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レース

2018年07月08日
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カテゴリ:レース
2008年5月15日にノースウェスト200に参戦中に亡くなったロバート・ダンロップを父にもち、2000年、エストニア共和国タリンで行われた公道レースで亡くなったジョイ・ダンロップを叔父にもつウィリアム・ダンロップが、Skerries 100の練習走行中の事故で亡くなられたそうです。。。

マン島TTなどの公道レースといえば、ダンロップ家は、本当に強いのですが、やはりリスクが大きい。。。
それが映画にもなったのですが、やはり、バイクで亡くなってはいけない。。。。

残念です。。。

御冥福を、お祈りいたします。


生年月日: 1985年7月23日
生まれ: イギリス 北アイルランド
死亡: 2018年7月7日, アイルランド スケリーズ
両親: ロバート・ダンロップ、 ルイーズ・ダンロップ
兄弟姉妹: マイケル・ダンロップ、 ダニエル・ダンロップ
いとこ: ゲイリー・ダンロップ、 ジョアン・ダンロップ、 ジュリー・ダンロップ、 ドナ・ダンロップ、 リチャード・ダンロップ



★ウィリアム・ダンロップがSkerries 100の練習走行中に逝去 2018年7月8日



アイルランドで開催されているSkerries 100の練習走行中に、サムズトンネル付近で転倒したウィリアム・ダンロップが、転倒による怪我が原因で32歳という若さでこの世を去りました。ウィリアム・ダンロップのご家族、友人に心からお悔やみを申し上げます。

ウィリアム・ダンロップはマイケル・ダンロップの兄でロバート・ダンロップの息子、そしてジョーイ・ダンロップの甥でした。ウィリアム・ダンロップはマン島TTで6度表彰台を獲得、ノースウェスト200、アルスターグランプリで優勝経験がありました。

Loughshinny Motorcycle Supporters Club
Skerries 100のオーガナイザーであるLoughshinny Motorcycle Supporters Clubは、ウィリアム・ダンロップが2018年7月7日に行われた練習走行の中で起きた悲劇的な事故の結果、命を落としたことを深い悲しみと共にご報告します。Loughshinny Motorcycle Supporters Clubはウィリアム・ダンロップのご家族とご友人に深い哀悼の意を表します。


<Loughshinny Motorcycle Supporters Club プレスリリース>



なぜこれほどバイクに乗ることに魅了されるのかを教えてくれる映画「ROAD」

1
2015-02-24
二上善則 @ ロレンス編集部
コラムエンターテイメントカルチャーロードレース


映画「ROAD」。マン島TTレースで最多優勝を記録した伝説のレーサー、ジョイ・ダンロップとその弟のロバート・ダンロップ。そしてロバートの息子であるウィリアムとマイケルの兄弟。そのダンロップ家が2世代に渡り挑み続ける危険な公道レースの悲劇と栄光の物語だ。



イギリスのほぼ中央に浮かぶ美しい島で開催される、マン島TTレースは1907年から続くバイクレースの原点といえるレースである。そのレースは昔も今も一般道を封鎖して行われる公道レースで、安全対策が行き届いたサーキットを周回するロードレースに較べて、極めて危険で常に死と隣り合わせの緊張感がレースを支配しているかのようだ。




その公道レースを舞台にしたドキュメント映画「ROAD」は、1970年代の貴重な映像でジョイ・ダンロップがレジェンド・レーサーに登り詰めていく様子から2000年にレース中の事故でその生涯を終えるまで、また兄に憧れて同じくレーサーとなって活躍するも1994年のレースで再起不能の事故に会い、そこから奇跡の復活を遂げるロバート・ダンロップの姿を、美しいマン島の風景とともにオンボードカメラによる走行シーンをふんだんに使った迫力のある映像で描かれている。そして、クライマックスは父・ロバートの意志を継いでレーサーとなった二人の息子たちが直面する父のレース事故死と歓喜の勝利。危険な公道レースの栄光は悲劇と紙一重で成り立っているということを思い知らされる。

なぜこれほどまでバイクで走ることに魅了されるのか
この映画はすべてのバイク乗りに観てもらいたい映画だ。マン島TTレースのように公道を時速320kmで走ることはできないし、そもそもバイクに乗るということは決して危険な行為ではない。ただ、公道レースという極限のロードレースにすべてを捧げた兄弟と、その栄光を受け継いだ息子たちのドラマティックな人生に、私たちがなぜこれほどまでバイクで走るということに魅了されるのか教えられたような気がしてならない。リターンライダーはもちろんのこと、若いライダーには1970年代のレーシングスーツをはじめファッションにも注目してほしい。

私は残念ながらマン島TTレースを現地で観戦したことはないが、30歳代の頃にこのロードレースの聖地・マン島をバイクで走ってみたいと思い立ちツーリングの計画を練った時期がある。残念ながら諸事情でこの計画は実現しなかったけど、ダンロップが闘ったこの「ROAD」をいつか自分でも走ってみたい。





