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JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.09.08
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カテゴリ:JINさんの農園
ーー​​​​​がこの日・(その28)の散策ルート。



YOKOHAMA AIR CABIN 運河パーク駅」。



約30m間隔でキャビン(ゴンドラ)が動いていた。
1分間隔で出発、約5分で桜木町駅に到着すると。
キャビン(ゴンドラ)は世界的に知られたスイスの「CWA社」製を採用。



横浜ナイトビュークルージング発着所近くから「横浜みなとみらい21」地区の高層建物群を見る。



1993年:「横浜ランドマークタワー」開業。
1997年:「クイーンズスクエア横浜」(24街区)開業。



1999年 「よこはまコスモワールド」(15・23街区)正式開業
    (観覧車コスモクロック21も移転)。



次々と来る
「YOKOHAMA AIR CABIN」のキャビン(ゴンドラ)を見上げる。



汽車道に架かる「港3号橋梁」が手前に。
汽車道に3つ連続するかつての鉄道橋のうち、旧横浜駅(現・桜木町駅側)から3番目にあり、
もっとも小さな橋が港三号橋梁。明治39年に架設された北海道炭礦鉄道夕張線の夕張川橋梁の
100フィート鈑桁橋(鋼ワーレントラス橋)で昭和3年、横浜生糸検査所引込線の大岡橋梁として
転用されたもの。



左に「汽車道」の線路、右に「港3号橋梁」



汽車道は、ここがかつての軌道敷きを利用して作られた道なのである。
ここは1998年に整備され、桜木町駅前から三基のトラス橋を渡り、新港地区の横浜ワールド
ポーターズ前へと通じている。さらに、その先の山下臨港線プロムナードへと続き、桜木町から
港の見える丘公園に通じる「開港の道」の一部となっている。
「高島貨物線」の桜木町駅の手前から左に枝分かれした「​横浜臨港線​は3つの鉄橋を渡り、
横浜港駅へと向かった。
この線の開業は古く、1920(大正9)年。今から102年も前である。
現在、横浜港駅までの廃線跡は「汽車道」として、歩道化されている。
高島貨物線(横浜臨港線・山下埠頭線)
軌間 1067mm
開業
​横浜臨港線​
  高島駅(0.0km) - 東横浜駅(1.8km) - 横浜港駅(4.3km)
  1915(大正4)年12月30日 貨物支線 程ヶ谷 - 高島 - 東横浜間(5.31km)が開業。
               (貨)高島駅、(貨)東横浜駅が開業。
1920(大正9)年7月23日   東横浜 - 横浜港間(2.57km)延伸開業。横浜港駅が開業。
 山下埠頭線
 横浜港駅(0.0km) - 山下埠頭駅 (2.0km)
 1965(昭和40)年7月1日    貨物支線 横浜港 - 山下埠頭間 (2.0km) が開業。
                                          (貨)山下埠頭駅が開業。
 廃止
 1986(昭和61)年11月1日    横浜港 - 山下埠頭間 廃線。高島 - 横浜港間の貨物営業を廃止し、
                                            旅客営業路線として存続。
 1987(昭和62)年3月31日      高島 - 横浜港間 (4.3km) 廃線。
※Wikipediaより



海の中にはYOKOHAMA AIR CABIN」の3本の支柱が。



左に見えたのが「万国橋」、「神奈川県警察本部」、「横浜税関」、
「横浜マリンタワー」頂上部。



「汽車道」を「ナビオス横浜(NAVIOS YOKOHAMA)」方面に戻る。
汽車道をまたぐ「ナビオス横浜」、開口部の先の赤レンガ倉庫を遠望する。



「横浜エアキャビン(YOKOHAMA AIR CABIN)運河パーク駅」を振り返る。



「万国橋」交差点には電動アシスト自転車タクシー「シクロポリタン」が走っていた。
シクロ (三輪車)+メトロポリタン (市民) の名前の通り、市民の新しい交通手段となるため、
フランスで2003年から運行していると。
横浜では2012年9月から、小さなお子様からお年寄りまで幅広い年齢の方々の気軽な足として
利用されていると。



新港サークルウォーク
「新港サークルウォーク」は、国際大通りと万国橋通りの交差点に架けられた楕円形の歩道橋。
1999年(平成11年)の竣工。橋長は、約225m。



