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レース

Oct 7, 2021
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カテゴリ:レース
いまだに、サーキットに、ノリックがいないなんて、信じられません。。。


ひょっこり、ピットとかにいるんじゃないかと。。。


もう、あれから14年ですか。。。

ロッシが、あれから14年トップで走り続けたこと、引退を、どうねぎらったでしょうね。。。

天国で、大ちゃんと、一緒にほめたたえてるだろうなあ。。。



H/K AGESの10周年記念LIVEを終わって、朝方メールを見ると。。。

本当に、ショックで、鳥取から京都まで、無事帰れたのが不思議なくらい
ふらふらしていました。。。



自分たちが、心動かされた人々が、応援してきた人々が
まだ、志半ばで、もっとやりたいこと、たくさんあったのに
大切な家族がいて、その人を待っている人がいて、

昨日までは、まったく想像もしていなかった別れ。。悲しみ。。。

本当に辛いです。。。

自分たちは、そのぶん、生きていくしかないのですが


誰からも、愛される人
必要とされる人

そんな人たちが、早く旅立って。。。

私のような人間が、また、もがいているのが。。。やっぱりつらいです。。。





2007年10月7日、18時30分頃に神奈川県川崎市川崎区大島1丁目のUターン禁止の片側二車線道路の市道においてオートバイで走行中、Uターンしようとしたトラックと衝突、直ちに川崎市内の病院へ搬送されたが、事故から2時間後に死去したと報道されている。享年33(32歳没)。

1998/03/07-08 モータースポーツキックオフデーでのノリック


1998/04/03-05 Marlboro Grand Prix of JAPANでのノリック




阿部典史-流星伝説-より









秋ヶ瀬時代やダートトラック時代の動画もありました。。。




Mar 8, 2008 Racingオートバイ (4)




1994年日本GP、あわや一位というところでのクラッシュ。。。








そして1996日本GP、涙の初優勝!!

Nov 1, 2007 鈴鹿8耐DVD発売になりました。 (2)

ヨシムラの優勝とノリックの元気な姿に、また涙しました











8耐最高!!
ノリックも叫んでましたよ



ニュース映像見ると、、、涙が止まらない。。。。





ノリックが交通事故死、トラックと衝突

死去した阿部典史さん(オートバイレーサー)  7日午後6時20分ごろ、神奈川県川崎市の市道で、2輪ロードレースの人気ライダー、阿部典史(のりふみ)さんが乗ったバイクがトラックと衝突、阿部さんは病院に運ばれたが間もなく死亡した。32歳だった。93年に全日本ロードレースにデビューすると、いきなり史上最年少の18歳で総合優勝を達成。世界選手権(WGP)でも通算3勝を挙げるなど「ノリック」の愛称でファンに愛され、日本に2輪ブームを再来させた立役者だった。

 世界を舞台に活躍したライダーが非業の死を遂げた。川崎署によると、阿部さんは同市川崎区大島1丁目の片側2車線の市道の右車線をスクーター型の500CCバイクで北上中、前方の左車線からUターンしようとした4トントラックを避けようとしたが、衝突して対向車線に放り出された。当初は意識があったものの、午後8時52分、搬送された市内の病院で死亡が確認された。阿部さんは胸を強打し、ろっ骨骨折や臓器の損傷などもみられたもようだ。

 現場はUターン禁止だった。トラックを運転していた51歳の男性は、道を間違えて引き返そうとしていたといい、同署が自動車運転過失致死の疑いで事情を聴いている。

 阿部さんはオートレース選手の父光雄さんの影響で、5歳でバイクレースを始めた。93年に全日本ロードレースにデビューすると、いきなり史上最年少の18歳で総合優勝するなど、若くして才能を開花させた。95年から当時、WGPの最高峰クラスだった500CCにフル参戦。翌96年の日本GPで初優勝し、日本人としては14年ぶりの優勝を遂げた。後輪を滑らせながら必死に逃げる姿は、伝説のレースとして多くの2輪ファンに語り継がれている。

 レース中になびかせる長髪がトレードマークで、気さくな性格から「ノリック」の愛称で親しまれた。WGPでは通算3勝、表彰台17回の実績を残し、岡田忠之、伊藤真一らとともに日本に2輪ブームの再来をもたらした。マイケル・ドゥーハンら世界を代表するライダーと対等に渡り合いながら突然、転倒することもあり、「速くて危険なライダー」とも言われた。

