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hongming漫筆

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近代文学

2011.11.17
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カテゴリ:近代文学
新潮文庫 「文鳥」「夢十夜」「永日小品」「思い出す事など」「ケーベル先生」「変な音」「手紙」。
 いずれもすでに読んだことがあるものなのだが、たいてい忘れている。
 「手紙」など、実話なのか捜索なのかわからないくらいよくできた話だ。

 驚いたのは、「思い出す事など」で病院食として「鯛味噌」(p235)が出たこと。
 入院した時にわたしも食べた。病院でしか食べたことがない。

 「あけびと云うもの」(p257)という書きぶりからすると、都会育ちの漱石はあけびを知らなかったらしい。

 この本は、人名や、漱石独特の表記などには注がついている。
 しかし、注釈がなくて意味がわからなかったものもあった。

・「槃桓磅?《ばんかんほうはく》」(p158)
 検索して見たが、わからない。漢籍由来だろうとは思うのだが。

・「半切《はんきれ》」(p200)
 手紙用の横長の和紙。

・「瀬戸引《せとびき》」(p206)
 いわゆる「琺瑯引き」。

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Last updated  2011.11.17 09:40:00
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2010.10.28
カテゴリ:近代文学
 恥ずかしながら初めて読んだ。
 実家にあったのだが、ずっと手に取らずにいた。
 しかし、この小説は、中学生や高校生が読んでも理解できないだろう。
 むしろ、子を持つ親の年齢になってから読んだ方がいい。
 志賀直哉の実体験をもとにしてはいるものの、小説はあくまでも小説である。
 主人公も小説家である。
 小説家として、経済的には恵まれているようなのだが、具体的なところはわからない。もっとも、経済的に恵まれているような人でなければ小説家になったりはしない時代ではあったのだろう。
 自分で自分を追い込んでしまう主人公。これでは周囲の人たちは大変だ。
 物語は、精神的には救われるような形で終わっている。

 使われている言葉は古いものの、表現は平易で読みやすい。
 さすが志賀直哉。

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Last updated  2010.11.02 17:27:50
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2006.09.07
カテゴリ:近代文学
日本文壇史(23) 前巻からあまり時間はたっていない。
 「あとがき」にもこれは前巻の「その二といったところである」と書いてある。
 漱石の力によって世に出た文人が多いことが印象に残る。けっこう世俗の人なのである。
 また、演劇の話も多い。

 気になった言葉。

「両会場は日本初の索道車(エスカレイタ)でつないであった。(p110)
 ふつう、「索道」はロープウェイのこと。エスカレーターなら自動階段だが。

「街が中影になりましたら」(p119)
 手元の辞書には「中影」がない。日ざしが衰えたら、という意味だろうか。

 手紙などで「候」のところは草書体を活字にしているが、211ページの漱石の手紙では、草書体と楷書の「候」が混在している。

「譎詐」(p219)
 「けっさ」と読む。

「元旦の夜」(p224)
 「元日の夜」の誤植か?

「為我的な」(p239)
 「為我」も手元の辞書にはない。自己中心的ということか。

 各章の出だしを列記する。ルビは省略。

第一章「漱石夏目金之助は」
第二章「安倍能成は」
第三章「山宮允は」
第四章「犀星室生照道は」
第五章「抱月島村滝太郎は」
第六章「蘆花徳冨健次郎は」
第七章「藤村島崎春樹が」
第八章「鴎外森林太郎は」
第九章「漱石夏目金之助は」
第十章「孤蝶馬場勝弥は」
第十一章「藤森成吉は」
第十二章「らいてう(雷鳥)平塚明子は」

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Last updated  2006.09.07 10:02:55
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2006.08.29
カテゴリ:近代文学
日本文壇史(22) 講談社文芸文庫。1998年6月。
 年号は大正と変わるが、それで世の中が一変するわけではない。
 世の中は、少しずつ変化していき、ある時気がつけば、「あれっ、あの頃とはずいぶん違うな」と思うのである。
 全12章で、「大杉栄と荒畑寒村」から始まって、また大杉たちの話で終わる。
 青鞜の話もあるが、社会主義者も新しき女も、恋愛に翻弄されている。白樺派もそうだった。
 恋愛を表に出すことが新しい生き方だったのだろうか。