「新港サークルウォーク」は、我が国の近代港湾発祥地である新港地区赤レンガパーク前に
建設されていた。赤レンガパークは、明治~大正当時の建築技術を結集して建設された
赤レンガ倉庫を中心に、港の賑わいと文化を創造する空間として、市民が憩い、楽しむ
賑わいの場となっている。
本「新港サークルウォーク」は、主構が楕円形のダブルワーレントラスとなっており
外側に張り出し床版を設けるという、世界に類例がない構造を採用している。
曲線トラスの外側に路面を設置することで、眺望性を確保し、周囲の建物と直接アクセスする
機能性の高い歩道橋となっています。外装材を設けず、構造デザインを直接見せることで、
鋼構造らしい機能美とコスト縮減の両立を図り、赤レンガ倉庫の残る歴史的景観との調和を
図っているのだと。



「赤レンガ倉庫」が見えた。



現在地はここ。



「横浜赤レンガ倉庫1号館」も見えた。



「横浜ベイブリッジ」も。



そして「横浜港大さん橋国際客船ターミナル」に停泊する巨大豪華客船の姿が。



連絡橋から「新港サークルウォーク」へ



「新港サークルウォーク」での現在地はここ。



「赤レンガ倉庫」案内板。
「20世紀を迎える頃、横浜港は国際貿易の要衝として急速に拡大を続けており、保管、保税に
対応できる倉庫の整備が求められていました。それを受けて、新港ふ頭には、2棟の画期的な
倉庫が建設されることになり、その1棟目が1907年に着工し、1911年に2号倉庫(2棟のうち
大きい方)が、次いで1913年に1号倉庫が竣工しました。当時は横浜税関新港埠頭倉庫と
呼ばれていましたが、やがて赤レンガ倉庫の名で知られるようになりました。防火対策として、
レンガの他にも防火戸や避雷針、消火水栓などの設備が備えられたほか、耐震性の向上のため、
レンガの中に鉄材を埋め込むという当時の技術としては最新の手法が取り入れられました。
関東大震災などの難局をくぐり抜けてきたこのレンガ造りの建物は、横浜港の貴重な歴史、
そして常に発展し続けてきた姿を後世まで伝える存在となっています。」



歩道用の床板が内側のトラス桁橋げたから張り出し、外側に取り付けられた形に
なっていたのであった。
構造的にもデザイン的にも非常にユニークな歩道橋。
平成11年度の土木学会田中賞を受賞したと。
歩きながら、周囲の風景を楽しむには、トラスの鉄骨が邪魔にならない設計。



そして「新港サークルウォーク」を降りると前方に見えたのが「新港ふ頭客船ターミナル」。



「新港サークルウォーク」を振り返る。



「客船ターミナル入口」交差点を渡る。



シーバス ハンマーヘッド (新港ふ頭さん橋) のりば」を見る。



「横浜港新港ふ頭」を東に進む。
サルスベリの花が開花。



赤い花にズームして。



前方左に見えて来たのが「横浜海上保安部」。



「横浜港新港ふ頭5号岸壁」には「横浜海上保安部」の巡視船艇「いず PL31」が停泊していた。



白い花にもズームして。



そして左側にあったのが「ララ物資の記念碑」。



1946(昭和21)年、戦災により何もかもが足りなかった時、横浜新港ふ頭に、ララ物資を

積んだ米国船が到着。積み込まれた食品や衣類などの物資は横浜市内の倉庫、
通称「ララ倉庫」にいったん移され、そこから政府へ引き渡された後、全国の施設等
約1700ヶ所余りに配られたのだと。
ララ倉庫と呼ばれていたのは、旧三井物産横浜支店倉庫。
1910(明治43)年竣工のレンガ造りの倉庫で、横浜に現存する最も古い倉庫建築だった。
2014(平成26)年取り壊しが決まり、貴重な歴史建築として保存運動がさかんに行われたが、
2015(平成27)年解体されてしまったと。
『ララ物資の記念碑』には香淳皇后 御歌が2首。
ララの品 つまれたる見て とつ国の あつき心に 涙こぼしつ
あた>かき とつ国人の心つくし ゆめなわすれそ 時はへぬとも 



左側の石碑のパネルには「ララ」についての詳しい説明があった。

「第2次世界大戦終戦直後の混乱期、日本は衣食住すべてに不自由していた。
こうした中、全米の各宗教団体を中心とする海外事業運営篤志団アメリカ協議会は、
特に日本をはじめアジア諸国の救済事業を行うために『アジア救援公認団体』を設置し、
ミルク類、穀物、缶詰類、油類等の食料をはじめ、衣類、医薬品、石鹸、裁縫材料などの
消費物質のほか、乳牛や山羊などを送り、多くの日本人を救った。
この物資の送り出しにあたっては、当時の在米邦人組織の方々の多大なご尽力もあったと
伝えられる。
この救済物資は、『アジア救援公認団体』の英語名“Licensed Agencies for Relief in Asia”の
頭文字から『ララ』物資と呼ばれ、昭和21年11月30日に『ララ』物資を積んだ
第1船ハワード・スタンズベリー号が、ここ横浜新港埠頭に着岸し、以後昭和27年6月まで
送られ続けた。記念碑の香淳皇后御歌は、昭和24年10月19日に昭和天皇と香淳皇后が
横浜の『ララ』倉庫に行幸啓になられた時に詠まれたものである。」。
この碑は2001(平成13)年、地元横浜の有志によって建てられたものだと。



