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碁法の谷の庵にて

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2006年06月25日
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テーマ:囲碁全般(745)
カテゴリ:囲碁~碁界一般編
 バイトで疲れているとは言いつつも、いつまでもトップページを山口事件の記事で埋めておくのもあれなので、今日は週刊碁を見ての感想その他を書いてみましょう。まあ、それなりに久々に感想を書きたくなるようなことが書いてあったから、ということでもあるのだが。



 まず、一面。謝三段に関する記事

 といっても謝三段をけなすつもりはない。

 王銘エン九段の「力で勝てるもんだから布石の勉強がおろそか」という謝三段への評を、まだ16歳なんだし、力だけでもいいじゃないかと言って反論する担当のA記者。はっきり言っていかがなものかと言う気がする。(ちなみに彼女の入段当時、周俊勲九段は何年か強くなってないとか言ってたのをちょっと思い出した)

 日本の囲碁記者とアマチュアは、「若手は元気な碁、ベテランは老練な碁と言うような勝手な評価基準を作って棋士を評価しているのでは?と言う気がしてならない。

 碁というのは勝ちを奪い取るゲームである。そして老練に打ちまわすのも力づくで勝つのも、内容で勝っている限りはどちらが良いと決められるものではないはずである。
 だとすれば、この記事に限らず中野杯関連の記事で勝利を伴わない元気さばかりをやたら褒め称えるのは悪い癖ではないか?元気な碁はアマチュアファンが喜ぶかも知れないが、若手プロへの批評としてそれを持ち込んでいるならばちょっとそれは問題だろう。
 基礎的な読みの力が必要なのは例え老練な碁を打つ場合でも当然だし、今までの日本にそれが足りないのではという批判があるのは知っている。たぶん正論なのだろう。
 だが、読みなどの力だけで碁は勝てるものではないはずである。力だけで勝てない部分を、部分部分の感覚や形といったもので補わなければ、碁はとても打てないと思う。人間の脳ミソではそれは仕方のないことだ。今までの日本棋士がそれに頼りすぎていた、と言うのはあるかもしれないが、全面的に否定すべきものではないはずである。
 賢い知恵は後でいいというかばい方をするのは、正直とても賛成できない。非難するようなことを書きたくないなら、最初からそんな評を載せるべきではなかったと思う。




 さて、もう一つは若手棋士の社会勉強の記事
 これは記事をどうこうというより内容について思ったことを。

 まず、日本棋院に関する基礎知識として公益法人やら寄附行為やらという話を教えていたらしい。
 私のほうから噛み砕いて説明すると、公益法人とは、最初から営利を目的としない法人(人ではないものを財産取引の主体として認めたもの)の事。棋院とは決してお金儲けをするための団体ではないんだぞ、ということである。
 そして寄附行為とは、日本棋院のような財団法人(財産の集まりを法人として認めたもの)について、その運営の基本を定めるもの。平たく言えば日本棋院の憲法である。寄附行為と聞いて寄付をすることと思った人、残念ながら間違いです。

 日本囲碁規約も、棋院の利用規則も、みーんなこの寄附行為の下である。監督官庁に登録(登記)されているのもこの寄附行為。
 ネット棋院で寄附行為の条文を見つけたので、良ければこちらをどうぞ。
 まあこの辺は私の得意分野である。


 実際には寄附行為がどんなものかということより、そこから棋士としての義務・権利という次の講義に発展させていくのだろうと思われる。寄附行為の大半は、こういうことはこうやって決めるなどというようなことばかりである。
 棋士にとって大事そうなのは日本棋院の目的について定めた3条、棋院の事業について定めた4条、棋士について定めた28条ってところだろうか。
 確かに棋士としてはその辺を知っておいた方がいいだろうね。

 棋士の権利義務、ちょっと脳内で考えてみたが、どう考えたものか。
 義務だったら対局をするとか、普及活動をするとか。権利だったら対局に応じた報酬をもらうとか。他にも、棋道に関する意見表明の自由とかもあるのかな?
 棋士の場合は、報酬関連以外はほとんど全ての権利が「権利であり義務」という印象を受けるかな


 囲碁会における問題検討、4チーム中3チームが「日本が世界戦で勝てない理由」。いやまあ確かに大事な話だけど、こんなことをそんな場所でまで、しかも4人中3人が話し合うの?もうちょっといろいろなことを話し合ってもいいだろうに。もっと別の場所で話し合っておくべき事柄である気もするなあ。
 ただ、その後の張名人の話はさすが。精神論ぽいことも語っているが、現実に世界制覇をして世界の強豪連と互角に戦っている張名人が言えばそれなりの力があるもの。
 碁のことは何も分からないくせに棋士に噛み付くのだけは一人前という一部の人たちが批判材料として言う精神論とはやはり格が違う。


 棋士と言うのは、ただ対局することが使命というわけではなく、後進の育成や普及、囲碁文化の発展につとめなければならないもの。強ければいいわけではない。
 囲碁に関する歴史などをはじめとする教養的なものは、やっぱりある程度はなければいけないはず。(将棋の奨励会入試だとそういう試験もあるらしいが・・・)囲碁大学とか囲碁学部のようなものがない日本では、棋士たちがその役目をしょっていくしかない。
 
 棋士たちのそういう役目も、期待したいものである。





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最終更新日  2006年06月25日 19時56分53秒
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