映画「ROAD」は4月11日(土)よりシネマート新宿、シネマート心斎橋にてロードショーされます。

『ロード』
ⓒ2014 DoubleBand Films All Rights Reserved
配給:レイドバック・コーポレーション

●「ロード ディスティニー・オブ・TTライダー」公式サイト
http://road.euro-p.info






Last updated  2018年07月09日 02時10分16秒
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2018年07月04日
カテゴリ:レース
レース界のレジェンド、松本憲明さんが亡くなられたそうです。

自宅で、脳梗塞で倒れられたとのことです。。。。

数多い豪快伝説は有名ですね。。。

残念です。。。。


御冥福を、お祈りいたします。。。





コンプライアンスって食べられるの?Mr.Bikeギャラリー
かつてミスター・バイクの誌上を彩った数々のグラビアたち。



あるときは驚きを、またあるときは笑いを、そしてまたあるときは怒りさえも呼び込んだ、それらの舞台裏ではなにがあったのか?

1980年代中盤から1990年代に、メインカメラとして奮闘した謎の写真技師こと、エトさんこと、衛藤達也氏が明かす、撮影にまつわる、今だから話せる(んじゃないかと思うけど、ホントはまずいのかも)あんな話、こんな話。聞きたくないですか。

第25回「相手をブチ抜くための

高等テク? よくわかる?? その理論と実践??? Complianceって食べられるの? そんな時代のお話です。ああ、めまいが。」

 「松本憲明ってライダー知ってる?」
 I事務所でカメラマンをしているときの話です。チューニングバイクの取材兼撮影で訪ねたカスタム屋さんで初めて憲明さんの話を聞きました。入社して1ヶ月もたってない4月頃のことで、まだレース業界に首を突っ込んでいませんでした。ですから憲明さんはもちろん、事務所にベンツでやってきた全日本の大御所ライダーを本物のヤ○ザと勘違いしたり、菅生でいきなり後ろから抱きついてきた世界的に大変著名である小柄な外人ライダーをモーホだと信じたり……(第24回参照)。
「プライベートで500ccのレーサーを走らせている凄い奴だよ」と聞かされても、500ccマシンがどんなものか頭に浮かばないし、それをプライベートで走らせることがどんなに大変なことか、そもそもプライベートって何? というレベルでしたから全く想像ができません。私はただのバイク好き、ただのバイク乗りで、バイク雑誌はミスター・バイクしか読みませんでした。ネットなんてない時代ですから、バイクの知識=ミスター・バイクで読んだものでした(ほとんど何も知らないと同義語)。こんな人間が、この業界に入ってしまったのですから、不思議です。
 今回のお話は、そんな状態から少しずつ知識が増え始めた頃、憲明さんがミスター・バイクのキャラクターとして誌面に出始めた1980年代中頃のお話です。
 いつものように、I井さんからお電話がありました。
「エトー、今度さー、うちで松本憲明を応援することになってページを作ろーってワケ。編集部来て」
 その頃になると、私もレース業界にドップリ浸かっていましたから、ペーペーの頃のようなこともなく、もちろん憲明さんのことも知っていました。しかし、話をしたことはありません。といいますか……はなはだ失礼に当たるかと思いますが……その頃、私の憲明さんに対するイメージは……型遅れのマシンで一生懸命戦っていたのですが、非力なマシンでバリバリのワークスマシンや有力チームに無茶な走りで挑んでいつも転倒する人。松本憲明=転倒というイメージしか浮かばなかったのです。今更ですが、ごめんなさい。
 そんな憲明さんとどんな仕事でしょう。I井さんのことですから、普通のインタビューとか、お部屋拝見とか、そんな簡単なワケがありません。バイク雑誌で「アナタのパンツ見せてください」を企画し、自身街頭で何日も粘り、何百人の女性に声をかけ、そのうちの何人かのネジの抜けた女性、もとい、勇気ある女性のパンツを誌面に掲載してしまった編集者の鑑です。少なくとも、普通の人は考えないといいますか、やりたがらない、危険な企画の匂いがぷんぷんしてきます。不安を抱きつつ編集部に向かいました。
 編集部のいつもの食堂に、すでにI井さんと憲明さんが待っていました。恐縮しつつ話に加わると企画はもう決まっていました。
「で、エトーさ、トビラに使うイメージカットはスリップストリームイメージなワケ。憲明さんの後ろに乗って、かっこいい、スリップストリームのイメージ、バシっと。凄いの、たのむワケ」
「はぁ。それはいいのですが、あのー、カメラを構えて、ピント合わせて、シャッター押すとなるとどうしても両手を使うことになるのですが、その間どーやって落ちないようにすればいいんでしょう?」
「そんなのワケないだろ。憲明さんとお前をロープで縛っときゃ大丈夫なワケ」
「……あのー、たいへん申し上げにくいことなのですが、ロープでしばるということは、もしコケたりしたらどうなっちゃうんでしょう」
「エトーさ、憲明さんはレーサーなワケ。しかも全日本の500の現役ライダーなワケ。そこら辺のあんちゃんライダーとは違うワケ。だから安心なワケ。大丈夫だってばー。本当にエトーは心配性なんだからー」




