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カテゴリ:JINさんの農園
「下山口 神明社」を後にして、次の目的地の、「葉山御用邸」に裏にある「大浜海岸」を目指す。
国道134号を南に進み、振り返ると、「葉山御用邸」の塀と巨木の植栽が正面に。 ![]() ズームして。 神奈川県三浦郡葉山町にあるこの「葉山御用邸」は、明治時代の1894年(明治27年)、 近代のお雇い外国人でドイツの医学者:エルヴィン・フォン・ベルツ博士の勧めにより、 比較的温暖で風光明媚な葉山の地に『葉山御用邸』を着工。 若かりし嘉仁親王(後の大正天皇)の保養地として用いられ、1926年(大正15年)の最期も この地で迎えられました。 1971年(昭和46年)に建物が焼失(葉山御用邸放火事件)したが、1981年(昭和56年)に 再建された。 相模湾に面する海岸沿いにあるため景色がよく、江の島や湘南、天気が良いときは富士山も 眺めることができます。すぐ近くに葉山公園があり、憩いの場になっています。 上皇陛下・上皇后美智子さまは、葉山御用邸裏の「小磯の鼻」をご散策されるのが お好きとのこと。 「葉山御用邸」の広さ(土地)は95,796.46m2 建物(延べ面積)は3,625.70m2とのこと。 土地は約▢310m、建物は▢60mということになる。 ![]() この「葉山御用邸」前の国道134号は「葉山公園通り」と呼ばれているのだ。 ![]() 「葉山御用邸」の塀に沿って歩き「大浜海岸」に出る。 右手に朱色に塗られた欄干の橋を見る。 ![]() 欄干に近づかないように仮設設備のある橋を渡る。 ![]() 「下山川」の河口と相模湾を望む。 ![]() こちらは「葉山御用邸」側。 ![]() 臨御橋の改修工事用の為にクラウドファンディングが行われ、目標金額の2億円を達成したが、 臨御橋の改修の実施には、橋の状態調査、工法の選定、原材料費や労務単価等の高騰の影響により、 その準備に当初の想定を上回る時間と費用を要する見込みであり、見直しを実施中であると。 ![]() 再び「下山川」の上流方向を。 ![]() 「臨御橋(りんぎょばし)」と。 臨御橋は、御用邸の中を流れる2級河川である下山川の河口付近に設置されている 長さ33メートル、幅4メートルのコンクリート製の橋です。 欄干が赤く塗られていることから、地元では「赤橋」とも呼ばれ、一色海岸と長者ヶ崎 ・大浜海岸を結ぶ連絡橋として町民や観光客の散策に使われています。 現在の形になる前は木造の橋として設置されていたそうですが、老朽化や台風等による破損を 繰り返し、昭和43年に葉山町施工のコンクリート橋に改修され、現在に至ります と。 ![]() 潮位があがり2つに分かれた「長者ヶ崎」を振り返る。 ![]() 「小磯の鼻」。 「葉山御用邸」の裏にあり、海に向かってこんもり芝生の丘になっている場所。 大浜海岸と一色海岸を隔てるように海に伸びた抜群のロケーションで、ピクニックをしたり ヨガをしてみるのもおすすめの場所 と。 岬の先端は葉山スコリアと呼ばれる岩場になっていて、磯遊びもできる場所。 皇宮警護官の小屋もあった。 ![]() 「小磯の鼻」の岩場の上に朱の鳥居と石祠があった。 海の守り神が祀られているのであろう。 ![]() 「一色の洗濯岩」を見る。 お立ち台の先が「一色の洗濯岩」の名勝になる。 地質は、新第三紀の葉山層群(三浦半島で最も古い地層)で砂泥互層(一部はスコリア)と なっている。 侵食の違いで洗濯板のように見えることで「洗濯岩」とも言われている。 ![]() 「小磯の鼻」から「葉山御用邸」を。 ![]() 警備用の皇宮警護官の姿も。ご苦労さまです。 ![]() 「小磯の鼻」の岩場を振り返る。 ![]() 「一色海岸小磯の防波堤」の先端から。 ![]() 「一色海岸」。 ![]() 三浦郡葉山町一色にある「ライオンズマンション葉山マリンビュー」をズームして、 ![]() 天気が良ければ、「ライオンズマンション葉山マリンビュー」の後方に 「富士山」の勇姿が見えるのだが。写真はネットから。 ![]() そして「葉山御用邸」の北側の「しおかぜこみち」を国道134号に向かって戻る。 この附近はコンリートの壁が続いていた。 ![]() そしてその先にはツタ(蔦)に覆われた壁が続いていた。 ![]() そいて、国道134号と交わる県道207号線まで.戻り「葉山御用邸前」交差点に向かって進む。 右手にあったのが、「葉山御用邸」の北側の通用門。 ![]() 「皇宮護衛官募集」ポスター。 ![]() 「募集 皇宮警察」ポスター。 警察庁の付属機関である皇宮警察本部に所属する国家公務員として、皇居や御用地を守る 「警護」、皇室の方々を守る「護衛」、これらの活動を支える「警務」の三部門があると ネットから。 ![]() 道路の左手にあったのが「神奈川県葉山警察署」。 三浦郡葉山町一色2034。 ![]() 前方に大きな交差点が。 この交差点で、県道207号線が国道134号に繋がっているのだ。 ![]() 「葉山御用邸前」と。 ![]() 横断歩道を渡り、「葉山御用邸正門」を見る。 三浦郡葉山町一色2038。 ![]() そしてその先にあった「恩光碑」。 三浦郡葉山町下山口1439。 ![]() 「恩光碑」を見上げる。 明治・大正・昭和時代の皇太子殿下の葉山行啓がなされたことを奉祝して葉山町が建立した 「恩光碑」。 ![]() 「この碑は、明治・大正・昭和時代の皇太子殿下の葉山行啓を奉祝して、昭和十一年に葉山町が 建立したものです。 中央剣型塔で「恩光碑」の碑文は枢密院顧問官金子堅太郎の揮毫、設計は彫刻家青柳利男の謹作、 撰文は吉田増蔵博士で、その揮毫は松平直亮伯爵によるものです。」 ![]() この鳥は鶴?? ![]() 「我葉山町 明治以来亘千三朝荐沗 皇太子殿下行啓而 明治之朝以ニ十六年ニ月三日 大正之◯以ニ秊六月ニ十九日 昭和之朝以九年六月六日竝始仰 鶴駕臺臨焉頃者胥謀樹銅表以諗 恩榮之辱於永世云爾」 ![]() 水かきがないので鶴の姿か? ![]() 「昭和十一年一月 葉山町謹建之」 ![]() そして「恩光碑」の手前にあった色彩豊かなマンホール蓋。 「明治45年、国産ヨットが初めて帆走(はんそう)したことから、葉山町は「近代ヨット発祥の地」 とされています。 相模湾に浮かぶヨットを主役に、町の花「ツツジ」、木「クロマツ」、 鳥「ウグイス」をあしらったマンホール蓋で、親子蓋である本蓋は、親子あわせて壮大な海を渡る ヨットを描いています。 ヨットが行きかう相模湾は、温暖な気候と黒潮の恩恵から多様な生き物が 生息しており、そうした環境へ配慮し、町の浄化センターは山間部に建設しました。受枠に 施された青い円は、山・川・海を廻る水を表し、「葉山の美しい水環境を未来の世代へ引き継ぐ」 という思いを込めています」 と再びネットから。 ![]() 「葉山御用邸」正門の「皇室警護官」の姿を。 ![]() そして横断歩道を渡り、青い欄干の橋に向かって戻る。 ![]() 国道134号・下山川に架かる橋。 ![]() 「下山橋」と。 ![]() 欄干にはヨットの姿が。 ![]() 近づいて。 ![]() 「下山川」の下流側を見る。 ![]() 相模湾の見える位置まで移動して。 海岸に最も近い臨御橋(りんぎょばし)まで2本の橋があるようだ。 ![]() 「葉山御用邸」の正門前を通過。 ![]() 県道207号線まで戻ると 「関東ふれあいの道 ④佐島・大楠山のみち」案内板。 関東ふれあいの道(首都圏自然歩道)は梅の木平(東京都八王子市)を起終点に東京、埼玉、群馬、 栃木、茨城、千葉、神奈川の1都6県を時計回りに巡る160コース、トータル1,803kmの 自然歩道です。 神奈川県内には17コースがあります。豊かな自然に触れ、名所や史跡を訪ねながら歩いて みませんか。」 ![]() ④佐島・大楠山のみち 三浦半島最高蜂の大楠山は登り約1時間、標高242m。比較的容易に登れるコースですが、最後の 階段はちょっと頑張り、下りたあとはひたすら国道の歩道を歩きます。 ![]() 「関東ふれあいの道 佐島・大楠山のみち 長者ヶ崎 1.0km」。 ![]() そして県道207号線を北上し、「一色海岸」京急バス停前を通過。 ![]() ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.06.15 14:46:34
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