 スーパーバイク世界選手権などを転戦後、今季から全日本に復帰。5月のレースでは3位に入り、復活をアピールした矢先の事故だった。

「伝説のライダー」阿部典史さんが事故死 川崎2007年10月08日00時07分

 7日午後6時20分ごろ、川崎市川崎区大島1丁目の市道で、川崎市幸区、レーシングライダー阿部典史(のりふみ)さん(32)のオートバイと、横浜市鶴見区東寺尾1丁目、運送会社員千野智彦さん(51)のトラックが衝突した。阿部さんは午後8時50分過ぎに死亡した。阿部さんは世界GPで過去3度優勝して「伝説のライダー」と呼ばれ、国内のオートバイファンの間で人気があった。


 川崎署の調べでは、現場は片側2車線の直線道路。千野さんがUターンしようとした際に、右後方から近づいた阿部さんのオートバイ(500cc)と衝突した。千野さんは「道を間違えたので戻ろうとした」と話しているという。現場はUターン禁止だった。

  ◇

 〈阿部典史さん〉本人の公式ホームページなどによると、阿部さんは東京都出身で、オートレーサーの父・光雄氏の影響で5歳からバイクに乗り始め、中学卒業後の91年、15歳で渡米して技術を磨いた。帰国後の93年に全日本選手権500ccクラスを制覇した。その後、世界選手権に参戦。96年の世界選手権日本グランプリ(GP)で、オートバイレースの最高峰500ccで日本人としては14年ぶり3人目の優勝を飾るなど、計3度のGP優勝を果たし、「ノリック」の愛称で親しまれていた。ファッションリーダーとしても人気があった。






Last updated  Oct 7, 2021 07:37:54 AM
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Sep 25, 2021
カテゴリ:レース
まだ15歳。。。

これから、必ず、世界に出て活躍していただろうに。。。

残念です。。。

御冥福を、お祈りいたします。


【訃報】WSS300の多重クラッシュでマーベリックのいとこディーン・ベルタ・ビニャーレスが亡くなる。SBK第10戦スペインのレース1は中止
9/25(土) 23:02配信


オートスポーツweb
マーベリック・ビニャーレスのいとこディーン・ベルタ・ビニャーレス(Vinales Racing Team)



 9月25日、スペインのヘレス・サーキット‐アンヘル・ニエトで2021年SBK第10戦スペインが開催されている。併催されているスーパースポーツ世界選手権300(WSS300)のレース1では多重クラッシュが発生し、ディーン・ベルタ・ビニャーレス(Vinales Racing Team)が重傷を負い、現地時間15時10分頃(日本時間22時10分)に亡くなったことが発表された。



【写真】2021WSS300:ヤマハYZF-R3を駆るディーン・ベルタ・ビニャーレス(Vinales Racing Team)

 SBK第10戦スペインでは、最高峰のスーパーバイク世界選手権(SBK)、中量級のスーパースポーツ世界選手権(WSS)、軽量級のスーパースポーツ世界選手権300(WSS300)の3クラスのレースが行われている。

 25日にはSBKのFP3と3クラスの予選(スーパーポール)、そして3クラスのレース1がスケジューリングされていた。

 午前のFP3と3クラスのスーパーポールは無事終了。しかし、現地時間午後12時45分から行われたWSS300のレース1では、1コーナーで複数台が絡むクラッシュが発生し、赤旗中断となる。

 すぐに、メディカルカーが駆けつけ、ディーン・ベルタ・ビニャーレスが救急車でメディカルセンターに運ばれたが、頭部や胸部に重傷を負っていた。

 その後、SBKとWSSのレース1は中止されることが明かされていたが、現地時間15時10分頃(日本時間22時10分)にはディーン・ベルタ・ビニャーレスが亡くなったことも発表された。

 ディーン・ベルタ・ビニャーレスは、MotoGPライダーのマーベリック・ビニャーレスのいとこ。スペイン出身の15歳のライダーだ。

 2019年と2020年にはヨーロッパタレントカップに出場し、今季からマーベリック・ビニャーレスの父が設立したVinales Racing TeamからWSS300に参戦していた。

 アンドレア・ドソーリ(ヤマハ・モーター・ヨーロッパ ロード・レーシング・マネージャー)は「モーターサイクル・レースに潜むリスクについては誰もが認識しているが、今日のようにスポーツが人命を奪うことになれば、それは容易なことではない」とコメントした。

「ディーン・ベルタ・ビニャーレスは、今シーズンから世界選手権でのキャリアをスタートさせ、最近の成績はこのクラスの将来のスターとして注目されていた。現時点では、言葉だけで慰めることはできないが、ヤマハ・レーシングのスタッフ一同、ディーンのご家族、ご友人、そしてチームの皆様に心からお悔やみ申し上げます」

