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JINさんの陽蜂農遠日記

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2023.07.24
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カテゴリ:JINさんの農園
さらに「石上神社」の散策を続ける。
正面に「社殿」。



「石上神社」碑。



扁額「奉納 石上神社」。



隣接する「鵠沼石上町内会会館・石上会館」。
藤沢市鵠沼石上2−3−7。



「此の石上神社は別名、砥上明神(とがみみょうじん)と言われました。
鵠沼を中心とした此の辺り一帯は天平時代(七三五年頃)「高倉郡(後に高座郡に)
土甘郷(とがみごう)と呼ばれ、鎌倉時代には「砥上が原(とがみがはら)」と呼び、
西行法師や鴨長明も砥上が原の歌を残してます。
江戸時代に入ると砥上地蔵尊が(一六五五)建立されました。石上神社は此の辺り開発の祖、
鎌倉時代の武士を祀った神社で、藤沢橋から江の島道の、当時は湾曲していた境川沿いに
あった「渡しの舟場」の北側に有り、往来する人たちの守護神として村民は、大明神と
崇めていました。
しかし、水難で度々水に浸り、一九三四年(昭和九年)に現在地の石上通り沿い
(鵠沼石上ニ丁目三番)に遷座され、町の守護神となりました。
戦後の宗教法により、藤沢諏訪神社の分社と位置付けられました
昭和五十ニ年十一月氏子崇敬者の御芳志により、石上神社と隣の石上会館と共に
改築されました。」



この後、訪ねた「石上公園(砥上公園)」にもあった「江の島弁財天道標」案内。
江の島弁財天道標
 市指定重要文化財(建造物) 昭和四十一年(一九六六)一月十七日指定
この石柱は、江の島 への道筋に建てたれた道標(どうひょう)の一つです。
江の島弁財天道標は、管(くだ)を用いて鍼(はり)をさす管鍼術(かんしんじゅつ)を、
江の島で考案したという杉山検校(すぎやまけんぎょう)が寄進したと伝えられています。
現在、市内外に十数基が確認され、市内所在のうちで十二基が藤沢市の重要文化財に指定
されています。いずれも頂部のとがった角柱形で、その多くが、正面の弁才天を表す
梵字(ぼんじ)の下に「ゑ(え)のしま道」、右側面に「一切衆生(いっさいしゅうじょう)」、
左側面に「二世安楽(にせあんらく)」と彫られています。この文言(もんごん)は、
江の島弁才天への道をたどるすべての人の現世・来世での安穏・極楽への願いが
込められています。
市役所新館脇歩道橋付近に建設されていましたが、新庁舎建設にともなう歩道橋周辺の整備により
「江の島道」の路傍にあたるこの地に移設したものです。
平成二十七年(二〇一五)十一月   藤沢市教育委員会」



「石上」の案内。
内容は上記に同じ。



「石上神社」を後にして、鵠沼石上2丁目を北に進む。



前方に「石上公園」が見えて来た。



先程「石上神社」にあった案内書の中の写真の石碑はここにあった。



「石上
鵠沼を中心とした一帯は天平時代(七三五年頃)「高倉郡土甘郷(とがみごう)と呼ばれ、
鎌倉時代には「砥上が原(とがみがはら)」と呼び、西行法師や鴨長明も砥上が原の歌を
残してます。
江戸時代に入ると江の島、大山詣の道筋で賑わった石上舟渡場があり、その北側に砥上地蔵尊
(一六五五)建立されました。此の辺りの開発の祖の鎌倉時代の武士を祀ったといわれる石上神社は、
度々水に浸り昭和九年に現在の地に移されました。」



江戸時代に入ると江の島、大山詣の道筋で賑わった石上舟渡場があり、その北側に砥上地蔵尊
(一六五五)建立されました。



「江の島弁財天道標」。



正面に弁財天を表す梵字「」と「ゑのしま道」。



藤沢市指定重要文化財(建造物)
昭和四十一年(一九六六)一月十七日指定
江の島弁財天道標
この石柱は、江の島への道筋に建てられた道標の一つです。
江の島弁財天道標は、管を用いて鍼をさす管鍼術(かんしんじゅつ)を、江の島で考案したという
杉山検校(杉山和一、一六一〇~一六九四)が、寄進したものと伝えられています。
現在、市内外に、十数基が確認され、市内所在の十二基が藤沢市の重要文化財に指定されて
います。いずれも頂部の尖った角柱型で、その多くが、正面の弁財天を表す梵字(ぼんじ)の下に
ゑのしま道」、右側面に「一切衆生」、左側面に「ニ世安楽」と彫られています。
この文言には、江の島弁財天への道をたどるすべての人の現世および来世での安穏や極楽への
願いが込められています。
市役所新館脇歩道橋付近に移設されていましたが、新庁舎建設にともなう歩道橋周辺の整備に
より、「江の島道」の路傍にあたるこの地に移設したものです。
平成二十七年(ニ〇十五)十一月 藤沢市教育委員会」