1985年12月号表紙
今回は1985年12月号。巻頭は第26回東京モーターショー速報。ファラコラスティコ、GSX400X、VFR400Rなど出てます。第二特集は礼子さんがバニーしてたり、しげの秀一さんと荻野目洋子たんがNS400Rでタンデムしてたり、三原じゅん子さんとジャガー横田さんが抱き合っていたり、玉川良一さんがFZ400Rにまたがっていたり、小道迷子さんが根津甚八さんに抱きついてたり、よくわかりませんがどえらいメンツです。
 そう言われても、憲明さんはレーサーで、しかも全日本の500の現役ライダーで、それもいつもサーキットで転んでいる姿を見ているからこそとても不安なのです。が、さすがに初対面の本人の前でそれを口にする勇気を私は持っていませんでした。
 無論「憲明さんはコケそうだから後ろに乗るのは嫌だ」という理由でお仕事をお断わりすることなんて出来るわけがありません。それよりももっと大きな問題はスリップストリームという目に見えないものをどうやって絵に表現するかということです。
 I井さんと知恵を絞って、絞って、結局は風洞実験でよく使われていたような、ミミズみたいなひもをたくさん付けて、空気の流れを写すことにしたのですが、それだけではただの実験写真でなんかおもしろくありません。いわゆるミスターらしくないのです。
 
 そんな時は、困った時のヨドバシカメラ(広告担当者様、バナー広告、スペース空けてお待ちしております)。新宿西口駅前の大きなカメラの店に出向き、色々な階を物色していると面白いものを見つけました。サイクロンというフィルターで、レンズの前につけると渦を巻いたように映るということです。いったい何の目的で作られたのか未だ理解できないフイルターですが、今回の撮影には使えそうです。とはいえ、結局はこの時に使っただけで、以後は、これまたヨドバシカメラで購入した防水ケース(第22話参照)などと共に、衛藤写真用品蔵で永い眠りに入っているはずです。が、探したのに発見できませんでした。現在でも売っているのでしょうか?
 こんなわけのわからないフィルターで簡単に撮影を済ましてよいのだろうか……と心の葛藤もあったような、なかったような。気がつけばもうレジに並んでいました。心の弱いカメラマンなんです。
 撮影当日I井さんは予告したとおり、憲明さんと私をロープで一心同体にして、GSX-Rの後ろに載せられました。まずは憲明さんの肩越しにカメラを構え、前のバイクのスリップに入り込むという設定での撮影から始めました。
「大丈夫だから。安心して撮影しなよ」と憲明さん。いやいや、私は貴方様が転がるシーンをいつも見ているのですよ。安心しろと言われても……この期に及んではドイツ軍親衛隊のタイガー戦車に包囲されたレジスタンス状態。ビビりながら「無茶しないでくださいね」と答えるのが精一杯の抵抗でした。
 憲明さんにピッタリくっつくと、当然股間もぴったりあたって気持ちがいい、わけありません。信哉さんならば「エトー、男が男にキンタマくっつけんじゃねーよ」と激しく抗議したことでしょう。憲明さんは特に何も言いませんでした。それもなんだか別の意味で不安な要素になったりして。そう、とにかく心配が私の十八番なのです。




1985年12月号




1985年12月号
「相手をブチ抜くための高等テク よくわかるその理論と実践 これがスリップストリームだ!」というド・ストレートなモノクログラビア3ページのプチ特集。本文の最後に「どんなマシンでも最高速が伸び、燃費が大幅に向上する」なんて恐ろしく無責任な一文が……当時は誰も疑問に思わなかったんです。と、いいますかこれで当たり前だったのです。マジで。ところで、サイクロンフィルターの効果、わかりますか?
 心配といえば、まったく関係のない話ですが、大きめの地震の後ニュース速報などで「津波の心配はありません」とよく聞きますが、あの「心配」ってどういう意味なのでしょうか。「津波はありません」の方がストレートで解りやすいと思います。もしかして、日本中みんな私と同じように心配症で、フォローしてくれているのでしょうか?
 
 ところでこの写真どこで撮影したんでしょう? 改めて写真を見るとスピードメーターは80キロくらいを指しています。例えば高速道路だとしたら速度は問題ありま……ん? 当時高速道路で二人乗りしたらそれだけでアウト(汗)。さらに明らかに車間距離不保持(中汗)。撮影したのは筑波の自動車テストコースでしょうか(大汗)。その辺のことは、全くもって完璧に微塵も完膚なきまで思い出せません(華厳の滝汗)。
 ちょっと胃が痛んできました……えーっと、なんの話でしたっけ。
 そうそう撮影の話ですね。無事にトビラ用のイメージカット撮影が終わると、今度はワゴン車の後ろについて、実際のスリップストリームでどのように風が流れるのか、メインカットの撮影です。現場スタッフといっても4人(憲明さん、I井さん、私、もう一人の、キルロイか安生さんだったか編集部員がいたと思いますが、誰だったか忘れました)で、チマチマちまちまチマチマちまちまと、毛糸の切れ端を結構時間をかけてバイクとワゴン車と憲明さんに貼付けて、なんとか準備を完了しました。




