カテゴリ:国語
塾などで、難問に取り組むことももちろん実力アップにつながっていくでしょう。 「そのうち目が慣れます」 「入試問題はこのぐらい難しいので、今から取り組まないと」 「うちは難しいものをやって、そのときはできないかもしれませんが、そうやって伸びていくのが中学受験です」 と、一部の講師は言います。 私のかつての上司にもこのタイプの指導法の講師がいました。一昔前であれば、それでも伸びた生徒は多かったように記憶しています。 そして、そういう授業がスタンダードなので、模擬テストも大学入試問題みたいな論説文と小説が出て、与えられた時間も短い。 大手模擬テストの国語の平均点が38点のときもあります。 小学校行って、その後もほとんど毎日塾に通って、勉強頑張っている子ども達が3割ちょっとしかわからないような問題を出して、何を計りたいのか。 この点数では、目的を持って地道に力をつけている生徒と、そうでない生徒と区別できません。 乗り越える壁が高すぎて分厚すぎると、生徒の心は折れます。 理解ではなくて、要領を覚えようとしてしまう子が出てきます。 頑張っているからこそ、やはり適度な「達成感」は必要です。 逃げ腰になったとたん、成績上昇は見込めません。 ただただ難しくて堅苦しい文章のそれも長~いのを宿題でしなくてはいけない。 それも何題も。 そして、次の授業では先生の書いた模範解答をひたすら写す。 それを「実践型の授業」と言いいますか。 目指す目標のレベルに早くから慣れてもらおうという意図もわかりますが。 そのタイプで伸びるのは、私の経験からの感覚で言うと2割の生徒さんではないかなぁと。 せいぜい上位3割。 スポーツにたとえたら、基本練習をすっとばして、練習試合と公式戦の繰り返しという授業がされやすいのが、特に国語という教科であるように思います。 基本練習を1つ1つ確実にクリアして、生徒の得意不得意を分析しながら、対応していけば、 6年生の夏頃から試合に出場するので十分間に合っています。 レベル100×100回。 という先輩講師の指導教室と、 レベル1から、レベル2、レベル3…………レベル100 という指導する私の教室でのやり方のちがい。 基本を忠実に教え込んでから入試問題レベルを指導するようにすると、ラスト3ヶ月で平均9ポイントの成績アップで、最終的にはどの教室よりも偏差値は上になりました。 生徒の学力や意欲や集中力に配慮できれば、このクラスはレベル50は一気に進めるとか、 レベル65は2倍の時間をかけようとか微調整できます。 このような微調整は、「商品の均一化」を理由に一切しないところもあります。 それもまたそういうものだというのであれば、生徒側が自分で課題の量を調整するしかありません。 やはり塾も、企業ですから、営業的側面でいくと、 「他塾よりも早い段階で難易度の高い文章問題に取り組んでいる」というのも1つの戦略になっています。生徒さんに向けてというよりは、保護者に向けてのアピールといいますか、そういう一面もあるように思います。 いや、それでね、1題1題、丁寧に噛み砕いた解説があり、問題の解説も「やりがちな誤答」と「正解」との違いは何か-どこを抑えると正解となるはずであったのかということを伝えて、 類題が解けるようになっているという授業がされているのであればいいのです。 講師がすらすらと解いているのを眺めているだけでは、力はつきません。 料理番組いくつ見ても、料理上手にはなりませんよね。 「生徒が自力で本気で問題の答えを考える」「気づく」「手直しする」「それが正解」「自信になる」 「次の文章題に前向きに取り組める」この繰り返しこそが本当の「実践型の授業」です。 「○塾で、長文の難しい文章の練習をたくさんしてきたのです。宿題するのもやっとのことで。 で、こちらの塾のことを聴きまして、一度体験というかお話を聞こうと思いまして。 でも、いくらなんでもこちらの教室の教材簡単というか…」 という保護者の方もいらっしゃるのも事実です。 しかし、本当に「長文の難しい文章の練習をたくさんしてきた」のであれば、「目が慣れて」、 ここで配った練習問題が簡単に見えているはずです。 本当に簡単に見えたのであれば、すらすらと解けて、正解になるはずですよね。 すっかり文章に苦手意識を持ってしまい、記号選択問題に勘で答えを埋めるだけ。 記述問題は先生が答えを前に書くのを待っていますという姿勢。 ほんの数十分の間に、その子は何度ため息をついたことか。 「意欲を根こそぎ奪うような授業・宿題に意味なんかあるかー」と怒りさえ覚えます。 この子達の人生、まだまだ長いんですよ。 何十年と日本語を使っていくんですよ。 まだ小学生なんですよ。 「集中力」と「自信」を持てたら、自然と多くの文章を読みたくなります。 「楽しみな気持ち」を持って文章に向かい合えば、読み方も深くなります。 そうなれば、自然と読解力も語彙力も伸びます。 「学力を伸ばす」のはあくまでも途中経過で、 「子どもの将来の可能性が広がりますように」 「充実した人生を送れますように」 「たくさんの人に必要とされ、そんな輪の中で笑顔で過ごす時間がこの先増えますように」 などなど、たくさんの願いがあるはずです。 社会人に必要な能力として、必ずトップ3に入ってくるのが、コミュニケーション能力。 その基盤となる母国語をつかいこなすことに、苦手意識を持たせてしまうなんてこと、 大人はもっと抵抗を感じるべきだと思います。 確かに、劣等感や井の中の蛙を自覚することや失敗や恥も、少量なら良いスパイスになります。 しかし、一定量を超えると、その苦手意識の泥沼から抜け出すのにはかなりの時間を要します。 「集中力」も「自信」も「楽しみな気持ち」も「理解」もないような宿題なら、無意味ですからしなくていいです。 量を減らして、せめて「集中力」と「理解」の手応えのある取り組みにしてあげてください。 お願いします。 これは、自分の子にとって難問だったと思う長文読解。 噛み砕いて、いっしょに意味をとりながら、答えも一緒に考えて、せめて8割は正解にたどりつきましょう。 そして、少しだけ時間をおいて、その問題のコピーに一人で取り組んでみて、以前の自分よりは正解できるということを確認しましょう。 「取り組んだ手応え」「以前の自分よりは成長した実感」が必要です。 集中切れた状態で50問の長文読解をテキトーに解くよりも、この1題をこってりじっくり取り組んだ方が、よっぽど教育効果は高いです。 思い切って宿題、半分に減らすのもサポートの一つかと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年06月29日 00時33分23秒
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