申塔。 茅ヶ崎市芹沢308。 ![]() 文字庚申塔。 下部に三猿が削られた痕跡? ![]() 近くにあった「山王神社」。 ![]() 石鳥居の横から。 ![]() そして今度は梨園の中を通過。 ![]() たわわに咲く梨の花。 ![]() 「芹沢スポーツ広場 野球場」の横を進む。 ![]() そして再び畦道に案内される。 ![]() そして大きな民家の塀の前にあったのが「延命子育地蔵堂跡」碑。 ![]() 民家の庭には立派な鯉のぼりが。 ![]() これが寺の山門の如き民家の門。 ![]() ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.04.03 10:50:53
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