1985年11月号
偶然に発掘された未公開カット。タイヤの先端に目がついているような車間距離です。これがレーサーなんです。これ、ホントに走っていたんでしょうか?
 いよいよ本番です。今度は憲明さんの後ろではなく併走車からの撮影なのでやや気が楽です。併走車を運転するI井さんは「エトー、ワシ運転してるから横見れないワケ。一発でわかるようにしっかり撮れ!」と叫んでいます。信哉さんとの撮影ならば何度もやっていたので、あうんの呼吸でしたが、憲明さんとは初仕事です。そう簡単にはいきません。憲明さんには声では伝わらないのでジェスチャーで、I井さんには大声で伝え、並走車との位置を調整してなんとか撮影を終えました。
 

 終わったときどっと疲れが出たことはハッキリと思い出せます。信哉さんだったら「エトーは俺様に向かってまるでタコがもがいて手が絡まって苦しみ踊っているような動きをしていた」と書きそうなほど、端から見ればおかしなジェスチャーをしていたようです。
 現像が上がってきたネガを見て、改めてギリギリ近づいてくれた憲明さんのおかげで風の動きがはっきり撮影できたことに感謝しました。やはり、レーサーという人達は凄い、凄すぎる。そしてそれをやらせたI井さんもぶっ飛んでいました。
 当時はほんとに結構やばい撮影をしていたものです。今ではとても許されないでしょう。
 危ない企画といえば、カメラマン伊勢ひかるが被写体になって「バイクと車がぶつかったら人間がどうなるか」というような身体を張った撮影をしたことを思い出しました。ちなみに伊勢はカメラマンであってスタントマンではありません。タイトルは「一番、ヒカル飛びます」というような軽いものだったかと思います。これもいつか裏話を書きましょうか。
 今回のお話は遠い昔の話です。今とは時代が違いすぎます。みなさん、危ないことをして、ツイッターとかに投稿してはいけません。



松本憲明伝説w

子連れさんよりの依頼


>ミスター・バイク コレクターのパキチ君、
生キズ男の、栄光の伝説を書いてくれたまへ


で、ちょっと昔の雑誌(前世紀だがw)を引っ張り出してみた


探さねばならぬネタはもう決まっていた

アタシが松本憲明というレーサーに持っているイメージを決定付けた記事がこれだ













1986年 5/11 全日本ロードレース第5戦・筑波



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プライベーターながら見事入賞 賞金20万円ゲット!w



で、











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これだけならヤラセかもしれないと思ったアナタ










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さすが、ミスター・バイク(^^)


紅(くれない)さんもいい度胸してんなぁ・・・・


松本憲明、カラダを売ってレースをする男
二輪のレーサーのイメージを地に落とした異端児



この手のなめきった企画が無くなったのが、ミスター・バイク廃刊の原因だとアタシは見ている




なんか思い出したらまたアップしますw






Last updated  2018年07月05日 08時23分48秒
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2018年05月01日
カテゴリ:レース
本当に、ものすごい人物で、人柄で。。。若井さんがいたから、ほかのみんなが活躍できた。。。


もう25年ですか。。。


坂田、上田とともに、125ccで世界で大活躍して、250で頑張っていた矢先でしたね。

当時は、γだったんだなぁ

ヘレスで、ピットロードに入ってきた観客をよけて、、、、


本当に信じられませんでした。。。


陽気で人気者で、フラミンゴという愛称で海外のレーサー、ファンにも慕われていました。


あの頃の日本人は、本当に強かった

その先駆者として、本当にがんばっておられました。

若井さんの速さと強さ、優しさは、ずっと忘れません。


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Last updated  2018年05月01日 22時43分34秒
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2018年04月24日
カテゴリ:レース
あの悲しい事故から7年ですか。。。

震災の年だったんですよね。。。
チャリティとかでもがんばっておられたのに。。。


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高橋江紀が交通事故で死去

まだ23歳…。これからと言うときのアクシデント


News 2011/04/25 12:17:36

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高橋江紀が4月24日(日)に交通事故に遭い死去した。享年23。

高橋は、2005年に全日本GP250クラスにフル参戦を開始。その緒戦で青山周平を破り劇的な初優勝を達成、ランキング3位となる。2007年よりST600クラスにスイッチ。昨年は、新設されたJ-GP2クラスに出場。MotoGPロードレース世界選手権日本グランプリにもスポット参戦した。

今シーズンよりRS-ITOに移籍。心機一転、カワサキZX-6Rを駆り、ST600クラスに参戦する予定だった。シーズンオフから筑波サーキットで走り込み調子も上々だったが、東日本大震災の影響で開幕戦筑波が中止となってしまい、その成果は発揮できずにいた。4月上旬には、オートポリスに遠征、コンディションに恵まれず満足に走れなかったが、自己ベストを更新したと好調ぶりを語っていた。違う環境に飛び込み、まさにこれからというときに起きたアクシデントだった。

高橋は、東日本大震災の被災者の支援も積極的に行っており、20日(水)には、所属チームの一員として川越駅前で募金活動を行い、23日(土)には、自身がインストラクターも務める桶川スポーツランドで「RT311」と題したチャリティーイベントを開催していた。

