|
テーマ:鉄道(21848)
カテゴリ:鉄道
板橋へ向かう往路のD51↑(1967年12月3日9時頃、蕨-南浦和間) 復路のバック運転 ↑(1967年12月3日15時頃、蕨-南浦和間) 私の記憶では、小学校へ行くときには、遠回りをして線路沿いに歩いて、D51を見てから登校していたことを覚えています。 でも、考えてみると、D51は、9時頃蕨駅付近を走っていましたので、登校時間にしては少々遅いような気がします。 いつもD51を見ていたことは確かで、時には跨線橋の上から煙を堪能していました。 時間の説明がつかない、何とも不思議な記憶です。 当時、板橋にセメント工場があり、毎日D51が牽引するセメント列車が大宮と板橋の間を往復していました。 板橋にターンテーブルはありませんので、板橋から大宮へ戻るときには、いつもバック運転をしていました。 バック運転の場合は、炭水車があるために前方が全く見えず、運転は大変だったことと思います。 【Bon appétit !】 Japanese manufacturers initially depended heavily on imported locomotive parts. JNR ceased importing locomotives in 1912. Thereafter, with the exception of a few experimental locomotives manufactured by Orenstein & Koppel or American Locomotive Company, production locomotives were JNR designs built by Japanese manufacturers. (https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_rail_transport_in_Japan) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[鉄道] カテゴリの最新記事
素晴らしい写真ですね~~・!
スケールが違います。絵本でもいいですがこのような場所で過ごされたGKennさんには素晴らしい刺激があっていい人生を歩まれているのでしょう・ この写真はいいですね~~。 写真も撮られてまた機関車について色々調べたりされたとはびっくりです。それも小学生が、。。素晴らしい! (2017.10.17 10:07:32)
恵子421さんへ
書き込みありがとうございます。 写真をお褒めいただきありがとうございます。 小学生ながら、随分と鉄道写真を撮りました。蒸気機関車がまだたくさん走っていましたので、いつもワクワクしながら撮っていました。 (2017.10.18 14:07:22) |