 鴎外や漱石が活躍し始めてずいぶん立つのだが、生活の面では文筆家は苦しい。
 「小説が出版されても印税制度が確立されておらず不安定」(p111)だったそうだ。

 岡倉天心の葬儀では、門下生が「木綿の白衣白袴という扮装で棺側を」(p223)まもったそうだ。
 喪服は白だったことがわかる。
 黒い服を着るようになったのは西洋のまねらしい。
 東アジアでは、喪服は白いことが多いようだ。

 例によって銘々伝風の作り。各章の最初の文節を紹介しておこう。(ルビは省略)

第一章「堺利彦が」
第二章「泡鳴岩野美衛は」
第三章「小山内薫は」
第四章「藤村島崎春樹は」
第五章「花袋田山録弥は」
第六章「逍遙坪内雄蔵は」
第七章「左千夫伊藤幸次郎は」
第八章「柿人久保田俊彦は」
第九章「横浜市中区本牧町には」
第十章「天心岡倉覚三は」
第十一章「大正二年九月」
第十二章「堺利彦は」

 知らなかった言葉。
 「海狸」(p71) ビーバーのこと。
 「永当」(p280) 芝居関係の言葉で、客が詰めかけること。
 「悖徳」(p301) 「背徳」に同じ。「背」と「悖」は同音だった。


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Last updated  2006.08.29 09:18:56
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2006.08.22
カテゴリ:近代文学
日本文壇史(21) 講談社文芸文庫。
 森鴎外、石川啄木、尾竹紅吉と、それぞれの章で中心となる人物があり、それを巡っての文壇の状況を描いている。
 森鴎外で始まって、第十二章は、乃木夫妻の殉死と鴎外の繁忙。
 銘々伝形式なので、一冊の中に時間の流れがあるようでいて、ないようでいて、というところがある。聞いたことのない人名が次から次に出てきて、文壇史の摘み食いのような読み方を許さない。
 同性愛や若い燕など、青鞜社をめぐる騒動が面白かった。

 第一章で、文芸功労者として表彰された坪内逍遙が、二葉亭四迷、山田美妙、国木田独歩の遺族に賞金を分け与えたということが書いてある。いずれも「遺族が困窮を極めていた」そうだ。

 第十章で、ロンドンから帰朝した長谷川天渓が、ロンドンは安全だったが、帰国してみると「生命財産の安全を保ちがたき地に入つたやうな気が」(p247)したそうだ。
 江戸時代には治安のよさでは他国の追随を許さない国だったと思うのだが。
 そういえば、「漱石の思い出」に、来客が、玄関に掛けておいた帽子を盗まれた話があった。
 明治になって堕落したらしい。

「狎妓」(p186) 「こうぎ」と読み、目をかけている芸妓のことだそうだ。
 「荷風は学問・芸術に精を出すだけでなく、花柳界に遊蕩して、これを隠そうともしなかった」のだそうだ。

「医やす」(p224)
 「夫婦の間の医やすことのできない亀裂は」とあり、「いやす」の「い」は「医」の音読みだったのか、と思ったが、「医」の訓読みが「いやす」なのだ。

「若冠二十七歳」(p235)
 「若干」でも「弱冠」でもない「若冠」で二十七歳。
 著者は、1904~1988の人。おそらく「弱冠」と同義で用いているものと思われるが、単に「若い人」という意味での用例としては古いのではないか。

「轜車」(292)
 「じしゃ」と読み、貴人の棺を運ぶ車で、音が出るように作ってあるのだそうだ。

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Last updated  2006.08.22 08:41:25
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2006.08.09
カテゴリ:近代文学
日本文壇史(20) 副題を見ると、小宮豊隆や寺田寅彦や、中勘助や、そういった人々が中心になるのか、と思いきや、いきなり岡本綺堂の話から始まる。
 と思うと、巻末は中里介山。
 便宜的に「漱石門下の文人たち」とはしたが、漱石が、自分のところに集まる連中の世話をしていた頃、ということ。
 そのころ、歌舞伎界では岡本綺堂が活躍し始めていたのだ。
 中里介山も、「大菩薩峠」への道を歩み始めていたのだ。
 時間軸で文壇をみると、意外な人物が同時代なので驚く。

