|
カテゴリ:東海道五十三次:往路
難所「薩多(さった)峠」で脚を負傷(?)しつつも生きて通過(笑)。
これで気が抜けちゃったのか、更に困難は続きます。 はい、今度は迷子ですな。 今回は旧街道から外れただけで、自分が何処にいるかは把握していましたから、なんなく元に戻れましたが、これがまた後で面倒なことになろうとは。わはは それはさておき、脚を引きずりつつも興津宿に突入。16時半前。 興津宿だよっ、おさよちゃんっ だいぶ薄暗くなってきましたが、もう少しで清水駅なので、更に進みますれば。 この辺もひたすら真っ直ぐな道でございましてね。 各家々の前には、当時の宿や店の名前の灯籠の様なモノが置いてあり、なかなか興味深いのですな。今は普通の住宅ですが。おもしろーい。 興津宿付近 元津屋 大坂屋 この他にもたくさんありました。 東本陣・水口屋脇本陣・西本陣を過ぎまして、清見寺。 このお寺は、家康とのゆかりも深く「竹千代」と名乗った少年時代に人質として駿府の今川家にいたころ、しばしばここに来て勉強したと言います。 清見寺 臥龍梅 五百羅漢 家康が接ぎ木した「臥龍梅(がりゅうばい)」があり、また裏山一帯には「五百羅漢」があり見所満載のお寺様です。 ここではすぐに御朱印を頂けまして、ホッと一息。 西園寺公望の別荘「坐魚荘」は素通り(笑)。 日もとっぷりと暮れ、二代将軍秀忠の命で植えられた「細井の松原」あたりで、ぱらっと雨。 ぱらっとだったのでしばらく傘を差さずに歩いておりましたが、ぱらっとでも、段々濡れてきたので傘を差しましたら止みやがったのねん。てやんでぃっ、べらぼうめっ 「松原」ですからね、江戸中期には1000本ほどもあったそうですが、第二次大戦で伐採され今は1本しか残っていません。もう「松原」ではなく(寂)。 その「細井の松原」を過ぎれば、あっという間に清水駅。18時ちょっと前。 今日はここまで。 よ~おっ、よよよいよよよいよよよいよいっと したっけ、宿探しです。脚いたーい。 ・・・つづく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Nov 26, 2009 06:39:20 PM
コメント(0) | コメントを書く
[東海道五十三次:往路] カテゴリの最新記事
|