[オートスポーツweb ]






Last updated  Sep 26, 2021 07:24:42 AM
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Sep 5, 2021
カテゴリ:レース
もう11年。。。

大ちゃんの死から、暗く、光が見えていなかった日本レース界に、再び輝いた光

大ちゃんが果たせなかったWGPチャンピオンまで、きっと届いてくれると、日本中が期待していた星

ほんとうに、ショックでした。。。

いまでも、あの多重クラッシュのシーンは見れません。。。




富沢祥也、レース中に事故死 (Moto2) 【 F1-Gate.com 】
ロードレース世界選手権Moto2クラスに参戦する富沢祥也選手が、第12戦サンマリノGPでの決勝レースで事故に遭い、救急車で病院に搬送されたが死亡した。

富沢祥也は、4位を走行中に転倒、後続のアレックス・デ・アンジェリスとスコット・レディングと接触。リッツィオーネの病院に搬送されたが、14時20分(現地時間)に死亡が確認された。享年19歳。




富沢 祥也 (とみざわ しょうや、1990年12月10日 - 2010年9月5日)は、千葉県旭市出身のオートバイレーサー。2008年の全日本ロードレース選手権250ccクラスシリーズ2位。2009年から2010年までロードレース世界選手権に参戦した。






Last updated  Sep 5, 2021 12:19:51 PM
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Sep 4, 2021
カテゴリ:レース
今日は沼田 憲保さんの命日ですね。もう、14年ですか。。。

Suzuki乗りの私にとって、ガンマでの優勝は、本当に嬉しかった。
ずっと、心の中のヒーローです。

私が沼田さんの訃報を聞いたのは、二日後でした。そのときのブログ記事です。

このさらに二日後、SUZUKI MEETINGで、GK71B CLUBのクラブ紹介のときに、沼田さんの訃報を紹介し、沼田さんがどれだけ偉大なSUZUKI乗りだったかを、紹介させていただき、皆で御冥福を祈りました。



Sep 6, 2007 追悼沼田憲保さん

愛知のひろゆきさんと電話でお話していて教えていただきました
元全日本250チャンピオン、SUZUKI Γでの全日本連覇を勲章に250cc参戦していなかったSUZUKIでのWGP参戦
最近はYAMAHAでのエントリーが多かったですが、鈴鹿8耐や、全日本600での健闘を目にしたばかりでした
この前の日曜日もケーブルの全日本で元気な姿を見て、岡田さん、イトシンだけでなく
バイクブーム時代のチャンピオンが、まだまだがんばってるなと、応援しておりました。

SUZUKI大好きな私のなかでは、Γで世界に出て行く日本人という、レース史の中でも
非常に印象に残る方で、尊敬しておりましたし、ヒーローでした

明日お通夜、スズキミーティングのある9/8に告別式とのことです

ご冥福をお祈りいたします


練習中 二輪プロレーサーが事故死

 4日午前10時50分ごろ、岡山県美作市滝宮の岡山国際サーキットで、練習走行中のプロレーサー沼田憲保(本名高橋憲保)さん(41)=千葉県流山市松ケ丘4丁目=のオートバイ(600CC)がタイヤバリアーに衝突。沼田さんは胸を強く打ち間もなく死亡した。

 美作署の調べでは、沼田さんは午前9時すぎから走行。ヘアピンカーブを曲がりきれず、壁のように積み上げられたタイヤに衝突した。

 サーキットは1周約3・7キロで、事故当時は沼田さんを含め10台ほどが練習中だった。

 沼田さんは29日から同サーキットで開かれる全日本ロードレース選手権シリーズ第6戦に参戦予定だった













沼田 憲保(ぬまた のりやす、1966年4月26日 - 2007年9月4日)は、茨城県日立市出身のモーターサイクル・ロードレースライダー。雨天でのレースに強く、「雨の沼田」の異名をとった。

デビュー~全日本時代

1988年にSP250クラスでデビュー。ノービス時代は、ミラージュ関東に席をおき、1990年のSUGO選手権では3クラスでチャンピオンを獲得した。翌年に特別昇格で国際A級ライセンスを得ると、スズキワークスのRGV‐Γ250開発兼任で全日本ロードレース選手権250ccクラスにフル参戦を開始した。原田哲也・岡田忠之・青木宣篤ら強豪がひしめく中、まだポテンシャルの低かったマシンで苦戦を強いられ、初表彰台(3位)に立ったのは1992年第3戦だった。