心からご冥福をお祈りいたします。






Last updated  2018年04月24日 07時41分20秒
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2018年04月20日
カテゴリ:レース
2003年4月20日に、四日市の病院で闘っていた加藤大治郎選手が、永遠の眠りにつきました。

もう15年ですか。。。

早いですね。。。15年経っても、いまだに信じられません。。。
大ちゃんがいなくなって、日本のモーターレース会は、止まってしまったようです・・・

鈴鹿での事故で、ヘリで運ばれ。。。
状態がよくなったとの話もでたのですが。。。

全世界のバイクファンが悲しみにつつまれました

2003/06/01 加藤大治郎選手『偉大なるチャンピオン・栄光の軌跡』展 に行ってきました。
これは、写真展に行ってきたときのレポートです

はじめて大ちゃんと会ったのは、1996年の8耐で、前日に宋和さん、坂田さん、武田くんとコンビであったときでしたd90c343288e6a29d895a4fcb63ad9c04

そのときのレポート
TRF HONDAの第3ライダーとして、イベント等参加されてました。
宗和さんと、125の坂田と、750の武田雄一、250の加藤大治郎と一緒に、8耐前夜にサーキット近くのコンビニでばったり出会いました。
その時何故アプリリアの坂田と一緒にいるのとたずねたら、「俺達、HRCの監督に気に入られているから(爆笑)」って感じでした。
コンビニの中で、写真を撮ったり、はしゃぎまくっている私の友人と、4人でちょっと話したのですが(武田君と加藤君はとても大人しい...)
みんな良い人で、次の日もある場所(これは極秘です)で出会ったのですが、そこでも気さくに話してくれました。

コンビニに行ったのは、夜中に買い出しに行った時でした。
夜中でしたが、レジには行列が出来ていました。しかし、だれも気づきません。
前日にHOTELから出たまんまの格好でしたので、見事に溶け込んでおりました。
私が気づくと、友人も超ミーハーになり、話しかけに行きました。
写真を撮ったりしたのですが、それでも、まわりはシーンとしていました。
ライダーって、つなぎやチームの服でないと、だれも気づかないみたいですね。
(チームの服着てても、スタッフと間違われたりしてるようですが...)
特に8耐は、ライダーの名前なんて知らない人も結構多いので、みんな平気に表に出てますね。

1997にはSuper Bike2ヒートも見に行きました
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1998のモータースポーツキックオフデーでもサインもらいました。

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ほんとうに、すごいキャラクターで、みんなに愛されていました。
そして、ロッシに勝って、世界チャンピオンになれるのは、大ちゃんしかいないと
誰もが思っていました。


いまでもロッシの走りを見るたびに、大ちゃんが生きていたら、どうだったんだろうなぁと思い返してしまいます


いまでも大ちゃんがいないことが信じられません。。。





もう2度と、、、悲しい事故が起こらないように、みんなを見守っていてください。。。



悲しい事故が多すぎる。。。。




みんな、いまでも忘れない。

そうそう、大ちゃんの名前をもらった、うちの だいちゃんが、4年前、星になってしまって。。。
大ちゃんといっしょにいるかな。。。

似てる猫ちゃんが、前の家にいたんだけど、その子も、年末からみなくなってしまった。。。


やっぱり、さびしいなぁ。。。





















































Last updated  2018年04月20日 07時44分12秒
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2018年04月16日
カテゴリ:レース
まあ、時間の問題かとは、思ったけど

気がつくのに、だいぶ時間がかかりましたね。。。。

スポンサーが朝日新聞ですってくらい言ってやれば良かった


完全無視で、変えないでほしいね。

津田君もがんばれ!!!


いまんところは、韓国の新聞には、出てないな。。。



【MotoGP】 ヨハン・ザルコの“旭日旗”ヘルメットに韓国人が抗議




2018年4月16日
MotoGP ヨハン・ザルコ 旭日旗MotoGPに参戦するヨハン・ザルコの“旭日旗”をデザインしたヘルメットに対して、韓国人ネットユーザーがMotoGPを主催するドルナスポールに抗議のメールを送っていたことが明らかになった。

昨年、ヤマハ・テック3でMotoGPデビューを果たしたヨハン・ザルコは、チャンピオンを獲得したMoto2時代から“旭日旗”をデザインしたヘルメットを着用している。

しかし、韓国人ネットユーザーが最近レースでヨハン・ザルコのこのヘルメットのデザインに気づいた。怒りを覚えたユーザーは、ザルコが旭日旗のヘルメットを着用しないようドルナスポーツに抗議のメールを送ったという。

韓国のニュースサイト Insight は、「メールでヨハン・ザルコのヘルメットに描かれた模様は植民地支配の歴史を象徴する。ナチスのハーケンクロイツと同じ意味だと抗議した」とこの韓国人ユーザーのコメントを紹介。

