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JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.05.20
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カテゴリ:茅ヶ崎市歴史散歩
​【茅ヶ崎市の神社仏閣を巡る】目次

「文教大学 湘南キャンパス」を後にして「文教大学入口」交差点を右折して
「小出中央通り」を西に進む。
前方左手に「建彦神社(たけひこじんじゃ)」の看板が見えた。



「建彦神社」と。



そして「小出中央通り」を左折して進むと再び別の案内板が姿を現した。



建彦神社⬅入口」と。



そして脇入口の石鳥居が正面に。
神奈川県茅ヶ崎市堤3580。



「建彦神社新築寄付金芳名」碑。



「建彦神社 社務所」。
社務所はあったが、基本は無人だと思われる。その社務所玄関上にあった神紋は、
武田菱が二つ連なっている珍しい紋。



建彦神社は、神奈川県茅ヶ崎市堤にある神社。現在は第六天神社の兼務社である。
南側は、小出川に注いでいる駒寄川が、東から西へ流れ、谷戸を形成している。
岡の尾根筋に当るところを通る県道 47号線(小出中央通り)や、谷戸を東西に延びる道路からは
未舗装の細い道路が通じていた。
明治43年(1910年)、堤の諏訪神社、行谷の金山神社、下寺尾の諏訪神社が合祀して創立された。
例祭は8月最終日曜日と。
建彦の由来は、諏訪神社の御祭神である建御名方命(たけみなかたのみこと)の「建」と、
金山神社の金山彦命の「彦」をとり、命名されたという。
御祭神は、
・建御名方命(たけみなかたのみこと)
・金山彦命(かなやまひこのみこと)
・下照姫命(したてるひめのみこと)
・大日孁貴命(おおひるめのむちのみこと)
・総明玉命(ふさあかるたまのみこと)
・国常立命(くにのとこたちのみこと)
・澳津彦命 (おきつひこのみこと)
・天照姫命(あまてらすひめのみこと)
・大国主命(おおくにぬしのみこと)
・菅原祇命(すがわらつみのみこと)
・大山祇命(おおやまつみのみこと)
・誉田別命(ほんだわけのみこと) と盛り沢山。

総明玉命(ふさあかるたまのみこと)は玉作連、玉祖連の遠祖である櫛明玉神・天明玉命などとの
関係を連想させるが、不詳。
天照姫命(あまてらすひめのみこと)は天照大神を連想させるが、天照大神を天照姫命と表記する
例は少ないと思われる。下照姫命との対照かもしれないが、稚日女尊のこととも考えられる。
菅原祇命(すがわらつみのみこと)の神名も珍しい。該当するのは菅原道真だけだと思うが、
道真をこのような神名にする例は他にないと思われる。
昭和30年(1955年)8月浅草翠雲堂謹製の鐘がある。鳥居と階段は、昭和63年(1988年)に
社殿落成記念として奉納されたもの。



唐破風下の彫刻。



龍の彫刻も見事。



扁額「建彦神社」。



「脇障子」(右)。



「脇障子」(左)。



「建彦神社」の「拝殿」前から境内を振り返る。
銀杏の新緑が美しかった。



境内にあった「石祠」。



「神楽殿」。



「鐘楼」。



「梵鐘」。「講和記念」の文字が。
浅草翠雲堂謹製の鐘であると。



「建彦神社」の文字が。



「昭和三十年八月」の文字が。



こちらが「一の鳥居」。
鳥居と階段は、昭和63年(1988年)に社殿落成記念として奉納されたものとのこと。



「建彦神社」を後にして、再び「大岡越前通り」に出て右折し西に進む。



左手にあったのが建設中の「茅ヶ崎市歴史文化交流館」。



そして前方にあったのが「宗泉寺」。
神奈川県茅ヶ崎市下寺尾2085。



RC作りの「真言宗大谷派 宗泉寺」。



宗泉寺の建物は中古の住宅をリフォームしたものであると。
2004年6月から活動開始と。



境内のツツジは美しかったが、境内に石碑や石仏の姿はなかった。



そして来た道を戻ると右手にあった「茅ヶ崎市歴史文化交流館」を再び見る。
今年の夏頃のオープン予定であると。
神奈川県茅ヶ崎市堤3780。



周辺の遺跡や重要建造物とも連携して、茅ケ崎の自然や歴史、文化を気軽に学べる博物館として
開館を目指すと。
交流館は広さ約6600m2の敷地内に建てられ、鉄骨一部2階建て総面積約2000m2。
東側半分を収蔵庫とし、西側半分に展示室や市民交流スペースを設ける。
敷地内には広場や26台収容の駐車場も整備するとのこと。



次に「池端道祖神兼庚申塔」を訪ねた。
神奈川県茅ヶ崎市下寺尾2140−3。



左から文字庚申塔。
「庚申講中 九人」の銘
その右は不明の石塔
願主名のみの面が正面に。
この二基は双体道祖神兼庚申塔の建立碑の可能性もある。



その右側に双体道祖神が2体。
右は天明六(1786)年 庚と刻まれていた。
左も天明六(1786)年 申と刻まれていた。



池端道祖神兼庚申塔
下寺尾ニ一三四番
市内に道祖神は約九十九体、庚申塔は約九十四体あるが、両方に数えられるのは数少ない。
彫刻は同時にされたものと思われるが、もとは池の南側と北側に祭られていた。
明治初年比処に移され共に池端の守りとして栄えている。
勘重郎堀発端の地
昔安永年間、香川村名主三橋勘重郎は天水場で川の無い香川村の田地ニ十五町歩に灌漑の水を引く
為苦労した。
隣村下寺尾は水は豊富だ。併し殿様も違い村も違う下寺尾の水を貰うのは至雉の業だ。漸くにして
下寺尾の了解を得て難工事に着手した。下寺尾の村民は快く之を受け入れ共に工事を手伝った。
足掛け三年、水路四尺、両側通路六尺宛の堀は出来た。満々たる水は遙か香川村まて流れて
行った。
今は埋まって通路となっているが、此処が堰をして水を揚げた処である。」



そして「旧和田家住宅」に向かって進む。



道路脇にはピンクの芝桜が。



紫色のムラサキツユクサ(紫露草)。



白色のムラサキツユクサ(紫露草)




                              ・・・​もどる​・・・


                   ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2022.05.20 13:35:26
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