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JINさんの陽蜂農遠日記

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2024.02.08
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カテゴリ:国内旅行
「熱海梅園」の紅葉を楽しんだ後は、イチョウ他の黄葉が美しいとネットで紹介されていた
伊豆市堀切にある「益山寺(ましやまでら)」に向かって進む。
走行ルートは数のごとく静岡県道11号熱海函南線~国道136号・伊豆中央道~修善寺道路を
利用し進み山田川沿いの狭い山道を登って行った。



そして「熱海梅園」から1時間強で「高野山真言宗 養伽山益山寺(ようかざん ましやまでら)
に到着。標高300mの益山の上にある真言宗で、高野山の末寺。
空海(弘法大師)の創建で、本尊の観世音菩薩はその自作であると伝えられている。
山中にある落ち着いた雰囲気で、お地蔵様、石仏など安置されていた。
毎年1月の第3土曜・日曜に「星まつり」が行なわれ、護摩を焚いて1年間の幸福を祈り災いを
除く真言密教の儀式が行われるとのこと。
境内にある大楓は県指定の天然記念物で、根回り5.46㍍、目通り4.05㍍、樹高27㍍、樹齢900年
ほどで県下最大の楓と。木肌が美しく保存は良好で、瘤が多くあり盛り上がる力強さは、風雪に
耐えた歴史を見せていた。
市指定の大イチョウを従え、この時期・秋の紅葉は美しく、境内にある石仏群と調和してみごとな
風物絵巻となっていた。
本堂の右奥には延喜式内社である伊加麻志神社(いかましじんじゃ)があった。
静岡県伊豆市堀切760。



境内の庫裏前には「伊豆の国 北条義時 ゆかりの地」とラッピングされたタクシーの姿が。



伊加麻志神社(いかましじんじゃ)」への石段に向かって進む。



奉納 南無千手観世音菩薩」と赤地に白の文字で書かれた幟が並んでいた。



石段の途中から見上げると、前方には黄色く色付いた巨木の姿が現れた。



左手にはイチョウの葉が落ちて、一面黄色い絨毯のごとくに。



そして石段の上・右側にあったのが、大きく傾き支柱で支えられている「大楓(オオカエデ)」。



推定樹齢900年、県下最大の大きさといわれる「大楓(オオカエデ)」の紅葉。



廻り込んで。



見事な紅葉を見上げて。



樹高約27m・根廻り約5m・目通り約4mのコブだからけ
のダイナミックな枝ぶりの大カエデが
どっしりと構えていたのであった。



養伽山益山寺
標高三百メートルの益山の上にある真言宗で、高野山の末寺である。
空海の創建で、本尊の観世音菩薩はその自作であると伝えられている。
寺には三島代官の寄進状や江川太郎左衛門の禁制文などが残っていると。
境内並びに参道には百体の観音の石仏があり、県内でも珍しい石仏群集地である。
又幕末の剣客「直指一刀流居士」の墓及び県指定の大楓、市指定の大銀杏がある。

大楓
(昭和30年2月25日静岡県 文化財指定)
 根回り:五.四六メートル
 目通り:四.〇五メートル
 樹齢 :八百六十位の県下最大の楓

大銀杏 
(昭和49年12月4日 伊豆市 文化財指定)
 目通り:五.三メートル
 樹高 :二十五.三メートル
 樹齢 :三百五十年~四百年

                               伊豆市教育委員会」



「大楓」の周囲には千手観音の幟や、苔むした123体もの観音石仏像も安置されており、
一般的な紅葉スポットと言うよりは歴史を感じる厳かな雰囲気が特に印象的なのであった。



参道の両側に並ぶ「奉納 南無千手観世音菩薩」の幟。



近づいて。
その奥にも観音石仏像が並んでいた



高野山真言宗養伽山益山寺」の「本堂」。
「養伽山益山寺」の名前は、一説によると、隣の神社の社号の「伊加麻志」から
「伊加→養伽」、「麻志→益」となったらしい と。
伊豆88遍路8番札所・養伽山益山寺。
賽銭箱が何故か置かれていなかった。