「実際に私の意見が反映されるかは分からない。MotoGPの影響力は大きい。旭日基を撤廃することに役立ったら良いだろう」

ヨハン・ザルコは、ヘルメットに旭日旗をデザインしている理由を以下のように説明している。

「僕のコーチは1992年にGPのメカニックをしていたんだ。で、彼から日本人ライダーのことを聞いた」」とヨハン・ザルコはダンロップのインタビューでコメント。

「あの頃、坂田、上田、若井がGPにやってきて、彼らはすごく強かった。マネージャーから彼らのストーリーをいろいろ聞いていたんだ。それで、彼ら日本人ライダーへ尊敬を表して、ライジングサンのデザインをヘルメットにつけた。すごく気に入っているんだ」

「上田の時代を思い出すね。ライジングサンのデザインは、戦争の悪いイメージがあるという人もいるけど、それとは意味が違うんだ」

韓国人の旭日旗に対する感情は激しく、サッカーを始めする国際的なスポーツなどでたびたび抗議を行っている。






Last updated  2018年04月17日 01時42分00秒
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2018年04月08日
カテゴリ:レース
本当に信じられませんでした

ほんとに、明るく、皆の人気者で

2009年の鈴鹿8耐では、盛り上げ役で、夜もイベントやってて

ほんと、皆から愛される方でした


筑波サーキットのテスト走行の悲劇から。。。もう8年


今年は、悲しい事故が起きないことを祈っています。



Youtubeみてると。。。涙が止まりません。。。。











鎌田 学


Manabu Kamada



1994年から全日本ロードレースに参戦を始め、桜井ホンダ、ヨシムラに所属後、ホンダレーシング(HRC)にてテストライダーを担当。NSR500、RC211V、CBR1000RR等の開発テストをする傍ら、HONDAコレクションホールに保管されている貴重車両の動態保存テストも経験。最新モデルから歴史に残る名車まで、幅広いモーターサイクルを体験する。サードライダーも含めた鈴鹿8耐には14回出場し、2001年と2003年には総合優勝を獲得。2009年から独立し、「Large Motor Sommlier」として、これまでの経験を活かした幅広い活動を行っていた。しかし、2010年4月8日、テスト走行中の転倒が原因で享年40歳という若さで逝去する。


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Last updated  2018年04月10日 07時50分42秒
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2018年03月16日
カテゴリ:レース
中山翔太さんの訃報。。。
もう3年なんですね。。。
高校を卒業して、これからという時の事故。。。
それも自転車でのもらい事故。。。

ほんとうに、たくさん泣きました。。。

愛理さん、お兄さんの分まで、ずっと頑張っておられます。
今年も応援します


中山翔太が交通事故で死去

新しいシーズンの開幕を前にして痛ましい事故が起きてしまった。2015年は、ゼッケン13をつけて全日本フル参戦3年目のシーズンを迎えようとしていた中山翔太が3月16日(月)夕方に交通事故に遭い還らぬ人となってしまった。教習所に向かっているときにクルマにはねられてしまったそうだ。まだ18歳の若さだった…。

1996年5月30日・兵庫県姫路市出身の中山は、岡山国際サーキットを中心に活躍し、2013年より全日本J-GP3クラスにフル参戦を開始。昨年は、ランキング13位となっていた。今年は、J-GP3クラスチャンピオンチームのTEAM PLUSONEに移籍し、まさにこれからという時だった。

これから開花するであろう若い才能が、また一つ失われてしまった。心からご冥福をお祈り申し上げます。



兄妹の高校生ライダー、全日本選手権で活躍誓う 姫路

「高校生ライダー」として全国で活動する兵庫県姫路市白鳥台の中山翔太さん(18)=琴丘高3年=と愛理さん(16)=姫路東高2年=の兄妹が1、2日、鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)で開かれるバイクレース「全日本ロードレース選手権」に出場する。バイク歴10年を超え、大人に混じって実力を蓄えてきた2人。あこがれの舞台で活躍を誓う。






Last updated  2018年03月17日 02時19分34秒
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2018年03月09日
カテゴリ:レース
本当に悲しい事故でした。。。
偉大なライダーを失いました。。。。

二度と、このようなことがないように祈ります。。。




Anthony Delhalle nous a quittés


アンソニーDelhalleは、我々のもとを去りました

Terrible nouvelle en provenance de Nogaro où les équipes d’endurance GMT94, Motors Events et SERT effectuaient des essais privés pour préparer la prochaine épreuve du championnat du monde au Mans. Anthony Delhalle a en effet été victime d’une sortie de piste au premier virage du circuit Gersoi en milieu de matinée. Rapidement pris en charge par les pompiers, ces derniers ne sont pas parvenus à réanimer le pilote Suzuki. 5 fois champion du monde d’endurance avec le SERT, Anthony était à 35 ans un champion discret, profondément gentil et unanimement apprécié du paddock. Sa disparition laissera un grand vide dans nos cœurs et toute l’équipe de Moto Revue adresse ses pensées les plus sincères à sa femme Jessie et à ses deux enfants Sophia et Andrea.



