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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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小野寺秀也

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2022.12.11
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テーマ:街歩き(613)
カテゴリ:街歩き

 師走である。「師走でせわしい」などと言うとあまりにもありきたりで面白くもなんともないのだが、じつのところ最近は師走に関係なく「せわしい」のである。
 仕事ももろもろの用事も依然とほとんど変わらない量なので、しだいに退化していく処理能力のせいだろう。そう思っていたし、それを言い訳にもしていた。
 しかし、「せわしさ」にはもう一つ原因があるらしいと気づいたのは数日前である。職業人として生きていたときには、仕事の進み方はひとえに私だけに依存していた。若いときには実験室にこもってばかりいたし、机に向かって論文を書くという仕事が次第に増えていっても、やはり私が仕事を進めるままに時は過ぎていたのである。
 退職したとき、あまり社会性のないそれまでの生活を変えようと思って地域の仕事を引き受けた。職業人のときとは比べようがないほど暇なはずなのに、忙しい感じはむしろ増えたように感じたのである。結局、それは自分の時間感覚で仕事や用件が進まず、いつも仕事が残っている状態が続くためなのだ。その間は「仕事があって忙しい」という状態が続くのである。短気な性格がその感情を加速してもいる。
 12月初めに、昨年の9月から続いていた国と市を相手の交渉事がようやく終了した。国と市からその話を持ち込まれたときに、交渉の進め方と結末のありようを想定したのだが、実際に私の想定通りにとくに困難も波乱もなく、つまらないほどに淡々と事態は進んだのある。ところが、その遅々たる事態の進行中は仕事を抱えているという感じが消えないのである。こちらから発信すると国と市は返信をすり合わせる時間が必要で、早くて二週間、場合によっては一ヶ月ほど待たされることになる。
 いろいろな仕事や用件にいろいろな人たちと関われば、相手の決断や行動をじっと待たなければならない、そんなことはまったくのあたりまえのことなのに、それが私の「せわしさ」の原因の一つだと気づくのに、こんなに年を取らなければならなかったということにだいぶ落胆してしまった。







元鍛冶丁公園から一番町へ。(2022/12/11 14:24~18:29)


 冬支度で元鍛冶丁公園まで歩いたら、いくぶん汗ばんできた。思った以上に暖かい。
 遅刻して元鍛冶丁公園に着くと、集会は公園の奥のステージで行われていた。雨を避けてステージにかかる屋根の下でやることはあるが、日中の公園入口での集会を遠慮したのだろう。20人ほどが集まっている。













一番町。(2022/12/11 14:31~14:39)


 ネットでツイッターを眺めていたら「日本はアメリカの最後の州にされるのではないか」という趣旨の記事に、「アメリカの州になったら、オスプレイは住宅地の上を飛ばないし、沖縄の基地はもっと分散されてとってもいいこと」という皮肉の効いたリプライと「州には絶対にならない、日本はアメリカの属国、植民地なのだから州に昇格させるのはアメリカの利にならない」という真面目(?)なリプライが続いていた。
 駐留米軍の将校と日本政府の官僚から成る「日米合同委員会」の決定が日本の憲法や法律よりも強い効力を持っているというのは、いまや公然たる常識となっていて、日本がアメリカ軍に占領された植民地であると言うのはたんなる比喩のレベルを超えているように思う。
 しかし、福島のことを考えると、アメリカの植民地である日本の中の更なる植民地としての東北という考えに突き当たる。8年前に『辺境から始まる 東京/東北論』という本を引き合いに出して、そのことについて次のような文章を書いていた(「​「3・16 No Nukes みやぎ」 (1) 錦町公園のイベント・集会!​」。

​​
 日本という国において、東北はどのような位置を占めているのか。例えば、小熊英二さんは、太平洋戦争以前の「植民地と勢力圏を中心としたアウタルキー(自給自足)経済」が敗戦によって破綻した後、国内でアウタルキー経済を目指した時代に東北が「米どころ」になった、と指摘する [​赤坂憲雄、小熊英二(編著)『辺境から始まる 東京/東北論』(明石書店、2012年)​p. 315。] 。文字通り、戦後の東北は旧植民地の代替機能を負わされたのである。
 あるいは、山内明美さんは、東北の置かれた歴史的状況について、天皇制における大嘗祭を取りあげて次のように述べている。

天皇の代替わりの最も重要な儀式である大嘗祭の悠紀に、はじめて東北が登場したのは、1990(平成2)年の秋田県である。それ以前には、東北が大嘗祭に伴う斎国に選定されたことはなかった。あえて天皇儀礼という観点から言ってみるならば、天皇の身体の一部へ東北が摂取され、東北が名実共に天皇の領土としての食国になったのは、20年そこそこの歴史なのである。 [同上、p.256]

 つまり、太平洋戦争後、食料生産の植民地に過ぎなかった東北は、平成に入って始めて天皇制における日本国の一部になり得たということである。だから、昭和が終る頃、大阪人のサントリーの社長が「東北は熊襲の産地、文化程度も極めて低い」と発言したのは日本国(国民)のありようから考えて当然と言えば言えるのである(熊襲と蝦夷を間違える佐治恵三の低い文化程度はさておいて)。
 だとすれば、原発事故後、それをなかったことにしたい政府は、福島を日本に含めない(含めたくない)という思想をベースに動いていると想定することは容易で、しかるがゆえに、福島の人々よりも東京電力が大切だという政治行動に繋がっていると言える。(2014年3月16日)


 東北に住む私たちは、日本という国とアメリカという国に対しての二重の植民地の闘いを強いられているということだろう。









青葉通り。(2022/12/2 18:42~18:47)


 今日のデモの集会の開始時間は午後2時15分、デモは2時半出発だった。これに参加するときは、昼飯抜きである。胃腸が弱くて、食後に変調が生じることが多いので、用件の時間帯によっては朝食や昼食を抜いて出かけることが多い。
 今日も家族の昼食だけを作って、私は何も食べないで家を出た。一食抜いてもあまりお腹が空いた感じがしないたちなので、夕食までそのままということが多いが、今日は蕎麦で遅い昼食とした。片平に勤務地があった頃、よく通った蕎麦屋さんでその当時とても好きだった「天とじそば」を食べた。
 家でも「天とじそば」を作ってみるのだが、半熟の溶き卵で海老天をとじるのがうまくできなかったのだが、お店で食べながらその作り方が分かったような気がした。デモに参加すると料理の勉強にもなるのである。



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読書や絵画鑑賞のブログ
かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)





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Last updated  2022.12.12 12:24:26
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