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テーマ:日々の出来事(2655)
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あびちゃんの本です。
彼は、心室細動❓とやらで倒れ、13分間心臓停止 普通なら、この間に脳が破壊され、亡くなってしまうそうで 医師も家族の方に、植物状態も覚悟してと伝えたそうです。 ところが、彼は奇跡の復活を遂げ、車椅子生活にはなったものの 頭脳明晰、文筆活動も盛んに、元気に飛び回られています❣❣ 車椅子で、台湾や韓国など外国はじめ 与那国から北海道まで全国走り回っているようです。 そして彼が、倒れた13分間で得た臨死体験をもとに著作したと❣ しかし私は臨死体験に興味はないと 読もうとは思いませんでした。 だいたい臨死体験なんて、夢と同じで、その人が思っていることが 脳内でめぐって、見ただけで だいたい死んだら、それで終わりであの世なんか無い❕❣ 死んだら、体をつくっている分子か何かに分解され 宙を漂い風になり、また何かの生命体を形作るときの一部になる。 神も仏も無いってのが私の思っていることです。 それがひょんなことから、先日、彼の講演❔❓に行き 話しを聞いて、 臨死体験より、其の後生きていることの素晴らしさ❣❣ 素晴らしいというのは、成功ではなく、失敗❔❓ だろうが、何だろうが、 喜びも悲しみも、怒りも感動も、すべてが素晴らしいって意味かな。 それを伝えたい本だと、聞き、さらに本の一部がメールで送られてきて^^ それを読んだら、納得❣❣ってことで、読んでみることにしました~ 結論から言って、この本は素晴らしい❣❣ ベストセラーになったらいい本だと思いました❣❣^^ みなさんもぜひ、ご一読されてみては❓❓^^ あびちゃんは、大学で仏教学を学び その後も瞑想やら何やら、されてきた方ですが 彼は、阿弥陀仏とは、神や仏では無い❕ 阿弥陀とは、さまたげられるものの無いって意味で 尽十方無碍光のことで、これはすべての方向に何のさまたげもなく沁み渡る光のことで あびちゃんは臨死体験でこの何もない、すべて満たされた真っ白❓❓❓ のあの世に安心していることを見たと。 ただし、このすべてが満たされた世界は、何もなく 何も感じず言えず行えず、ただ居るだけだと。 それは光に満ちている宇宙が真っ暗なのと同じことだと。 宇宙では、そこに星など障害物となりえるものがあるとそれに光がぶつかり ぶつかって初めて光は輝き見えるんだと❣❣ これは、私の死後の考えに通じているような気がします。 ただ決定的に❓❓違うのは、死後の世界がある=阿弥陀仏:尽十方無碍光 と考えるか、死後の世界など無いと思うかだと。 そして生きているこの世は障害物だらけ❣❣ たとえば床❣ しかし障害物の床があるから私らは立てると❣ 尽十方無碍光には、何もない、上下左右もないので、立つも何もない。 もちろん、こちらにも実体がないので、要するに宇宙空間のような❓❓^^ そしてあびちゃん曰くあの世は、満たされており安心である。 しかし一方、何もない。この点 この世なら、見える❣ 出会える❣❣ 触れ合える❣❣ 中には、いやな思いをすることもあるだろうが 楽しいことも悲しいことも苦しいことも、何であれ体験できるのは 生きている間だけなのだ❣❣だから生きていることは素晴らしいし❣❣ 生きているだけで丸儲け❣❣ その生きている今、目が見えるか見えないか。 歩けるか歩けないか。話せるか話せないか。などなどすべてのことは なんでも良い。そして多くの人が居るんやから 必要な人には、だれかが共に行けば良いやん❣❣ 彼が車椅子で旅した時、店の入り口で少しドアを開けるよう支えてくれただれかの手。 段差で困ってたとき、持ち上げてくれた誰かの手。 無数の手に支えられたと❣❣ これは、彼だけの話じゃないですよね。この世に生きるすべての人が 意識するか否かに関わらず、必ず誰かのお世話❔❓になって生きている。 このたくさんの救いの手を千手観音という❣❣ なるほど!!私が千手観音を好きな理由がはっきりしましたわ^^ しかし、私の手はあまりに役立てられていないかな・・・ もう少し役立てても良いよね^^ 彼がダンスの練習にさんかしたとき 借りてた会議場の机やいすを元通りに戻す作業で 車椅子で何も手伝えないあびちゃんが、思わず「役に立たずに・・・」 と漏らしたとき、一人の女の子が 彼女は、精神障碍者ってことだそうですが、「役に立ってます❣❣」と 叫んだと。彼女の天を引き裂き屹立するような叫びは この世に生を受けたものすべて受け止めて良い言葉だと❣❣ 他にも私が面白い❣❣ 良い勉強をしたと思ったところに 釈迦の十大弟子。 十大弟子が居たことさえ知らなかったが^^ その10人はえりすぐりのエリートではないと。 