「灯台もと暗し」とはこのことか、と思いました。
最近まで、近くの雲南市木次(きすき)町で有機農業が行われていることを
知りませんでした。それは1960年代にさかのぼると言われます。
そのことについて知ろうと、
『自主独立農民という仕事』 森まゆみ 著
に目を通しました。ところが、書いてある内容は有機農業に関しては
少なく、木次乳業創業者の佐藤忠吉氏の生涯と語録が主だった
ものでした。それはそれで面白く、木次の(出雲人らしくない)革新的で
歯に衣着せぬ物言いをあらためて認識したのでした。(一般的に
出雲の人は保守的で何を考えているかわからないと言われる)
また、佐藤氏の話の中で、木次について、スサノオノミコトがヤマタノオロチ
に追いついたところ、とありました。他説では、オオナムチノミコトが
追っていた敵に追いついて、討ち滅ぼした場所が木次町付近で、
「追いつく」ことを「きすき」「きすく」と昔は言っていたことがその名の由来
と言われています。木次と杵築(きづき)って発音が似ていますが、もしかして
古くは杵築大社(出雲大社の古名)は木次にあったのでしょうか?
そういう説を唱えた人がいるかは知りませんが、わたしの勝手な想像
です。
以下、本から抜粋させていただきます。
あすこの田はねえ
あの種類では
窒素が余り多すぎるから
もうきっぱりと灌水(みず)をきってね
三番除草はしないんだ
・・・一しんに畔(あぜ)を走ってきて
青田のなかに汗ふくその子・・・
燐酸がまだ残っていない?
みんな使った?
それではもしもこの天候が
これから五日続いたら
あのしだれ葉をねえ
そういう風なしだれ葉をねえ
むしってはらってしまうんだ
・・・せわしくうなづき汗ふくその子
冬講習に来たときは
一年はたらいたあととはいえ
まだかがやかなりんごのわらいを持っていた
今日はもう日と汗にやけ
幾夜の不眠にやつれている・・・
それからいいかい
今月末にあの稲が
君の胸よりのびたらねえ
ちょうどシャツの上のぼたんを定規にしてねえ
葉尖(はさき)をとってしまうんだ
・・・汗だけでない
涙もふいているんだな・・・
君が自分で設計した
あの田もすっかり見てきたよ
陸羽百三十二号のほうね
あれはずいぶん上手にいった
肥えも少しもむらがないし
いかにも強く育っている
硫安だって君がじぶんで播いたろう
みんながいろいろいうだろうが
あっちは少しも心配ない
反当三石二斗なら
もう決まったといっていい
しっかりやるんだよ
これからの本当の勉強はねえ
テニスをしながら商売の先生から
義理で教わることでないんだ
きみのようにさ
吹雪やわづかの仕事のひまで
泣きながら
からだに刻んでいく勉強が
まもなくぐんぐん強い芽をふいて
どこまでのびるかわからない
それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ
じゃさようなら
・・・雲からも風からも
透明なエネルギーが
そのこどもにそそぎくだれ・・・
宮沢賢治「稲作挿話」 1928(昭和3)年
「失敗のない人生は失敗でございます」 佐藤忠吉氏
天(あま)が淵(木次町)
ヤマタノオロチが住んでいたといわれるところ