ここ数週間、よく夢を見る。その夢が50代後半の一時期によく見た夢とまったく同じなのである。車で何かの集まりに行くのだが、帰りに私の車が見つからないのである。そこは駐車場が数か所あり、大きな建物があるのだが、どこかはわからないし、どんな集まりかもわからない。知ってる人もいない。ひたすら車を探し回っているところで夢は終わる。
その夢のヴァリエーションらしいものも見る。ホテル(建物は日本式旅館のときも明治時代に建てられたような古い洋館風のホテルだったりするが)で宿泊を終えて帰ろうとするのだが、私の靴がないのである。つまり、車が靴に替わっている。ホテル(旅館)のあらゆる出入口をまわって靴を探しているところで夢は終わる。このような夢を繰り返し見たのである。
決して楽しい夢ではないが、夢が問題なのではない。その夢をよく見た50代後半という時代は仕事が極めて順調で、大げさに言えば、職業人としてはハイライトが当たっていたような時期だった。しかし、精神的にはもっとも不安定な時期でもあった。いわば仕事の成功で得意になっているような感情に、神経不安症と呼べるような感情が重なっていた難しい時期だった。
朝目覚めると、あの時と似た感情におそわれる。漠然とした不安でざわざわとしているのである。あの時と比べれば不安は軽度だけれども、気分はかなり良くない。何かが不安、何かが心配というのではない。ただ、「不安」だけが私の体内を漂っているのだ。不安の対象がまったくないということが、いっそう気分を落ち込ませるのである。
50代後半の時期と違うこともある。その時は仕事がうまくいっていて、仕事に対する熱情なようなものもあったように思う(他人から見たらどうだったかわからないが自分ではそう思っていた)。
いまも、社会的関係の中でやらなければならないこと、やるべきことがいくつもあるのだが、どちらかと言えばやろうという意欲はあまりない。かといって、それを拒否しようとすような強い感情もない。たぶん、淡々とやるだけだろうと思う。出来ればやる気が出ることを期待したいが、そのような変化はもう時間に委ねるしかない。
勾当台公園から一番町へ。(2019/10/4 18:19~18:39)
台風18号が日本海を北上して温帯低気圧となって東北の北部を通過する影響で夕方から降雨、太平洋岸沿いに強風が吹くという天気予報だった。たしかに夕方から雨が降り出したが、傘をさすかどうか戸惑うほどの小雨の中を勾当台公園に着く。
20人ほどのデモ人が野外音楽堂のステージの屋根で雨を避けて集会をしていた。それまでは関西電力の賄賂サイクルの話が続いていたようだが、私が着いたときには「処理水」の話題になっていて、指名されて先週の話で言い残したことを話した。
一番町(1)。(2019/10/4 18:43~18:47)
デモが出発して、後を追いながらシャッターを押すのだが暗すぎてシャッターが下りないことがあって、今日の夜の闇が深いことを知った。季節が過ぎ、9月からデモの開始が30分繰り上がったものの、デモの時間帯はどんどん暗くなっている。
それでもシャッターが下りないことはほとんどなかった。そこで絞り優先をシャッター速度優先のオートフォーカスに変えるとシャッターは降りるようになるのだが、ピントが甘い写真しか撮れないのだ。
雲が厚く空を覆い、街の灯が雲に反射するのを細かい霧雨が抑えているのだろう。フラッシュを使わない私のやり方(と腕)ではこの闇を克服するのは難しい。一番町に入って、一段と明るくなった街灯とそれよりもいっそう明るく続く店々の照明に救われる。ただし、オートフォーカスがデモ人の背景の明るい店舗にピントを合わせることがあって、これはこれで失敗写真が多くなる。
一番町(2)。(2019/10/4 18:48~18:54)
原発立地の高浜町から関西電力に裏金が還流していることが明らかになったが、国からの原発関連交付金も含まれているらしいこと、福井県警幹部にも金が渡っているらしいことなども次々に報道されるようになって、今後どのように展開するのかよくわからない。もちろんムカッとする話だが、これから続くだろう報道を楽しみに待っている気分もある。