原田らがロードレース世界選手権に進出した1993年には第9戦で初優勝するも、マシンの性能差や宇川徹の台頭などがありランキング5位で終わる。1994年にはランキング2位、1995年には翌年ロードレース世界選手権参戦が決定していた宇川を退けクラス・チャンピオンの栄光を掴んだ。1996年には、加藤大治郎や芳賀健輔との争いを制し連覇を成し遂げた。

世界グランプリ時代

スズキは1997年からロードレース世界選手権GP250での参戦を決定し、アリー・モレナー・レーシングのエースライダーとして沼田もフルエントリーされた。サーキットのデータ不足やマシンの性能差は彼を苦しめ、2年で沼田は撤退。

再び全日本へ

1999年、活躍の場を4ストマシンに切り替えた。同年から5年連続で鈴鹿8時間耐久ロードレースにエントリー。2004年から全日本ロードレース選手権ST600クラスにフル参戦し、第3戦では雨の筑波を制して8年ぶりに優勝。

後進の育成にも積極的で、ライディングスクールの講師役なども務めていた。

2007年9月4日、岡山国際サーキットで練習中にタイヤバリアに衝突、胸などを強く打ち胸部破裂で急逝した。41歳没。







孤高の戦士 沼田憲保(ぬまたのりやす)は2年連続全日本チャンピオンのガンマ使い!


スズキの至宝!沼田憲保はΓ使いの本格派

沼田 憲保(ぬまた のりやす、1966年4月26日生まれ)
茨城県日立市出身のオートバイレーサー。

沼田選手は、1995年、1996年と2年連続の全日本ロードレース国際A級 GP250ccクラス全日本チャンピオンです。

スズキのマシンRGV-Γ250を駆り、全日本を暴れまわりました。






沼田憲保選手について
ミラージュ関東出身。
雨天でのレースに強く、「雨の沼田」と呼ばれました。

1988年 ロードレースデビュー 
22歳なのでまわりとくらべると遅いスタートでした。
参戦クラスはSP250。

1990年 SUGO選手権で3クラスを制する3冠チャンピオンとなる。

1991年 国際A級に特別昇格 全日本GP250ccクラスへフル参戦
この年からスズキワークス入りの大抜擢
RGV-Γ250の開発兼ライダーとなる

その後、1992年 初表彰台、1993年 初優勝、1994年 ランキング2位と着実にステップアップしていき、1995年にはついに全日本チャンピオン、1996年も2連覇を成し遂げます。

1996年からは世界グランプリに舞台を移しますが……。



沼田選手の主な戦績
戦績
1990年 SUGO選手権でSP250、NB-F3、NB250の3クラスでチャンピオン
1991年 全日本選手権 GP250 ランキング14位
1992年 全日本選手権 GP250 ランキング9位(初表彰台)
1993年 全日本選手権 GP250 ランキング5位(初優勝)
1994年 全日本選手権 GP250 ランキング2位
1995年 全日本選手権 GP250 全日本チャンピオン
1996年 全日本選手権 GP250 全日本チャンピオン(2連覇)
1997年 世界選手権 WGP250 ランキング12位
1998年 世界選手権 WGP250 ランキング16位
1999年 世界選手権 WGP500 ランキング29位 Muz Weber
 8時間耐久に参戦
2000年 スーパースポーツ世界選手権 ヤマハ
 8時間耐久に参戦
2003年 スーパーバイク世界選手権 ドゥカティ
 8時間耐久に参戦
2004年 全日本選手権 ST600 ランキング4位
 8時間耐久に参戦
2005年 全日本選手権 ST600 ランキング6位
 8時間耐久に参戦
2006年 全日本選手権 ST600 ランキング23位
2007年 全日本選手権 ST600 ランキング11位(第5戦終了時)


RGV-Γ250で闘う沼田憲保選手(動画)

▼▼▼1994年SUZUKI全日本ロードレース情報(RGV-Γ250)


▼▼▼1994年の全日本GP250ccクラス第10戦 菅生サーキット


▼▼▼1996年の世界選手権日本GP鈴鹿ROUND


沼田選手はゼッケン#52のラッキーストライクスズキ号です。

削除されていたらごめんなさい。



孤軍奮闘
スズキのマシンRGV-Γ250での参戦は、開発とレースの同時進行。
沼田選手はその両方を一手に任されて、孤軍奮闘の様子でした。

しかも当時のライバルたちの顔ぶれときたら……
マシンで言うなら、NSR250、YZR250。
ライダーで言うなら、宇川徹や加藤大治郎、芳賀健輔といった強者達を退けてのチャンピオンには相当な価値があるように思います。



