「ちゃんとバンドしてよ!」
義母を抱え上げて車椅子の座らせようとしている私に妻の声が厳しい。バンドとは「骨盤安定サポーター」という商品名の腰に巻くベルトである。十数年前に初めて「ぎっくり腰」になってから使っている何種類かのサポーターの一つだ。
十日ほど前、義母をトイレに座らせようとしたとき腰を痛めて3日ほど介護の手伝いができなかった。背筋をまっすく伸ばして歩けばいくらでも歩けるし、私の日常生活にさほどの不自由は感じないのだが、いったんは必ず中腰になる義母の移動は無理なので、妻は大いに機嫌が悪いのである。
先週の金デモも休み、おとなしくいて三日ほどで治ったのだが、それ以来、義母の介護で腰を痛めたなどと言わせないために、必ず妻の号令がかかるのである。
実は、義母を抱えてトイレに座らせようとした動作が腰を痛めた要因のすべてではない。ここのところ、「体を使い切って死にたい」などと自分の老いの暮らし方を考えるようになった。「●●のために」などと考えているわけではない。動かせる体は動かしておこうというだけのことだ。
まず、足だ。平地を歩くだけの1時間の散歩を、340段ある神社の石段と仙台城址の天守台への坂道が入るコースに切り替えた。しばらくそんな朝の散歩を続けていた。そのせいか、以前には金デモが終えた後に感じていた軽い疲労感をまったく感じることがなくなった。
気をよくして、夕方に腕立て伏せやスクワット、鉄亜鈴を使った上腕の運動なども始めた。年相応にごくごく軽い運動を心掛けていたつもりだったが、どうもスクワットが悪かったらしい。自覚症状はなかった(これが年寄りの年寄りたるゆえんである)が、腰回りの筋肉に疲労がたまっていたらしいのである。腰を痛めたあとで気が付いたのだが、筋肉痛も起きていた。
妻には介護時に起きたと言い募っているが、反省しきりである。このような典型的な「年寄りの冷や水」をどれほど繰り返せば老人らしい知恵がつくのか分からないが、こんなふうに足掻き続けるのが私の老後というものだろう。というより、足掻くことが私の趣味のような気がしてきた。
先週の金デモを休んだ分、今日は遅刻をしないで集会に出ようと思って家を出たが、5分ほどの遅刻だった。
勾当台公園から一番町へ。(2018/7/27 18:37~19:08)
ここ数日、だいぶ過ごしやすくなった。日中の気温もいくぶん下がったが、朝晩はやっと仙台の夏らしい過ごしやすさになった。
私がさぼった前回は日曜昼デモで、暑さを避けて午後4時からの開催だったが、午後4時でもまだまだ暑い日だった。勾当台公園の野外音楽堂の木々が日差しを遮っている場所でも相当暑かったに違いない。
今日は快適な夕暮れの集会、快適な夕暮れのデモになった。すこしずつ暮れていく仙台の道を一番町に向かう。
心地よい夏の夕暮れ、一番町はいつになく賑わっていた。
7月24日付けの朝日新聞デジタルに「原発新増設「とても競争力持てない」 IEA元事務局長、原発推進派の田中氏」という記事が掲載されていた。
国際エネルギー機関(IEA)の事務局長だった田中伸男さんという人はガチガチの原発推進派である。その人が原発の新増設について「1基1兆円以上かかり、べらぼうに高い。とても競争力を持てない」と講演で話したというのである。「IEAが昨年の報告で『多くの国で太陽光が最も安くなる』と指摘したことにショックを受けた」ということからそのような認識になったらしい。
まあ、世界の常識を語ったに過ぎないのだが、「米国などと共同で、経済性のある次世代原子炉の開発を進め、信頼回復に努めるべき」などと述べることで原子力村の居住権を守るべく講演を締めくくったらしい。
「次世代原子炉の開発」という妄想については、先々週の金デモのブログで少し触れたのでもう書かない。原発からの脱却が世界のエネルギー政策の趨勢であることだけは間違いない。
青葉通りに出れば、仙台はしっかりと夜になっている。真夏の宵の口、街で遊んでみたい誘惑にかられるが、三日ほど介護をさぼっていたときの妻の気分がまだ回復していないので、おとなしく帰るしかないのである。
「体を使い切って死にたい」のだが、その体にそんなに自由があるわけではない、などと考えながら帰途についたのだが、とくに感慨があるわけではない。当たり前ということだ。
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