いつかどっかで何度も見たり聞いたりした汚い贈収賄のことを云々(デンデンではない、念のため)するのはまったく面白くない。
「米スリーマイル島原発が運転終了 60年かけて廃炉へ」という記事があった(9月21日付け『朝日新聞デジタル』)。スリーマイル島、チエルノヴィリ、フクシマと原発重大事故は続いたのだが、スリーマイル島の炉心溶融(メルトダウン)事故からもう70年も経った。残った原発で商業運転を続けていたのだが、採算の悪化で経営できなくなり、70年かけて廃炉にするのだという。
このニュースの肝は、「採算悪化で電発を廃炉にする」ということである。原発で電気を作るというのはコストがかかりすぎて商業的には成り立たないのである。日本が外国に原発を輸出(建設)しようとした案件がことごとく破綻したのは、建設資金を電気料金で回収することが不可能と見込まれたからである。原発以外の方法で作った電力とは競争できないほど高コストなのである。
日本であたかも原発による発電が商業的に成り立っているように見せかけているのは、電力会社が独占的に電気料金を設定できるという悪法があるためである。「総括原価方式」というシステムで、すべての原価を合わせたうえに「適正な利潤」を乗せて電気料金を設定する。その原価の中に原発建設、維持のために原発立地自治体に過剰にばらまいてそこからキックバックされて関電の幹部の懐に入る分も、原発事故処理にかかる費用も含まれている。
また、「適正な利潤」に特段の定めはない。好きなだけ乗せられる(電力会社間で談合はしているだろうけれど)。結局、発電にコストがかかりすぎる原発の分もほかの方法による発電と一緒にして電気料として国民からふんだくることができるシステムなのである。「総括原価方式」をとる法は、賄賂貰い放題の電力会社経営陣ということを考えれば(つまり、電力会社性悪説に立つしかない現在では)、どう考えても悪法である。
原子力産業の黄昏を物語るもう一つのニュースは、フランス原子力庁が8月30日、高速増殖炉ASTRID計画を完全に放棄したとする声明を発表したという記事である(9月14日付け『論座』)。これで、アストリッド頼りだった日本の高速増殖炉(プルトニウム炉)計画も破綻することになった。
核兵器材料となるプルトニウムを40トンも保有する日本は、世界から批判・警戒されており、保有量削減が政治的課題となっている。「核燃サイクル」によってプルトニウムを減らす計画だが、その一つの柱である高速炉がほぼ実現不可能になったので、「核燃サイクル」もまた破綻していると言ってよい。
「核燃サイクル」には運転中の原発のウラニウム燃料をMOX(ウラニウムにプルトニウムを加えた)燃料に置き換えることでプルトニウムを消費するという計画も含まれている。しかし、もともとプルトニウムは原発内でウラニウムから核変換のよって生成したものである。MOX燃料による「核燃サイクル」というのは、プルトニウムを消費しながらプルトニウムを生成するというプルトニウム削減法としてはなんともばかばかしいものである。
もっとも、現在の日本では核燃料再処理施設の稼働はいつになるか全く見込みが立っていない(もしかしたら、そのための技術力がまったくないのかもしれない)。使用済み核燃料からプルトニウムとウラニウムを分離することも、MOX燃料を作ることもできないので日本の「核燃サイクル」はいまのところ机上のたわ言にすぎないのである。
日本の原発推進の背景は、じつに貧しく、頼りないのである。
青葉通り。(2019/10/4 18:56~17:03)
傘を差さないでデモを通した人が何人もいたが、細かな雨がレンズに付着するのを嫌って私は最後まで傘をさしていた。台風18号も温帯低気圧もどうなったものやら、風も強くなかった。
デモが終わり、カメラをバッグに仕舞えば、傘をさすのがうっとうしいと思えるほど降っているとも降っていないとも言えるような状態で、傘を畳んだまま家まで歩き通した。義母の介護の必要がなくなって、急いで帰る必要もないのだが、とくにやりたいことも行きたいところもない身では、まっすぐ自宅に向かうしかないのだった。
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