世界選手権参戦の苦労
アリー・モレナー・レーシングチームのエースライダーとして、世界選手権のワールドグランプリに行ってからも、ますます苦労されていたように思います。

マシンの開発や熟成度の差だけではなく、ホンダNSR250やヤマハYZR250には長年積み上げてきたデータなどもあり、セッティング出しなどについてのアドバンテージも相当大きかっただろうと思います。

若井伸之選手が生きていたら随分違ったのかもしれません。そう思うと、もっと活躍して良かった選手なのだろうと思います。

全日本復帰後の沼田選手
2004年からロードレース全日本選手権に復帰。
しかし、2007年9月4日、岡山国際サーキットで練習中にタイヤバリアに衝突、胸などを強く打って急逝した。享年41歳。惜しい人を亡くしました。






Last updated  Sep 4, 2021 12:43:55 PM
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Aug 21, 2021
カテゴリ:レース
バイク関連のカメラマンとして、活躍されていた、安河内徹也さんが、交通事故でお亡くなりになられたとのニュースが。。。

いろんな方のtweetなどでも、お土産とか、いろんな話をしたと、頻繁に出て来られる方で、誰もに愛される方だったと。。。

残念です。。。


御冥福を、お祈りいたします。









































高杉 奈緒子さんはやすこうち てつやさんと一緒にいます。

心配かけさせちゃいけないから
書くべきか悩んだ
でも思いは伝えたい
やすこうちさん
レースは帰宅するまでがレース
ゴールは無事に家に帰ってくること
やすこうちさんが家族に伝えたメッセージ
『帰ったら風呂入るから沸かしとして』という電話が最後だそうでした
あともう少しで家に帰れたのに
どうして?
どうして?
昨日メッセージくれて
岡山全日本行けるかもと
オートポリス帰りにやすこうちさん家泊まりと
朝にモヒカンラーメン行こうと
オートポリス全日本に、うかれ亭さんたくさん食べさせてあげると
大阪福島焼き肉行こうと
姫路焼き肉行こうと
姫路翌日には洋食屋いこうと
オートポリス写真たくさん撮るよと
いっぱい写真撮ってくれたり
ちょっかいいっぱい出してくれたり
スポンサーつくように人を紹介するよと
ずっと応援してくれると
言ってくれた
走り屋時代からミニバイクへロードレースと長年見届けてくれた
高杉の苦労も道のりも知ってくれている
やすこうちさん
お兄ちゃんみたいに思ってた
一緒に原田さんお墓参り行ったり
原田美容院で仏壇にお参りしたり
ご飯たくさん食べさせてくれた
プロティンやサプリメントも送ってくれた
たくさん思ってくれた
どうして?
早すぎるよ
やすこうちさんも向こうに行っちゃ駄目だよ
涙が止まらないよ
本当に悲しいよ
まだ約束も終わってない
勝つところを見せてない
高杉奈緒子の道のりを最後まで見届けて欲しかったよ
人はこんなに泣けるんだと教えていらないよ
やすこうちさん身近すぎるよ
どれだけたくさんの元気と優しさと温かさをくれたことか
まだ先があり
約束したことがたくさんありすぎて
それももう叶わなくなっちゃった
そう思うと
本当にただ悲しくて涙が止まらない
まだサヨナラは言えないし言わない
私のレース人生が終わるまで見守っていてください
勝ちたいという目標に向かい一生懸命に向き合っていくから
私の生き甲斐 レース人生は続けていくよ
やすこうち兄ちゃん本当に大好きだったよ
やすこうちさんに撮ってもらった
2ショットの一番いい写真
最後の写真になっちゃった


















関門自動車道で車2台絡む横転事故…男性1人死亡
2021/08/21 18:06KBC九州朝日放送

関門自動車道で車2台絡む横転事故…男性1人死亡




(KBC九州朝日放送)

21日朝、北九州市の関門自動車道で、車2台が絡む事故があり男性1人が死亡しました。

警察や消防によりますと、21日午前6時半すぎ、北九州市門司区の関門自動車道下りで、「車が横転して2台が止まっている」と110番通報がありました。

横転していたのは、糟屋郡志免町の会社員・安河内徹也さん(52)が運転する車で、安河内さんは、もう1台の車を運転していた23歳の男性とともに、山口県下関市内の病院に搬送されましたが、およそ2時間後に死亡が確認されました。

警察が、事故の原因を調べています。

北九州の関門道で事故 男性死亡 約4時間 通行止めに
08月21日 15時08分

21日午前、北九州市の関門自動車道で事故があり、トラックを運転していた志免町の52歳の男性が死亡しました。
現場付近は、およそ4時間にわたって通行止めになりました。

