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碁法の谷の庵にて

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2023年03月03日
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愛媛で、農業アイドルとして活動していた女性の自殺事件について、遺族からプロダクションへの提訴時の記者会見が名誉毀損であるとして、遺族とその代理人弁護士に賠償命令の判決が下りました。
判決文・具体的な記者会見の中身は見ていませんし、控訴・上告があり得るとも思われますので、この事件の記者会見のコメント内容や判決の当否についてはここでは棚上げにさせていただきます。



さて、裁判を起こすに当たって、当事者や弁護士などが記者会見をすることはそれなりに聞きます。(私はやったことがありませんが)

裁判を受ける権利が憲法上保障されている以上、関係者の名誉を毀損する主張・陳述・証言etcが公開法廷でなされた場合であっても、それに名誉毀損などの法的責任を問うことは極めて慎重であるべきです。

しかしながら、裁判に関連した記者会見だからと言って、「当事者のコメントや代理人弁護士のコメントは全面的な適法行為であって違法な名誉毀損になりえない」という解釈はあり得ないでしょう。
裁判における事実認定や法的評価は記者会見では決まらない以上、記者会見は「訴訟行為そのもの」ではなく「関連行為」に過ぎません。裁判官に「準備書面には書きませんでしたが記者会見でそう主張しました!」なんて言ったところでドン引きされるのがオチです。
従って、「裁判を受ける権利の保障をもって、記者会見についても責任を問われない」というのは無理があります。(なお、弁護士が行う裁判上の主張において、過剰な誹謗行為については、弁護士会による懲戒処分を下される例もそれなりにあります)

もちろんそれでも記者会見は表現行為ではありますから表現の自由としての保障対象にもなり得ますが、「名誉毀損が表現の自由で保障される」と言うわけもなく、虚偽や調査不足を前提にした名誉毀損発言に対して責任が生じることは避けられないのです。


裁判をするときには、「証拠・法解釈的に絶対の自信があるわけではない。相手からの具体的な反論も分からない。かと言って手をこまねいていても状況が好転する可能性は皆無。ええい、ままよ!という状態で裁判に提訴すること自体はかなりあるものです。
それなりに固かろうと思っている事件でも、相手から思わぬ反論と裏付け証拠が出てきて当事者に聞いてみたら「すいません、不利になるかと思ってウソついちゃいました…」というため息しか出ない供述が始まることも珍しくありません。
それなのに記者会見まですると言うことは、「ええい、ままよ!」で提訴したのではなく、それだけのリスクがないと弁護士が判断できる、絶大な自信がある案件なのかな?と考えるのは、全くおかしくなく、「弁護士のコメントが被害を拡大させるリスク」は高いと考えなければならない訳です。

また、残念ながら裁判は水物であり、こちらの主張が「真実」「真実でなくとも調査十分」と依頼者や弁護士が思っていても、「裁判所が同じように見るかどうかは別問題である」という点も意識しなければなりません。
線引きに難しい点があり、私自身正確に線引きできるとは到底思えないながらも、「弁護士はが名誉毀損と思っていなかったが、後々名誉毀損が成立しかねないリスクがある」ということは、まともな弁護士なら共通認識でしょう。


しかも、記者会見のリスクは名誉毀損が成立しかねない以外にもあります。

特に提訴時の会見だと、相手方にこちらの主張の根拠などが筒抜けになってしまう危険性が上がります。言わば自分の手札を晒すのと同じです。
相手が露骨な嘘八百を出してきたときに、それを打ち消す&相手も自覚ある嘘と証明する客観証拠を出すことで相手の主張の信頼性を一気に失わせる…なんて、常套手段だと思うのですが、記者会見で出してしまうとそれも封じかねません。