右側面に「一切衆生」。



左側面に「ニ世安楽」。
この上記二つの文言には、江の島弁財天への道をたどるすべての人の現世および来世での
安穏や極楽への願いが込められているとのこと。



江ノ島道 ルート図」。



その右奥にあった石碑群。



近づいて。



右側の4基。



右から
「青面金剛像」 宝永6(1709)五月吉日
6手合掌型 弓、輪、矢、三又



切り絵にしてみました。



「青面金剛像」 正徳6(1716)丙申(ひのえ さる)二月吉日
6手合掌型 弓、輪、矢、三又戟を持つ 下に3猿。



近づいて。



道祖神」 文久三年(1863) 癸(みずのと)正月吉日。



近づいて。



青面金剛像」 享保1(1716)  9月吉日
6手合掌型  輪、三又戟を持つ 下に3猿。



近づいて。



その左に「文字庚申塔」等が4基。



文字型庚申供養塔」 文化10年(1813)癸酉(みずのととり)天6月吉日



近づいて。



文字型庚申供養塔」明和8年(1771)
願主の名前が刻まれていた。



「明和八年卯(う)歳」と。



文化3(1806) 丙寅(ひのえとら)。



近づいて。



馬頭観世音



「万延元年(1860)三月十八日」。



そして、さらに藤沢駅方面に進む。



江ノ電の線路下の道に出ると、右手にあったのが「カトリック教会」。
藤沢市鵠沼石上1丁目1−17。



藤沢カトリック教会 藤沢カトリックセンター」。



「聖霊来てください 私の心を温めてください 来て私に祈りを 御父と御子を
仰ぎ見るすべを 教えてください
信仰の道を指し示して下さい 愛することを そしてとりわけ
希望を抱く心構えを教えてください」と。



入口門のない珍しい八角形の聖堂
「藤沢教会は、昭和30年(1955年)4月に片瀬教会に続いて藤沢市で二つ目のカトリック教会
として生まれました。教会の守護の聖人は使徒聖シモンと聖ユダです。」と。



聖堂の内部の写真をネットから。



信者さんたちが運営している教会の売店「がらりや」。
キリスト教関連の本や聖書、ロザリオ、メダイなどの聖品やカード類、ステーショナリーなどを
揃えている と。



可愛らしい陶器?の人形。



藤沢駅南口の道を駅方向に進む。



高架の連絡通路から。



江ノ電藤沢駅改札口手前の土産物屋。



そしてJR藤沢駅への連絡通路から南口ロータリーを見る。



小田急百貨店ふじさわ」を振り返る。



ブロンズ像「地」 高田博厚さんによる作品。



高田氏は1900年石川県生まれの彫刻家、文筆家。1931年よりフランスに渡り、多くの芸術家と交流し
活発な制作活動を行った。晩年は鎌倉の稲村ヶ崎に住み作品を制作した と。



JR藤沢駅 改札外コンコース正面 1980年6月完成
陶板レリーフ「湘南讃歌」 原画・監修:ルイ・フランセン。



東海道五十三次 藤澤 遊行寺」。
「現在の神奈川県藤沢市にあたる。手前を流れる川は境川、架かる橋は遊行寺橋と見られる。
奥の山中にひっそりと佇む遊行寺と、その門前町として栄えた藤沢宿の様子が描かれる。
眼前に鳥居を置いた構図は斬新で、広重特有の感性を垣間みることができる。
この鳥居は江の島弁財天のもので、江の島を目指す4人の座頭が今まさに通り抜けようと
している。広重はこの鳥居をよほど気に入ったのか、別のシリーズでも違う角度から
描いている。」と。



「旧東海道・藤沢宿」案内図。



名所・旧跡案内。



藤沢駅北口ペデストリアンデッキ(サンパール広場)」のモニュメント。
「藤沢市核兵器廃絶平和都市宣言都市」のモニュメント。



藤沢市核兵器廃絶平和都市宣言
わが国は世界で唯一の核被爆国であり,核兵器廃絶と恒久平 和の実現は全国民共通の願いである。
しかし、すでに地球上には多くの核兵器が貯えられ、人類の 生存に深刻な脅威を与えている。
藤沢市は、日本国憲法の精神に基づく国の平和と安全こそが、地方自治の根本的条件であることに
かんがみ、非核三原則が完 全に実施されることを願い、核兵器の廃絶と軍縮を全世界に訴え、
この人類共通の大義に向かつて不断の努力を続ける核兵器廃絶の平和都市であることを宣言する。」



もちろん平和の象徴「鳩」をイメージしたもの。



藤沢駅北口ペデストリアンデッキ(サンパール広場)」からJR藤沢駅北口方向を見る。
ペデストリアン(pedestrian)とは「徒歩の」、「歩行者の」、「歩行者専用の」の意味。



そして
6月2日にオープンした「ヤマダ電機LABI藤沢店」に向かったのであった。

                              ・・・​もどる​・・・



                 ・・・END・・・








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Last updated  2023.07.24 07:21:34
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