21日午前6時半すぎ、北九州市門司区の関門自動車道の下り線で事故が起きているという通報が警察にありました。

警察が現場を確認したところ、トラックが横転し、数十メートル離れた場所に、フロント部分が破損した普通乗用車が止まっていました。

警察によりますと、トラックを運転していた志免町の会社員、安河内徹也さん(52)が救助されて病院に搬送されましたが、およそ2時間後に死亡しました。

また、乗用車を運転していた山口県の20代の男性も、足の骨を折るなど大けがをしていて、病院で手当てを受けているということです。

現場は、門司インターチェンジからおよそ300メートル離れた片側2車線の道路です。

警察は、2台の車両がそれぞれ単独事故を起こした可能があるとみて、詳しい状況や事故の原因を調べています。

この事故の影響で、関門自動車道は門司港インターチェンジと門司インターチェンジの間の下り線で、午前7時半前からおよそ4時間にわたって通行止めが続きました。






Last updated  Aug 22, 2021 11:12:40 AM
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Aug 17, 2021
カテゴリ:レース
高杉奈緒子さんから、マスクが届きました!!
封筒のほうに、手書きのメッセージも!
本当に、ありがとうございます!!!
これからも応援させて頂きますので、私達の夢も乗せて、頑張ってください!!






WEB Mr.Bikeで高杉奈緒子さんについての記事が掲載されています。
こちらも、ぜひ読んでみて下さい。







バイクがくれた、笑顔。 高杉奈緒子、15年目の表彰台


高杉奈緒子というライダーがいる。現在は全日本ロードレース選手権のJ-GP3クラスにエントリーしている。重度の難聴である彼女が、どうしてバイクに乗り、レースを始めたのか。そして15年目の初めての表彰台。笑顔と涙の中にある、高杉奈緒子の壮絶なレース人生。
■レポート:佐藤洋美 ■写真:赤松 孝









2021年 高杉奈緒子サポートクラブ年会費

5,000円
高杉奈緒子の2021年オートバイロードレースに関する活動へのサポートをしていただける会員様を募集中です。よろしくお願いいたします。






Last updated  Aug 18, 2021 05:58:28 PM
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Aug 8, 2021
カテゴリ:レース
赤旗中断!!












ペドロサが滑って、そこに突っ込んだか。。。

moto2の小椋もおしかったなあ。。。

あとちょっと気を付けてたら。。。ほんとおしい。。。

波乱が多かった。。。






Last updated  Aug 10, 2021 06:10:31 PM
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May 30, 2021
カテゴリ:レース
助かってほしいと祈っていましたが。。。

19歳。。。。

残念です。。。

御冥福を、お祈りいたします。。。。。。。。。。。。。



【訃報】Moto3ライダー、ジェイソン・デュパスキエが予選中の転倒事故で亡くなる/MotoGP第6戦イタリアGP
autosport web
MotoGP | 【訃報】Moto3ライダー、ジェイソン・デュパスキエが予選中の転倒事故で亡くなる/MotoGP第6戦イタリアGP

 5月29日、イタリアのムジェロ・サーキットで開催された2021年MotoGP第6戦イタリアGP Moto3クラスの予選Q2のセッション中に転倒事故を起こしたジェイソン・デュパスキエ(CarXpert PruestelGP)が30日に亡くなった。19歳だった。

 ドライコンディションで行われたMoto3クラスの予選。デュパスキエはダイレクトにQ2に進出していたためこのセッションから予選を走った。

 まずは1度目のアタックで2周走りピットインした。その後、最後のアタックを行うためにコースインして、2周目にベストラップを記録。15分のセッションが終了の時刻を告げ、ラストアタックに挑んだが、9コーナーの立ち上がりで転倒を喫した。




2021Moto3:ジェイソン・デュパスキエ(CarXpert PruestelGP)
 このクラッシュはジェレミー・アルコバ(Indonesian Racing Gresini Moto3)と佐々木歩夢(Red Bull KTM Tech 3)との多重クラッシュで、デュパスキエは投げ出されてコースに横たわる形となり、レースディレクションは赤旗を提示後セッションを終了させた。

 その後、メディカルカーと救急車が到着して、コース上で医師による検査が行われ、MotoGPフリー走行4回目はデュパスキエを救護するため遅延された。

 そして、クラッシュから約20分後にドクターヘリが9コーナーに到着。しかし、コース上で医師による検査が続けられ、約35分後にヘリに乗せられ詳細な検査のためのフィレンツェのカレッジ大学病院に向かった。



