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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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小野寺秀也

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2015.05.08
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テーマ:街歩き(641)
カテゴリ:街歩き

 「4月は残酷な月だ」と書いたのはT・S・エリオットだが、春は狂いそうになるほど気ぜわしいことは確かである。山を登り、野を歩き、日を浴び、風に吹かれたいという原初的な望みも強い。また、社会化された人間たちが堰を切ったようにさまざまな行事を考え出す季節でもある。人が集まる場所は好きではないのだが、そうばかりも言ってはいられない。
 暖かくなっても風邪を引いてばかりいる身には、春は時間が足りない気がして、風邪なんかで時間はつぶせないと、「風邪は無視する」と粋がって見たものの、38℃の熱が出れば虚勢はけっきょく虚勢でしかなく、デモに出かける直前までまるまる2日間寝込んでしまった。

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元鍛冶丁公園の集会。(2015/5/8 18:43、44)

 しばらくぶりの元鍛冶丁公園に日は暮れ残っていた。先週から、開始時間が30分繰り下げられたが、季節が先回りしているようだ。
 これから6月にかけては、季候もいいし、日の暮れを案じることなくのんびり山歩きできるいい季節なのだが、昨年から1年半も山に出かけていない。このデモの数日後には久しぶりに山に出かけてみようと思い立っていたのだが、熱で消耗した体力の様子をうかがうために延期するしかないようだ。

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今日のスピーカー。(2015/5/8 18:42~51)

 フリートークでは、仙台で上映中の『小さき声のカノン』が来週まで上映が延期されるという告知の後に、映画を見た人から感想が述べられた。
 また、福島原発事故被害者救済を求める署名活動の取り組みの報告、署名へのお願いや、国会請願活動への取り組みの報告があった。

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元鍛冶丁公園から一番町へ。(2015/5/8 19:00)

 デモに出発する午後7時にはすっかり夜の雰囲気で、デモが通り抜けていく飲食店街(飲み屋街)の国分町、稲荷小路はすっかりそれらしい雰囲気になっている。
 カメラを構えるようになってから気づいたことだが、国分町や稲荷小路の照明は派手で明るいのだが、道を行く人々はとても暗く翳っているのである。飲食店街の照明は、街を照らすわけではなく、自らの店をアピールすることだけに使われているようなのだ。街灯が明るい一番町の照明とは役割が違うらしいのだ。

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一番町に入って。(2015/5/8 19:06、08)

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本日のコーラー。(2015/5/8 19:06、12)

 定禅寺通りと広瀬通りの間で一番町に出て、デモは一番町を広瀬通りに向かう。この時間帯の一番町広瀬通り交差点の前後は、待ち合わせの若者たちで溢れ返っている。毎週ここを通り抜けるのだが、いつも大勢の人が集まっているのだ。
 私たちのデモは毎週ほとんど同じ人間たちだが、ここに集まっているこれだけの人たちの中には同じ人はほとんどいないはずだ。私たちには見慣れた風景であっても、彼らにとっては見慣れない(なかには初めて)デモを見ているに違いないのである。
 そんなことを考えたら、真面目にきちんとデモをしなくては、とつい思ってしまうが、私たちはいつだって真面目にデモをしているのだ(多少の慣れはあるにせよ)。それにしても、私(たち)は、このような眼差しの非対称性を意外と無頓着に見過ごしているのかもしれない。心しておかなければと思う。

私は断言する
見るに値するものがあったから
眼が出来たのだと

     吉野弘「眼・空・恋」部分 [1]

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一番町を抜ける。(2015/5/8 19:12~16)

 デモの最後列を抜け出して、先頭へ急ぐ。先ほどまで熱で寝込んでいたのでいくぶん辛かったが、先頭を追い越して駆けだして、さらに先、青葉通りの交差点付近で、藤崎前の緩やかな坂を下ってくるデモの列を待っていた。
 デモを待つわずかな時間に、「この坂の名前は何だろう」と一瞬思った。坂の名前などないのかもしれないのに、「こんなことも知らないのは仙台が故郷ではないからなのだ」と思いこんでしまった。生まれた田舎で16年生き、それから仙台で60年も生きてきた。執着心の強さで言えば仙台なのだが、「生れ故郷」ではない。どちらが故郷でも私の心のどこにも差し障りがあるわけでもないのだが……

故郷春深し行々(ゆきゆき)て又行々(ゆきゆく)
       与謝蕪村「春風馬堤曲」(部分) [2] 

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青葉通りを行く。(2015/5/8 19:22、27)

 デモが近づいてきて、どこでシャッターを押すかタイミングを計り始めたときから「坂の名前」のことは飛んでしまった。「坂」を下りきって、青葉通りに曲れば、通りの光量は急激に落ちてしまう。やたらにシャッターを押すのは仕上がりが心許ないせいなのである。

 坂といえば「この坂をのぼらざるべからず/踊りつつ攀らざるべからず」という室生犀星の有名な「坂」という詩があるが、日々の散歩や街歩きで想うことは、次のようなことだ。

役人は四角の柱を立て由来を記し
坂という坂はすべて由緒あり気だ

幸いこの細い急な坂道には名がない
朝な夕な四季おりおりに
ぼくはこの坂に名を付して
よすがの楽しみにしている

     天彦五男「名付け坂」部分 [3]

 

[1] 『吉野弘全詩集』(青土社、2004年)p.254。
[2] 『日本の古典 58 蕪村集 一茶集』(小学館、昭和58年)p.123。
[3] 『天彦五男詩全集』(土曜美術社出版販売、2010年)p.176。






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Last updated  2015.05.09 15:34:04
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