本堂 内陣」を見る。
空海の創建で、本尊の観世音菩薩はその自作であると伝えられている。
寺には三島代官の寄進状や江川太郎左衛門の禁制文などが残っているとのこと。



ズームして。



こちらが「大銀杏
(昭和49年12月4日 伊豆市 文化財指定)
 目通り:五.三メートル
 樹高 :二十五.三メートル
 樹齢 :三百五十年~四百年



「大銀杏」の周囲にも「奉納 南無千手観世音菩薩」の幟が。





再び「大楓」を振り返る。



「益山寺」の「本堂」右の石段の先にあったのが「伊加麻志神社(いかましじんじゃ)」。



参道を進む。



狛狗(右)。



狛狗(左)。



「益山寺」境内の「観音石仏像」を振り返る。



正面の石鳥居を潜って石段に。



石段を上ると正面に「伊加麻志神社」の社殿。
創祀年代は不詳とのこと。
式内社・伊加麻志に比定されている古社。
『伊豆國神階帳』に「従四位上 高山の明神」とある神社。
社号の「伊加麻志」は、益山の近くに、加麻ガ洞という谷があることから付けられたとも
駿河国の伊河麻神社を祀っていた人々が当地に移り住んで、氏神として祀ったとも考えられている。
あるいは、「伊加」という語が「神聖な」という意味であるとも。
また、益山の名は、猿山(ましやま)からの転訛であるという説もあるようで、結局、なにが
なにやら、という感じだ。
明治までは、三島神社と称していたことから現在の祭神は、事代主命 (ことしろぬしのかみ)だが、
多くの資料では、祭神不詳と。『静岡縣神社誌』には三島大社の御子神とある。



疫病終息祈願 静岡県神社庁」と書かれた幟。



社殿の扁額「式内伊加麻志神社」。



「伊加麻志神社」社殿前から石段、石鳥居。狛狗を見下ろす。



そして石段を降り再び「大銀杏」下に。



「大銀杏」の上、下は一面の黄色の世界が拡がっていたのであった。



陽光に照らされた、黄金の世界が拡がる。





再び「大楓(オオカエデ)」に近づいて。



廻り込んで。



奥には無縫塔が並ぶ墓地があった。
「益山寺」の歴代住職の墓地であろうか?



「大銀杏」と「観音石仏像」を振り返って。



近づいて。



黄色の世界を追う。





再び「高野山真言宗養伽山益山寺」の「本堂」を見る。



「観音石仏像」に近づいて。





本堂下広場の御地蔵様達。



そして庫裏まで戻る。



「星祭り(星供)」案内。



星祭りについて
みなさんは自分の生まれ年、その年々によって、みなさまを導く三つの星があるのを
ご存じでしょうか?
生まれ年による星は本命星(ほんみょうじょう)、元辰星(がんじんじょう)という北斗七星の中の星。
年々により変わるのは當年星(とうねんじょう)という九種類の星(日曜星、月曜星、計都星等)が
あります。
この星には吉星と凶星があり、私たちはこの星の導きにより、一年間(節分から翌年の節分まで)の
吉凶があります。真言密教では、『宿曜経』などのお経に基づいて、みなさまのその年の星に
対してお薦めし、吉星である方にはますますその益が増しますように、凶星の方には難事(災)を
小さい難事(小災)で済むようにお勧めする修法があります。今からおよそ千二百年前の八〇四年、
弘法大師空海が中国(唐)に渡り、インドから伝わった密教のすべてを授かって日本に帰りました。
星供もその時に伝えられました。その後、村上天皇や白河天皇のご命令によって、当時の真言宗の
高僧は、この星供を修法し、天皇のご健勝、また国家安穏をご祈願されました。
このような伝統ある修法により、みなさまの一年間のご健勝をお祈りいたします。
弘法大師が建立された当益山寺では、星供祈願のお印として、御札、祈願だるまをお分け
いたします。特に凶星にあたる方には、この星供にてご祈願することをおすすめします。
みなさまの本年のご健勝をお祈り申し上げます。
高野山真言宗
 養伽山益山寺小住合掌」

寺の関係者の姿はなかったが。



だるま、招き猫」が並ぶ。



厄除開運 星祭護摩祈願」案内。



厄除開運 星祭護摩祈願」の様子。



そして「益山寺」を後にして、往路と同じ路を引き返す。
途中山の岩肌に丸く空いた穴が。



何か仏の姿が陽刻されているように見えたが。




                                ・・・​もどる​・・・



                   ・・・​つづく​・・・







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Last updated  2024.02.08 08:09:16
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