知的障碍のあったシュウリハンダカ =障碍者問題 過去生の牛の匂いで避けられがちだったキョウボンハダイ =被差別問題 容貌の醜さを悩んだカルダイ 記憶できるが理解できないアーナンダ 数学に特別優れていたコウヒンナ =アスペルガー症候群だったかも❓❓ あれ❓❓ 5人しか書いてないやん❓❓ あとの5人は❓❓^^ ぐぐったら、あびちゃんのような解説は違うことが書いてある・・・ あとの5人も教えてください~^^ とにかく釈迦は、この世のあらゆる人が大切なんだと❣❣ 他にもいろいろ書かれていましたが すでに読み終わってから、1週間近くが経っており はやくも忘却の彼方ってのもあるし^^ 理解が不十分なところもあるでしょうが あびちゃんは「車いすの私が行くと、戸惑う人や面倒なことになったと思う人もいるかもしれませんが、それも含めて、すべては生きている間だけの触れ合いです。私は、これからも旅し、出会い、交流していくことを死ぬまで諦めないで生きていく❣❣」と❣❣ 私もそうしたい❣❣ いやあ、体の中からパワーが満ち溢れて来るような感じです❣! 皆さんも、是非読んでみてください~❣❣ 追伸 頓珍漢なことを書いてるかもですし 間違った理解をしているかもですが・・・^^ まあ、あびちゃん、何かありましたが、よろしく^^ 頓珍漢でも、思い違いでも、何でも良いんやし❣❣ とにかく元気に生きていくぞ❣❣ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
何かと生きづらく、ストレスのたまりやすい世の中ですが、
それでも生きていれば何とかなります! 健全な危機感は持たなければだけど、 楽観的に生きたいものですね・・・ (Apr 13, 2024 04:50:21 PM)
心のこもった感想ありがとう。
神仏などいないという死生観の人にも 響くことがわかってよかったです。 お気遣いの「頓珍漢なこと」は特にありません。 というか、明らかな読み違い以外はすべて読者の受け取り方の自由ですので。 宣伝になり申し訳ないですが この『一三分間、死んで戻ってきました』は今のところ、 非常に限られた書店にしかなく、 アマゾンにも出荷していないので、ご入用の方は BASE 一三分間、死んで戻ってきました で検索し、BASEでオンラインショッピングしてくださいませ。 なお、お尋ねの釈迦の十大弟子ですが、この本は、経典解説が目的でなかったため、それぞれの個性や障碍をかかえた人たちだったんですよということが、見えやすい5人を例示しました。 全員お知りになりたければ、以前に買っていただいた 『浄土真宗の法事が十倍楽しくなる本』 の9ページから13ページの阿弥陀経の部分に列記してあります。 通常、法事の際、阿弥陀経のこの部分は、名前を順に唱えるだけなので、聴いても退屈するだけです。 しかし、『浄土真宗の法事が十倍楽しくなる本』では下段にだいたいどんな人だったかを、今回の本のようにすべて現代語訳に織り込んであります。 そのため、「クラスにおったな、そんなやつ」と思ったり、「それは私のことではないか」と思ったりするのです。 このように真意をすべて知れば「無意味な読経を聴かされる」と思っていただけの法事が十倍楽しくなる(意味が手にとるように伝わる)というわけです。 ではまたー。 限りなきはたらきのままに。 (Apr 13, 2024 05:00:55 PM)
まー(シモパ)さんへ
『浄土真宗の法事が十倍楽しくなる本』をまーさんは持っているはずです。 本棚を探してみてください。 なぜ、私がそう言うかというと、感想を口頭で言ってくれたのを覚えているからです。 「あの本やけどな。読んでも、全然、十倍楽しくなってけえへんねんけど」 と、まーさんは言いました。 正直、「ああ、読み込めてないな」と思いましたが、仏典の真意を知ろうという意欲が強くないと、無理かなと思い、「ははは」と言って終わりました。 ですが、今回の本で、十大弟子は様々な課題をかかえた部分に反応されていたので、 実は『浄土真宗の法事が十倍楽しくなる本』に全部書いていたのに、「楽しくなってけえへんねんけど」と言っていたなと想いだしたのです。 (Apr 13, 2024 05:27:38 PM)
打ち間違い
ですが、今回の本で、十大弟子は様々な課題をかかえた部分に反応されていたので、 → ですが、今回の本で、十大弟子は様々な課題をかかえていたという部分に反応されていたので、 (Apr 13, 2024 05:38:16 PM)
まー(シモパ)さんへ
墓も葬式も要らないというのは、同じ意見です。 法事もしなくてもいいと思いますが、 経典などを現代語訳しないで聞かされるのは、 あまりにも苦痛であり、ただの権威主義だと思い、 真意を書いておいた方がいいと思い 『浄土真宗の法事が十倍楽しくなる本』を書きました。 どっちみち法事する人にとって、 マシになるというくらいの意味にとってもらってもかまいません。 千倍ではなく、十倍くらいかな?と思いました。w 200冊買ってくれたお寺もありました。 もし、本が見つかったら、 釈迦が「誰を」前に阿弥陀経を説いたかだけではなく、 それは「どんな場所」だったかという訳文も、目をこらしてみてください。 それは差別され、孤独で、追いつめられた人々に、 炊き出しの活動が行われているところであった と訳しています。 経典の漢文にちゃんとその根拠があることもわかります。 (Apr 13, 2024 06:12:19 PM)
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