 第二章で、ヘボン式ローマ字のヘボンの死が語られる。
 その著作として「美国平文先生編訳 和英語林集成」というのが挙げられている。(p47)
 今なら「米国」だが「美国」となっている。中国語と同じだ。

 長谷川時雨の母親が塔の沢で温泉宿を経営していた(p50)というのは新知識。

 第六章で、若山牧水が、「何でも彼でも歌にする」という歌の見本を作って見せたのが、いかにも、という感じで、なるほど、これでは、庶民的ではあるが、芸がないと思わせる。(p121)



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Last updated  2006.08.09 23:02:11
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2006.05.19
カテゴリ:近代文学
日本文壇史(19) 伊藤整の没後、友人である著者が書きついたもの。
 伊藤整の文章より、乾いた感じがする。
 それについては、解説(紅野敏郎)が触れていて、「瀬沼茂樹は本質的に小説家としての資質には欠けてもいた」「学者的、研究者的要素が強く」「人と人との関係の自在な心理動きは、十全に発揮されてはおらず」という評価の言葉がある。
 実作家と研究者の違いがあるわけだ。
 もちろん、小説ではないので、事実を事実として提示する書き方でよいのである。
 生硬で難解な文章ではない。
 外来語の表記には、「ー」は使わない。
 「ペン・ネイム」「サイダア」という表記をする。また「ヒロイン」ではなく「ヘロイン」と書いている。
 当時の資料からの引用が多いが、意味の説明がないことが多く、困る。
例えば、「手のつけられぬNil-admiraliになっている」(p111)というように。
 これは「何事にも感動しない」という意味のラテン語らしい。

 生島、志賀、武者小路らの「白樺」グループの話から始まる。
 女中との恋愛、外遊とお坊ちゃんの生活ぶりが描かれる。外遊の間、恋人の世話を友人に託しておきながら、帰国すると冷たく棄ててしまうあたり、「身分」が違うのだなあ、と思わされる。
 兵役を逃れるためにあの手この手を使うのも情けない。
 しかし、それこそが、自己に忠実に生きようとする近代的自我でもあったのかもしれない。
 この巻は、白樺派のことばかり書かれているわけではなく、漱石と森田草平、近代演劇界の動向、川上音二郎の死などが書かれている。

 堺利彦の「売文集」に中里介山も寄稿しているのは興味深い。

 平塚らいてうの「青鞜」は十八世紀のロンドンで、青い靴下をはいて批判された女性がいたことに基づいているそうだ。それにしても「鞜」という語を知っているあたり、さすがだ。

・「昔の能因法師《のういんほうし》のような風雅話」(p67)
 歌が先にでき、あとからそれを事実として出かけたふりをした、という故事のことか。

・「浮気女を蕩す手練」(p101)
 「蕩す」は「たらす」か。

・「女義太夫の豊竹昇之助《とよたけしょうのすけ》をアウフ(aufgehenから出た)をしない仲間」(p116)
 aufgehenは「のぼる、あがる」という意味のドイツ語。

・「吁小人国」(p139)
 「吁」は「う」なのか「く」なのか不明。


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Last updated  2006.05.19 10:45:22
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2005.11.20
カテゴリ:近代文学
 久々に、「一太郎で青空文庫」にファイルを追加。
 国木田独歩「酒中日記」というもの。
 わたしが初めて国木田を読んだのは、「非凡なる凡人」だったのではないかと思う。
 前向きの小説を書く人、というイメージが植え付けられてしまった。
 しかし、今までに読んだものを思い返してみると、人生の悲しみを描いた小説の方が多い。
 この「酒中日記」もそうだ。
 実の母親のしたことのために大きな悲しみを味わった男の日記。
 それをのちに発見した人が紹介している、という体裁で、最初は設定がわかりにくい。
 凝った設定というのは、昔からあるのだ。
 現代の小説は、すでに出尽くした設定を目先を、変えて使っているのではないか、という気になってしまった。

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Last updated  2005.11.20 19:35:19
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2005.01.27
カテゴリ:近代文学
漱石の夏やすみ(著者:高島俊男|出版社:朔北社)