記者会見のコメントと主張に矛盾が見つかったりすれば、自ら主張の信用性をなくし、訴訟を不利にすることにもなります。例え記者会見では高揚感で言い過ぎてしまったとか曖昧な点を断じてしまっただけで悪意的ではなくとも、裁判で「ただのウッカリであって嘘主張してるわけじゃない」と言う言い訳が通じるかは別問題です。

こちらの記事でも書きましたが、当事者が裁判に疲れてやめたくなっても、裁判に世論を巻き込んでうねりを作ってしまったことで、訴えを取下げて裁判から降りることが心理的に難しくなることがあります。
下手をすれば和解で手打ちすることすらも難しくなり、当事者の心の傷を深くしてしまいかねません。

記者会見のやり方によっては、逆にマスコミやSNS言論から攻撃の標的にされてしまうリスクもあります。
マスコミやSNS言論は制御不能なネズミ花火みたいなもので、自分たちに都合のよい世論が形成されるというものではありません。
記者会見慣れして、事前準備もしているであろう多くの社会的地位ある方々が、謝罪会見の類で大炎上しているのは四六時中で、コントロールは非常に困難です。失敗記者会見ほど炎上のタネはありません。
光市母子殺害事件の大量懲戒請求事件など、大量懲戒請求をした連中の正当化は到底できないとしても、「記者会見が世論に火をつけてしまった」側面は否めないでしょう。




それでも記者会見をする理由は何なのか。
記者会見をしない私には推測しかできませんが、以下のようなことが考えられると思います。

①社会的注目を集めることで、何か得るものがある。

例えば資金集め。
クラウドファンディングで裁判費用を集める動きがありますが、注目を集めれば、クラウドファンディングで裁判費用を集めることも促進できます。
社会運動の類でも、資金はどうしても必要であり、そのために自らの存在を公にして寄付を集めるのはよくある手法です。
訴訟でも、専門的な鑑定などを得るための専門家への報酬として、あるいは単純に関係者の生活費などのため、金銭はどうしても必要です。資金集めのために自身の存在をおおっぴらにすること自体は悪だとは思いません。

例えば証拠探し。
目撃者や被害体験談などを集めることで、「訴訟上の主張に説得力を持たせられる証言が集まる」ケースもあります。
大規模消費者被害などであれば、一人だけ「あいつに確実に儲かると言われて騙された!」と騒いでも裁判所は「あなたが勝手に誤解しただけじゃない?業者がそんなこと言ったという証拠はないよ」と言う判断をしがちです。
しかし、同種の被害体験談が大量に出てくれば、「これは本当なのでは?」と考えてもらえる可能性が飛躍的に高まります。
そうした証拠・情報収集の一手法として、裁判の状態を公にすることは考えられなくはないでしょう。

例えば加害抑止。
近時の弁護士大量懲戒請求では、懲戒請求をされた弁護団が記者会見をしました。
これは、懲戒請求をしてしまった人に和解に応じる条件を示すと共に、まだ懲戒請求を考えているかも知れない人々に対しての牽制球として働いたものと考えられます。
被害者に当たり得る人達に対して「気をつけて下さい!」と言うこともできるでしょう。


2、当事者の名誉回復

記者会見以前にSNS言論やマスコミ言論が形成されてしまっており、当事者の名誉が現在進行形で手ひどく害されているケースもあります。
それが長期化すると、例え後から裁判に勝ってそうした言論の誤りが証明されても、結局既成事実になってしまう。
そうなる前に、何とか既に名誉がボロボロになっている流れにくさびを打ち込んでおかなければならないからこそ、裁判前から記者会見をするというのは考えられることです。