浦本 修充さんがSuzuki Moto Franceさんの写真をシェアしました。
6時間前 ·
昨年のスペイン選手権の最終戦に参戦した際にチームメートだったアントニー選手がテスト中のアクシデントで亡くなりました。
初めてで何もわからなかった僕にも気さくに話しかけてくれて心優しい人なんだなと言うのが短い間でも伝わる本当に良い選手でした。
ご冥福をお祈りいたします。



新庄 雅浩さんはAnthony De La Halleさんと一緒です。
5時間前 ·
I love you Anthony
尊敬するライダーがまた亡くなってしまいました。
突然過ぎて現実なのか整理つかないけど
出会えて一緒に走れて本当に自分を成長させてくれたました。
ゆっくり休んでくれるといいな。
みんなの心に少しだけでもAnthonyを残していて欲しいです。
もう松下さんとルマンの話で盛り上がってるかな。



北川 圭一
5時間前 ·
ホント参った
アントニーが亡くなったって知って、、、
バンソンと毎年8耐来ていて
何度も京都に遊びにきていたのに、、、
ホント控えめないい奴だったのに、ショック、、、
モータースポーツの危険性を改めて、感じさせられます。
心よりご冥福をお祈りします。



加賀山 就臣さんが写真6件を追加しました。
6時間前 · 神奈川県横浜市 ·
参ったな〜。
共に戦った、アントニーが亡くなった。
テスト中のアクシデントだったらしい。
ご冥福を祈る。
R.I.P
アントニーとは2012年、SERTで鈴鹿8耐や世界耐久で共に戦った戦友。共に優勝もした、共にチャンピオンも獲得した。
その後も、いつも俺の所に来てくれる。
本当、控えめでいい奴だった、いつかまた組みたかったな〜……。
参った……。
https://www.facebook.com/anthony.delhalle.1/




スズキで5度の耐久レース王座を獲得したアンソニー・デラールがテスト中に事故で亡くなる
AUTOSPORTweb
アンソニー・デラール



 SERT(スズキ・エンデュランス・レーシング・チーム)から世界耐久選手権(EWC)に参戦するアンソニー・デラールが、9日にフランス南部のノガロ・サーキットで行っていたプライベートテスト中の転倒事故により亡くなった。

 EWC第2戦ル・マン24時間耐久ロードレースに向けノガロ・サーキットでプライベートテストを行っていたデラール。EWCのオフィシャルサイトによれば、今回の死亡事故はストレートエンドで発生したという。事故後、現場にはレスキュー隊が駆けつけ、救助作業が行われたものの、そのかいむなしく死亡が確認された。

 デラールは35歳のフランス人ライダーで、2004年に初めてル・マン24時間耐久ロードレースに参戦。EWCでは、スズキGSX-R1000を駆って2011年、2012年、2013年、2015年、2016年と5度のチャンピオンを獲得した。






Last updated  2018年03月09日 05時58分40秒
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2017年10月23日
カテゴリ:レース
10月23日はシモンチェリの命日です。

もう6年ですね

まだ、24歳、これからでした。。。ついてないとしかいいようがない事故でした。。。


今年も、事故もなく、シモンチェリの分まで、すばらしいレースを見せてくれることを祈ります。




【MotoGPマレーシアGP】シモンチェリが事故死

23日、マレーシアのセパンで開催されたロードレース世界選手権マレーシアGP、MotoGPクラス決勝レースで、マルコ・シモンチェリ(ホンダ)が事故死した。24歳。


2列目5番手スタートのシモンチェリは4番手走行中の2ラップ目、11コーナーで転倒、後続車と接触、頭、首、胸を強打した。医療班が事故現場に到着した時はすでに意識不明で、ただちにサーキット医療センターへ搬送された。移動の救急車中から心肺蘇生がほどこされたが、手当のかいなく、約45分後の16時56分に死亡が宣告された。

レースは事故直後に赤旗中断、キャンセルされた。

MotoGP、マルコ・シモンチェリの事故死の状況を説明

2011年10月24日MotoGPのレースディレクションは23日、セパン・インターナショナル・サーキットのプレスカンファレンスルームで、第17戦マレーシアGPの決勝レースで事故死したマルコ・シモンチェリの状況に関して共同会見を行った。

レースディレクションの代表であるポール・バトラーは、「この記者会見の目的は、マルコ・シモンチェリの悲劇的な死亡の状況を検証することです」と説明を始めた。

「皆様がご存知のように、我々レースディレクションのメンバー全員がここに出席します。FIM国際モーターサイクリズム連盟の代表であるクロード・ダニス、ドルナスポーツの代表であるハビエル・アロンソ、ライダーの代表であるフランコ・ウンチーニ、そして私はIRTA国際レーシングチーム連盟の代表兼レースディレクションの代表です。ミケーレ・マッキアゴデーナは我々のメディカルディレクターであり、彼が死亡に関して状況を説明します。」

マッキアゴデーナは、「友人であるマルコ・シモンチェリの死亡に関して報告するために、ここにいることは大変悲しいです。他のライダーたちに激突したレース中の転倒でした。彼は頭部と首、胸部に深刻な外傷を負いました。」

「我々のメディカルスタッフが彼のところに駆けつけたとき、彼は意識不明でした。心停止だったことから、救急車で、CPR(心肺蘇生)を始めました。」

「緊急に、メディカルセンターでクリニカモービルのスタッフと地元医師の助けを借り、挿管を施行し、胸部から少量の血液を吸引することが可能でした。」

「我々は彼を助けるために治療を尽くし、可能だと考えて、CPRを45分間継続しました。不運にも彼を助けることができず、現地時間の16時56分に死亡を宣言しなければいけませんでした」と、状況を説明した。

