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海外にいると、ニュースは見ていても、それらについての社説やら討論番組なんかはなかなか見る機会に見舞われないので、何が起こったかは知っていても事件の一つ一つが社会に与える影響といったものが察知しにくい。それが何年も続くと、改めて日本を眺めた時に、まるで自分の国じゃないような感覚に陥る。
この「浦島太郎現象」、最近になって特に感じたことがいくつかのニュースを通してあったので、ちょこっとメモしておこうと思う。 私が見て育った日本社会、というのは、戦後、うちの祖父母や両親の世代(いわゆる団魂世代)が築き上げたものだったのだけど、留学やら海外生活やらしているうちに、社会の主役はいつの間にか自分の世代になってしまった。 経済環境、家族構成、教育内容なんていうのが、全く違う、今の30-40代は、いわば「もののあふれる時代」「Japan No.1」の時代に育った、苦労を知らない人間が多い。道徳観念なんかも、ぜんぜん違う。 (これが、もう10年下の世代になると、また違った人種のようだけど。それは、このブログを読んでる人の多くの方が分かるでしょうか??) 一所懸命働く、なんて理念は、一緒だと思う。ただ、もののない時代に、自分の国のためにと団結して成長していった親の世代とは、考え方も、スタイルも違っているようで。 親の世代は、「組織」「伝統」重視。古い習慣にしがみつく、という意味でなく、外のものを、上手く自分達の文化の中に取り入れて、日本独自の経済、社会、労働システムを作り出していたと思う。日本人の几帳面さ、グループワークの強さ、個人の技術の高さ、っていう面を活かしながら、アメリカの生産システムを取り入れて、アメリカの会社を上回る生産性をあげた会社には、そんなところがあったと思う。 私らの世代は、というと、親の時代の日本人の貢献のおかげで、「世界レベルの日本」、悪い意味ではアメリカナイズドされた日本社会に育った。日本の伝統のよさを見極める視点が育たず、逆にこれらを古いものとして批判する姿勢がでてきた。 じゃ、私らの価値観って、どんなものだろう、というと、アメリカを始めとする西洋文化の「さるまね」。 文化から思想にいたるまで、何でも「日本は古い。アメリカ式がナウい(←死語。汗)」って具合で、とにかくアメリカのやる事を何でも取り入れてきた。 留学ブームも、その一環だったんじゃないかな。少なくとも、私は、「日本の大学で学ぶことなんてない。その後日本で就職するのも、真っ平。自分は世界にでてやるぞ」なんて意気込んでた。 で、こういうアメリカかぶれたちが、「アメリカはこうしているんだぞ」と、外の価値観、システムを日本に持ち込んだ。「アメリカは...」というと、何でもいいようなイメージも、当時の日本人の中にあったと思う。 組織のために、国のために、という、日本独特の理念が崩れて、合理主義、個人主義が目立ってきた。そのために、企業や学校が前のように機能しなくなってきた。 もちろん、思想だけで、社会が変わるわけじゃなくて、バブル崩壊やらなんやらの社会現象が思想を変えてしまった、って見方もできるけど、「日本をよりよい国にするために一所懸命働きたい」なんていう人が希少になったのは、事実。 例を挙げれば、企業同士のマネーゲーム。先週までほとんど興味を持っていなかったので、偉そうに解説する立場ではないんだけど、プレーヤーも傍観者も、「だれが、何億稼ぐか/失うか」といったことに注目して、人間の集まりとしての組織、日本をよりよくするための要素、といった方向からこれらを評価することがなかったような。 組織が人材をうまく使って、社会全体の向上に貢献していく、という図式から、個人が会社を利用して、自分の得たいものを得る、って図式に、移り変わったのかもなあ。ここら辺は、すごくアメリカ式。 「良いトコどり」は、日本のお国芸だったはずなのに、良いトコと悪いトコが判断できなくなって、盲目に外のものを真似る風習ができてしまったのかなあ、と思う。 で、そんな中での留学生の位置づけは...という話にもって行きたかったけど、長くなりそうなので次回にまわそう(^^; なんか、今回まとまってませんが、何が言いたかったかというと、うちの親を始めとする、もうすぐ定年退職される「大人」(私にとっての)の方々。素晴らしい日本を築いてくれて、ありがとうございました。なのだ。 (↑実は、この世代の人にも企業を利用して悪い事をしている人はいるようだけど。親父、大丈夫か??) はあ~しかし、堀江氏。私と2歳しか違いません。ある意味すごい人だな、と思いますが、最近のニュース見てるとこっちまで胃が痛くなります(汗)
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