2021Moto3:ジェイソン・デュパスキエ(CarXpert PruestelGP)
 フィレンツェのカレッジ大学病院へ搬送された後、詳細な検査や救急蘇生の措置も行われたが、入院先の病院が30日に死亡を発表した。

 デュパスキエは19歳のスイス人ライダーで、2020年にCarXpert PruestelGPからMoto3クラスにデビュー。今季はこれまで27ポイントを獲得しており、ランキング10位。今回の第6戦イタリアGPで参戦21戦目だった。

 ロードレース世界選手権での死亡事故は、2016年の第7戦カタルーニャGP Moto2クラスのフリー走行2回目で亡くなったルイス・サロム以来となる。




2021年シーズンにCarXpert PruestelGPからMoto3クラスに参戦しているジェイソン・デュパスキエ、山中琉聖









Last updated  May 30, 2021 09:15:20 PM
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May 12, 2021
カテゴリ:レース
へえ、いいなあ。。。

ヨーロッパの耐久レースっぽい

鈴鹿8耐でも、やってくれたらいいのに。。。

テントコーナーとか、むちゃ高いしなあ。。。


ゆるキャン△×FUJI SPEEDWAYコラボ。富士24時間レースに “野クル”
山崎健太郎2021年5月12日 18:30





富士スピードウェイで5月21日、22日、23日に開催される「スーパー耐久シリーズ 2021 Powered by Hankook 第3戦 NAPAC 富士 SUPER TEC 24時間レース」において、「ゆるキャン△ × FUJI SPEEDWAY」コラボレーションイベントが開催される。なお、イベントの参加には観戦チケットの購入が必要。

「ゆるキャン△」のモデル地にもなっている静岡県。その東部に位置する富士スピードウェイでは、キャンプを楽しみながらレースを観戦するスタイルが定着。特に国内唯一の24時間レース「富士SUPER TEC24時間レース」では場内各所に色とりどりのテントが張られ、BBQ等を楽しみながらゆる~くレースを観戦する事が定番になっている。

そんな富士SUPER TEC24時間レースを舞台に開催する「ゆるキャン△×FUJI SPEEDWAY」コラボイベントでは、富士スピードウェイ限定・オリジナルデフォルメイラストが初披露。さらに、そのデフォルメイラストが描かれた「ゆるキャン△」× GR Supraオリジナルラッピングカーも登場する。




イベント広場にある「ゆるキャン△×FUJI SPEEDWAY」ブース内には、YAMAHAビーノ&トリシティの志摩リンモデルも展示。コラボイベント会場限定グッズの販売や、アニメ(第1作目・SEASON2)のビジュアルイラスト&設定画の特別展示も実施する。









Last updated  May 12, 2021 09:15:58 PM
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May 1, 2021
カテゴリ:レース
5月1日は若井伸之さんの命日です

本当に、ものすごい人物で、人柄で。。。若井さんがいたから、ほかのみんなが活躍できた。。。


もう28年ですか。。。


坂田さん、上田さんとともに、125ccで世界で大活躍して、250で頑張っていた矢先でしたね。

当時は、γだったんだなぁ

ヘレスで、ピットロードに入ってきた観客をよけて、、、、


本当に信じられませんでした。。。


陽気で人気者で、フラミンゴという愛称で海外のレーサー、ファンにも慕われていました。


あの頃の日本人は、本当に強かった

その先駆者として、本当にがんばっておられました。

若井さんの速さと強さ、優しさは、ずっと忘れません。








若井 伸之(わかい のぶゆき、1967年7月25日 - 1993年5月1日)は、千葉県八千代市出身の日本のオートバイレーサー。かつてロードレース世界選手権(WGP)の125ccクラス・250ccクラスに参戦していた。細身で長身な体格と、その長い手足を折り畳むライディングスタイルから「フラミンゴ」の愛称で親しまれた。


1990年に全日本ロードレース選手権でランキング2位となった若井は、翌1991年から坂田和人・上田昇(当初はスポット参戦)とともにWGP・125ccクラスにフル参戦を開始。他の2人とともに、プライベート日本人ライダーの先駆者となった。当初はなかなか結果を残せずにいたが、最終戦マレーシアGPでは、トップ争いの末3位表彰台を獲得。

翌1992年開幕戦日本GPでも、雨の中地元で3位に入るなど、結果を残すようになる。またドイツGPでは、怪我により欠場したウィルコ・ズィーレンベルグの代役として、スズキから250ccクラスにスポット参戦、7位入賞を果たしている。