バトラーは、ヘルメットが外れたことに関する質問に対して、「他の機会に答えることができると思います。事故の状況や結果を徹底的に調査します」と、事故検証を実施することを説明。

コーリン・エドワーズの負傷状態に関して、マッキアゴデーナは「肩を脱臼しました。麻酔を受け、正しい位置に戻りました。彼は大丈夫です」と説明。

「我々は彼の家族に同情します。可能な限り、あらゆる点を示したい」と、バトラーは付け加え、会見を締め括った。


マルコ・シモンチェリ 経歴1996年から2000年にかけて地元イタリアのミニバイク選手権で活躍し、2年連続のチャンピオンに輝く。01年にイタリア選手権125ccクラスのホンダ・トロフィーに参戦。翌02年には、欧州選手権の125ccタイトルを獲得するとともに、ロードレース世界選手権(WGP)にも出場。03年からWGPにフル参戦を開始し、05年には125ccで総合5位と躍進すると、翌年から250ccにステップアップを果たした。08年には250ccのタイトルを獲得し、09年は、最終戦までライバル青山博一選手とタイトル争いを繰り広げ、総合3位となった。2010年に最高峰のMotoGPにステップアップ。参戦2年目の2011年、第17戦マレーシアGP決勝レースにおけるアクシデントで負傷し、サーキットのメディカルセンターで救命処置が行われたが同日逝去。享年24歳。




故マルコ・シモンチェリが21人目のレジェンドライダーに
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故マルコ・シモンチェリが21人目のレジェンドライダーに
2011年10月にレースアクシデントにより事故死した故シモンチェリが、アゴスチーニ、ニエト、ドゥーハン、ヘイルウッド、リード、マング、ローソン、レイニー、ロバーツ、スペンサー、シーン、加藤、ストーナーらに続き、21人目のレジェンドライダーとして殿堂入りすることが決まった。
ドルナスポーツは3日、2011年10月23日にセパン・インターナショナル・サーキットで開催された第17戦マレーシアGPの決勝レースで事故死した故マルコ・シモンチェリをレジェンドライダーとして殿堂入りすることを発表した。

2008年10月19日に同地で開催された第17戦マレーシアGPの決勝レースで3番グリッドから3位に入り、250ccクラスのチャンピオンに輝き、2010年から最高峰クラスへの挑戦を開始。事故の1週間前には自己最高位となる2位を獲得していた。

レジェンドライダー就任のセレモニーは、ムジェロ・サーキットで開催される第6戦イタリアGPで実施される。

レジェンドライダーリスト

ジャコモ・アゴスチーニ
アンヘル・ニエト
マイク・ヘイルウッド
ミック・ドゥーハン
フィル・リード
ジム・レッドマン
アントン・マング
カルロ・ウビアリ
ジョン・サーティース
ジェフ・デューク
エディ・ローソン
フレディ・スペンサー
ケビン・シュワンツ
ウェイン・レイニー
ケニー・ロバーツ
バーリー・シーン
ワイン・ガードナー
ヤーノ・サーリネン
加藤大治郎
ケーシー・ストーナー
Tags:
MotoGP, 2014



故・シモンチェリ、ムジェロで21人目のレジェンドライダーセレモニー

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故・シモンチェリ、ムジェロで21人目のレジェンドライダーセレモニー
Marco Simoncelli - MotoGP Legend
Marco Simoncelli MotoGP Legend
元250ccクラス王者で、2011年10月の第17戦マレーシアGPで事故死した故シモンチェリがレジェンドライダーに就任した殿堂入りのセレモニーが、第6戦イタリアGP開催中のムジェロで行われ、ドルナスポーツの代表から父親パオロに記念のメダルが贈呈された。
ドルナスポーツは30日、第6戦イタリアGPの開催地、ムジェロ・サーキットのプレスカンファレンスルームで、故マルコ・シモンチェリがレジェンドライダーとして殿堂入りするセレモニーを実施した。

2月3日、2008年に250ccクラスのチャンピオンに輝き、2011年10月23日にセパン・インターナショナル・サーキットで開催された第17戦マレーシアGPの決勝レースで事故死した故シモンチェリの殿堂入りを発表。当社CEO最高経営責任者のカルメロ・エスペレータが父親パオロにレジェンドライダーのメダルを贈呈した。

レジェンドライダーリスト

ジャコモ・アゴスチーニ
アンヘル・ニエト
マイク・ヘイルウッド
ミック・ドゥーハン
フィル・リード
ジム・レッドマン
アントン・マング
カルロ・ウビアリ
ジョン・サーティース
ジェフ・デューク
エディ・ローソン
フレディ・スペンサー
ケビン・シュワンツ
ウェイン・レイニー
ケニー・ロバーツ
バーリー・シーン
ワイン・ガードナー
ヤーノ・サーリネン
加藤大治郎
ケーシー・ストーナー


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Last updated  2017年11月30日 22時32分27秒
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