3、当事者・関係者の感情的満足

非常に身も蓋もない言い方ですが、当事者や関係者(下手すると弁護士自身)の感情的満足がお目当てのケースもあるでしょう。

加害者を懲らしめてやりたい。目立ちたい。思いの丈をぶちまけたい。そう言う感情的満足が、金銭方面の損得勘定を度外視するほど重視する人達は一定数いるものです。
もう少しまともな動機で考えると、真相を知りたい、再発を防ぎたい。裁判を通じて法制度への問題提起をしたい。というタイプの当事者も少なくありません。
そうした感情的な満足を得たいが故に、記者会見をしているというケースは相当数あるように思います。
実際の所、裁判についての記者会見の話を聞いた際、まず動機としては①②が思い当たるのですが、①②のようなメリットがどうしても浮かばず、記者会見の動機が「関係者の感情的満足しか思いつかない」ような記者会見はそれなりにあります。


もちろん、私が③の記者会見を依頼者に求められれば止めます。
広く知らしめたいなら、裁判に「勝った上で」やればいい。
裁判には万一がある。
報道機関だって都合のよいように報じてくれるとは限らない。
感情的満足のために、自ら裁判を不利にしたり、退路を断ったり、法的責任まで問われかねないマネはしない方がいい。

しかし、それでも裁判の行く末が全面的に読めるほど弁護士も全知全能ではありません。当事者も感情的になっていたり、勝利を確信しているような場合が多く、弁護士の説得にも限界があります。
リスクを強調することで信頼関係が崩壊するようなケースもないわけではありません。
説得空しく当事者がどうしてもやりたいと言ったらどうするか。おそらく弁護士によっても立場は分かれるでしょう。
「それなら着手金返すので依頼からおります」と言うタイプの弁護士もいるかもしれません。

私なら、諦めて記者会見には同席はするでしょう。
ただ、法的・中立的な知識コメント以外では基本的に当事者のコメントに任せ、万一当事者がまずいことを言ってしまったらフォローすると言う形に徹すると思います(そんなフォローでは足りないと言われたらおりるかも…)。
少なくとも、尻馬に乗って「加害者酷い」のコメントをするようなマネは怖くてできません。私自身はおろか、勢い込んでいる当事者の背中を蹴飛ばして加速させるようなもので、かえって追い込みかねないからです。
ただ、そう言う状況なのでやむなく記者会見に出ている弁護士はいるのではないかと思っています。


他方、弁護士としての職務に入れ込んで当事者に同調するあまり、その辺りの危険性についての感覚自体が麻痺してしまった結果、単なるフォローの域を越えて踏み込んだコメントをしてしまっている弁護士もいるのではないかと推測します。
本丸の裁判で勝てた、あるいは訴えられなかったので結果オーライで済んでいるものの、「裁判での負けを想定した場合、厳密に見たら危険な記者会見」は相当数あると思います。
そう言う入れ込みは弁護士として熱意がある証拠でもあるしょうが、それが原因で関係者を追い込んだり、違法行為にまで踏み込んでしまうことの言い訳にはなりません。


おそらく、この記事を書いて、普段からそういうことが意識できている先生方は私の基本的な主張には同調して頂けると思います。
実際にそんな風に入れ込んで記者会見をしている先生方は、「一般論としてはそうかも知れないが、自分たちの記者会見はそんなことはない」と考えるばかりでしょう。
例え先輩弁護士などが忠告しても、かえって「この裁判の意義を認めないのか!!」と激怒して終わってしまう…そういうこともあるのではないかと踏んでいます。
私自身、たまたまそう言う件を抱えていないだけで、そう言う事件を抱えたらそう言う心理になるかも知れません。


最近、反日と目された弁護士への大量懲戒請求絡みで「テロール教授の怪しい授業」という漫画を一通り読ませて頂きました。(大量懲戒請求を受けたノースライムこと北周士弁護士が取材されています)
人がいかにカルト・テロリズムなどにはまり込んで過激化していくかを書いた名著ですが、弁護士でも、こうした過激な行動にハマった結果、不合理な行動に走ってしまう。
「まるで合理性の感じられない記者会見で過激なコメントを行う代理人弁護士」は、実は同書で扱われている「過激化」の一事例ではないか?
そう言う感触も抱いています。





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最終更新日  2023年03月03日 23時00分05秒
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