旧横浜港駅プラットホーム」。
生糸の輸出全盛時代に、新港埠頭と当時の横浜駅(現在の桜木町駅)を結ぶ横浜臨港線として、
明治43年8月15日に開通し、明治44年9月1日に横浜港荷扱所として開業したのが横浜港駅。
大正9年7月23日付で正式に横浜港駅(よこはまみなとえき)となったプラットホームが
横浜赤レンガ倉庫横に、旧横浜港駅プラットホームとして現存。



その先には以前に訪ねた「​海上保安資料館 横浜館​」👈リンクが。
2001年12月22日に発生した、九州南西海域工作船事件。
我が国周辺海域を武装した工作船が徘徊しているという事実を白日のもとにさらし、日本中を
驚愕させに。
工作船に相対峙した海上保安庁の対応から自爆・沈没しに工作船の引き上げまての状況、次々と
明らかになった工作船の実態など、工作船の一般公開を実施しているのであった。



右手奥に「赤煉瓦倉庫1号館」(奥)、「赤煉瓦倉庫2号館」(手前)が見えた。
新港埠頭建設の一環として、明治政府によって横浜税関新港埠頭(保税)倉庫として建設され、
2号館は1911年(明治44年)、1号館は1913年(大正2年)に竣工した。



そして巨大豪華客船「飛鳥Ⅱ」の全貌を見る。
「飛鳥Ⅱ」は、日本郵船の関係会社である郵船クルーズが所有・運航している外航クルーズ客船。
2006年2月に売却された「飛鳥」の後継船にあたる。
1990年6月、同じく日本郵船の関連会社であるクリスタル・クルーズのクルーズ客船
「クリスタル・ハーモニー(Crystal Harmony)」(バハマ船籍)として三菱重工業長崎造船所で
竣工した。その後2006年1月、郵船クルーズが本船を買い取り日本市場向けの改装を施し、
2月末よりの習熟航海を兼ねた日本各地でのお披露目を経て、3月17日に正式デビューした。
「飛鳥II」の船籍港はここ横浜港であり、郵船クルーズの本社所在地もここ横浜市である。



「飛鳥Ⅱ」の右手に「横浜マリンタワー」が見えた。
「飛鳥Ⅱ」の主要仕様は
・就航 - 1990年
・全長 - 241m
・全幅 - 29.6m
・船客定員 - 960人
・乗組員数 - 545人

大型化のデメリットの最たるものは、喫水が深くなることにより、寄港できる港が制限される
ことであると。例えば屋久島は、「飛鳥」では特に秋口には毎週のように寄港するほどの
人気の寄港地であったが、「飛鳥II」では喫水オーバーにより、岸壁に接岸することができなく
なった。2006年以降の「飛鳥II」のスケジュールには屋久島が組み込まれていないのだと。



船首をズーム。



9月、10月の就航予定をネットから。



「横浜ベイブリッジ」。



写真右の「横浜ベイブリッジ」の手前には「大さん橋ターミナル」の先端部が。



「海上保安資料館横浜館」横の岸壁には
「海上保安庁のヘリコプター2機搭載型巡視船「あきつしま」PLH32」が停泊中。



赤レンガパーク」を見る。



旧税関事務所遺構」が左手奥に。



「旧税関事務所遺構(右突堤中央寺務所)
これは大正3年(1914) 5月に建設された税関の事務所遣構です。レンガ造りスレートぶき、
3階建のゴシック様式の建物でしたが、大正12年(1923) 9月1日、関東大震災により床や屋根が焼失したため、復旧されないまま埋めもどされて荷さばき用地となっていました。
「赤れんがパーク整備」のための工事のさいに発見され、現在、花壇として利用しています。しゅん工時、1階には「ガラス張天井」のホールと受付カウンター、2・3階には事務室や応接室、外航船や荷役のための貸事務所がありました。ガス暖房や電気照明も完備されていました。」



そして「ララ物資の記念碑」の手前まで戻る。
現在地はここ。



「港湾局管理の雨水管マンホールの蓋」  
「港湾局 PORT OF YOKOHAMA 1859 雨」の文字が。




                              ・・・​もどる​・・・


                   ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2022.09.09 00:47:25
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