1993年、若井はスズキから型落ちのワークスマシンRGV250-γの貸与を受け、250ccクラスにステップアップ。しかし250ccクラスのマシンに馴染めず、同年から参戦した親友で弟分の原田哲也らが活躍を続ける一方で、結果を出せずにいた。



第4戦スペインGPの予選中、タイムアタックを行うべく、フル加速でピットロードから飛び出そうとしていた若井の前に、突然観客が飛び出してきた。この観客はロリス・レジアーニの招待客であり、本来パスがなければ入れない場所に無断でいたところを、オフィシャルに見つかり逃げ出したところだった。若井が回避を試みたため、接触こそしたものの観客は軽傷で済んだが、若井本人はバランスを崩してピットロードのコンクリートウォールに激突。頭部を強打した若井は懸命の治療の甲斐無く死去、25歳没。1986年に完成したヘレス・サーキットで初めての死亡事故となった。

若井の死を受けて、他の日本人ライダーは当初出走の辞退も考えたが、原田が出走を決意したのを皮切りに、最終的には「若井のために頑張ろう」と出場を決めた。250ccクラスの決勝では、原田がコースレコードをも更新する走りで、他に大差を付けて優勝。125ccクラスでも、坂田がラルフ・ウォルドマンを振り切り、WGP初優勝を遂げた。

レース終了後、原田はバイクにまたがったまま号泣し続け、坂田も表彰台で悲壮な表情と涙をみせた。また、このレースで5位に入賞した上田はレース後、若井の事故現場まで自身のマシンで近づき、コンクリートウォールを軽く叩いて若井に別れを告げた。原田はこのときの優勝トロフィーを、若井の遺族に送ったという。



2012年に、サンスポに若井さんを惜しむ記事がありました

若井伸之を偲んで建てられたフラミンゴ像

 4月27~29日にMotoGP第2戦が開催されるスペイン・ヘレスサーキットの片隅に、ひっそりとフラミンゴの像がたたずんでいる。レースに造詣の深い人には、この像の由来を今さら説明する必要はないだろう。ただし、近年になってレースに興味を持ち始めたファンには、あまり馴染みがないかもしれない。これは、1993年にこのサーキットで命を落とした日本人選手、若井伸之を偲んで建てられた像なのである。

若井は、1990年に全日本選手権125CCクラスでランキング2位を獲得し、翌年から世界グランプリのフル参戦を開始した。この年には、坂田和人と上田昇も125CCクラスのフル参戦を果たしている。1991年のこの時、若井23歳、坂田24歳、上田23歳。開幕戦日本GPの舞台鈴鹿サーキットで上田は劇的なポールトゥウィンを達成。シーズン最終戦のマレーシアGPでは坂田が2位、若井は3位で表彰台を獲得した。身長の高い若井が、長い手足を折りたたむように小さな125CCマシンを操る様子はフラミンゴの姿にもたとえられた。

 1992年、上田はランキング9位、若井10位、坂田11位。93年に上田と坂田は125CCで継続参戦する一方、若井は250CCに転向する。この年、彼らのもうひとりの親友、原田哲也が250CCクラスに登場した。原田は開幕戦オーストラリアで衝撃のデビューウィン、第2戦マレーシアは2位、第3戦日本GPで優勝、と快進撃を続けていた。そして第4戦のスペインGPを迎える。

 土曜の予選で、若井がコースへ出ようとしたときに悲劇が発生した。ピットレーンに観客が飛び出し、この観客との接触を回避しようとした若井はピットロードの壁に衝突、頭部を強打した。懸命の治療の甲斐なく、25歳で逝去。翌日の決勝レースでは、125CCクラスで坂田が初優勝を達成。堪えていた涙が表彰台で一気に爆発した。5位でフィニッシュした上田は、自らのピットガレージへ戻る際、マシンに跨がりながら若井の激突したウォールに触れ、別れを告げた。250CCクラスでは原田が優勝。レースを終えてヘルメットを脱いだ後も、原田の涙は止まらなかった。若井の死を悼む意味から、このクラスの表彰式は行われなかった。

 そして1994年2月、ヘレスサーキットにフラミンゴの像が建立された。その碑文には、以下のようなことばが記されている。

「魂と肉体の翼いまだ衰えぬまま この地に止まりて挑むは 汝ら志ひとしき同胞 飽かず疾駆する勇姿なり」

 コース脇のフェンス内側に立つフラミンゴの像が選手たちの姿を今も見つめ続けるなか、ヘレスサーキットは若井の事故から20回目のグランプリを迎える。(モータージャーナリスト・西村章)






Last updated  May 1, 2021 02:46:00 PM
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