春になると思い出すことなど
先月は、ある生徒の保護者の招きで不登校の親の会で話をしたこの会の保護者だけなのかもしれないが自分が思っていたよりも学校に行かないことに、ないしは、行けていないことにそれほどの「切羽詰まった感」は感じられなかった。「学校スタンダード」に疑問を持ちネットで有料の授業を受けたり、フリースクールに通ったり彼らは「学校スタンダード」から自らを守るべく、学校からスタンスをおいているように見える・・・それは日本の教育の風景が変わりつつあることを意味しているのかもしれない・・・さて、春であるこの季節になると自分は30年以上も前の或る生徒のおばあちゃんのことを思い出す受験が終わり、保護者からお礼のお菓子や酒をいただくことがあるのだがそのおばあちゃんから受け取った風呂敷包みはずしりと重かった包みを解いてふたを開けてみると菓子箱の中に米が敷かれ、そこに生卵がたくさん埋め込まれていたそれは、高価で華やかなお菓子じゃないけれど外国の高級なウイスキーではないけれどきっとお家の農家で作られた彼女にとっては大事な大事なものであったろう箱の重さ以上に生徒のおばあちゃんの心づくしの文字通りの重さを思いこんな若造に頭まで下げて感謝の気持ちを表すその姿を今でも忘れることができない・・・自分という人間はやはり「あの時」も「今」も、誰かに教えられ大切な何かを気づかされている・・・