 名著である。
 漱石にも中国文学にも造詣が深く、なおかつ文章を書くということに人一倍注意を払い、自分の頭でものを考えることのできる人にして初めて書ける本である。
 漢字だけで書かれた漱石の『木屑録』を原文の雰囲気を生かした日本語に訳す、というだけでも正直なところ人間業とは思えない。
 続く「漱石と子規」も面白かったが、『「漢文」について』が圧巻である。
 日本における「漢文」の中途半端さ、無意味さを徹底的に暴いている。いわゆる「漢文訓読」はそれで翻訳として通用したのかと思っていたのだが、そうではない。江戸時代の素読で音読し、暗記していたのはものと文章が道であったかを覚えるための「符号」だったのだ。
 「おと」を知らずに韻文である「詩」を作り続けてきた、というのは頭脳のトレーニングにはなったろうが、「詩」本来の性質からすれば無理なことなのだ。
 「木屑録を読む」では、漱石の漢文(著者は支那文と表記)に添削を加えてさえいる。おそらく、明治の漢学の先生よりも、知識・感性とも上であろう。ただしそれは、著者が漢字の「おと」を熟知しているという点で有利であるからではあるのだが。

 「維新の変に政府は寺院の宅地田畑を没収し、山はほぼ廃墟となれり」(p32)のところ、伝統文化破壊に熱心だった明治政府の面目躍如というところだなあ、と思ったが、そもそも、日本には「自国の伝統」などという概念がなかったのだ。
 『明治十年代に「自国の伝統」ということがいわれだしたとき、それは実に漢籍と漢文なのであった』(p170)ということだ。
 最近、保守派の人たちが増えてきて、戦前を悪く言うと目くじらを立てくってかかったりするが、この本を読んだらどう思うのだろう。日本人の精神的支柱とされたのは日本の思想ではないのだ。
 著者はこう書いている。
「支那人のつくった書物が天皇に対する純一無雑の忠誠を教えているとはおわらいぐさだ」(p175)
 戦前の日本人のようになろうという人は漢文の勉強に精を出さなければならなくなる。中国の古典はありがたいものだ、中国の伝統はたっといものだという姿勢を持たなくてはならなくなる。
 同じ著者の『中国の大盗賊』を読めばわかるように、毛沢東は中国の伝統にのっとって天下を手に入れている。今の中国も、中国の伝統文化が生み出したわけだ。あれでいいのか?
 中国文化を日本人の精神的支柱にすること自体が無茶なのだ。したがって、戦前のやり方は間違っているとしかいいようがないのではないだろうか。
 この本は、時間をおいて何度も読み直すことになりそうだ。






Last updated  2005.01.27 14:44:39
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2004.10.28
カテゴリ:近代文学
 大正7年に「時事新報」に連載されたもの。
 希望を胸にアメリカから帰国した若い医師が、親友に婚約者を奪われ、研究も失敗し、新たに婚約した相手も病死し……と次々に不幸に見舞われながら、周りに支えられ研究に意欲を燃やす。
 解説によると、これは、久米正雄自身が、夏目漱石の長女・筆子に失恋した体験を元にしているのだそうだ。筆子は、久米正雄の紹介で夏目家に出入りするようになった松岡譲(『漱石の思い出』をまとめた)と結婚したのである。

 菊池寛の小説と共通するのは、資産階級の話であること、登場人物が皆饒舌であること。
 純文学作家が大衆小説に手を染めた、と見ることもできるが、もともとこういうものを書く素地があったのだろう。
 それでも照れくさいのか、斜に構えた森戸子爵という登場人物が、偶然の出会いがあったりすると、
「下手な小説家が使いそうな邂逅だね」(p664) 
と言い、主人公が酒におぼれると、
「今の通俗小説家だってそんな古臭い趣向は立てないくらい陳腐ですね」(p712)
などと言う。さらに、
「こう云うところがなくては、読者に受けまいと思って拵えたヤマ場のようだね。併しこの作者は普通の通俗作家と違って、殆ど嘘は書かないはずだからね」(p721)とまで言う。
 もっとも、このせりふの「作者」は、久米正雄のことではなく、運命のことなのだろう。

(講談社「大衆文学大系」第7巻で読んだが、絶版)






Last updated  2004.10.28 06:24:55
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