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旅の記録

2019年06月19日
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テーマ:京都。(5500)
カテゴリ:旅の記録


電車を乗り継いで、京都国立博物館に来た。やっと平日に来ることができた。現在は新館が立っているので使われていないが、明治古都館である。明治28年建築。


この意匠。ものすごく安直な和洋折衷。


国立博物館は『国宝一遍上人絵伝と時宗の名宝』であった。お陰で、考古展示はなくなった。いつもこんな感じだ。
もちろん、一遍上人絵伝は全て見ることができる。途中でうとうとしていたのもあったが、思いもかけず、1時間40分もここにいた。六波羅蜜寺の空也上人像を40年ぶりに見たいと思っていたが、諦める。
感想は、美術品的に傑作では無い。人はあらゆる階層が出ていない。構図も単調。


テレビを見て気になっていた三十三間堂に行く。


中身はお見せ出来ないが、仏像の奉納という文化と、それに応える名人を含めた職人集団の存在、それを支える社会素晴らしいと思った。










少しお寺の周りを回る。


最後の晩餐は、柏井さんお勧めの店を探したのだが、結局時間的に間に合わない。駅前の「夜カフェ」に入る。


前菜。


メイン。


デザート。ワインも飲めて値段的にも満足できる晩餐だった。


というわけで京都旅、それなりに満足いく三日間だった。
22081歩






最終更新日  2019年06月19日 12時25分00秒
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2019年06月18日
テーマ:京都。(5500)
カテゴリ:旅の記録


なんとか、柏井さんのおススメのランチを食べようとして、思いついて伝説のタマゴサンドを作っている喫茶店に向かう。


すると、予約で既にいっぱいという。諦めて、マンガミュージアムに向かった。


旧小学校を改築したミュージアムだ。だから広い。二階にメイン展示の「マンガって何?」があった。




今まで見た中で、もっとも総合的に説明していた。外国に向けた展示にもなっていて、これだと総合的に日本のマンガを紹介できたと思う。


しかし、残念ながらガイドブックが一切無い。これではいけない。写真撮影もできないのに、この内容をどうやって外国に持ち帰るというのだ。絶対おかしい。1960年代の「夕焼け番長」最終巻があったので、見る。怪我をして、スポーツマンになるきっかけもなくし、去って行く。最後は夕焼けをバックにしていない。意外だった。


実際に作っているのを見せるコーナーなどがあった。


午後一時前になっていた。もう一度、タマゴサンドの喫茶店に行ってみる。なんと、今度は2時半まで満杯という張り紙があった。バカにしている。もう柏井さんの店には行かない。来る途中に見たおばんざい定食の店に寄る。日替わり定食。豚肉とキャベツの煮付けとおばんざい二品。750円。美味しかった。


なんと私が入って、五人ほど後で、ソールドアウトになってしまった。


おばんざいのうち、これは麩を使ったサラダだ。京都らしく、岡山ではまず出ない。


カウンターの前に、「京都めし」という情報マンガがあって、さぞかしここも出ているのかなと思って探してみるけど見つからなかった。




ところが、よく見ると鯖定食のコーナーの絵がここのお品書きにそっくり。後書きを見ると、店の名前をナイショにしていた。奥床しくも、「名店」なのである。流石、私。ちゃんとカンでこういう店を見つける。






最終更新日  2019年06月18日 15時51分26秒
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2019年06月17日
テーマ:京都。(5500)
カテゴリ:旅の記録
長くお休みしました。​京都の旅の続き​書きます。今までの一覧はカテゴリー旅の記録をご覧下さい。
4月23日(火)晴れ  3日目


朝、どこかの知らない偉いさんから「○日までに書け」と言われてその気になる夢を見た。どうやら旅日記が全然追いついていないことが影響しているらしい。疲れて毎夜直ぐに寝てしまうのだ。朝少し書く。朝食は、結局昨日のに少しボリュームを足した。今日は博物館巡り(昨日は月曜日なので、どこも閉まっていたから)なので、9時過ぎに出発だ。


京都駅に行ってコインロッカーに荷物を置いて、烏丸御池まで行って、国際漫画ミュージアムを見ようとしたら、10時開館という。まだ30分もある。




仕方ないので、京都文化博物館に行くと、ここも10時開館だった。ちょっと周りを回る。この辺りは、歴史的建造物が多い所らしい。


この町屋は明らかに普通の家だけど、とても良くできている。コープ京都の宅配がやってきた。対応している家人を見ると、おばあちゃんだった。一人で家を守っているのだろうか。


この家はもう少し格式が下った町屋形式。


しかし、隣の路地は行き止まりのある、長屋の連なる路地だった。


お地蔵様が約束のようにある。その御顔がとても良かった。


老舗の京都お菓子屋。


柚味噌の店。


商品は1番小さいもので2000円以上。とても手が出ない。


文化博物館にやっと入る。旧日本銀行を使った施設。展示替えで、考古遺跡展示は無い。私の博物館巡りの目的は古代の見聞を広めることにあるのだが、滅多に上手くはいかない。いつもこんな感じだ。


京都の歴史をざっとなぞる、直ぐ忘れてしまう常設展示。ただし、特別展示で祇園祭が始まるまで、函谷鉾の名宝展をしていた。前掛けは、ペルシャから取り寄せた「イサクに水を供するリベカ」の絨毯らしい。これを1839年に復活した時に掲げたというのだからすごい。しかも現役で活躍している。雨の時はどうするのか?それが1番気になった。こっそり撮ったのでナイショでお願いします。


三階は映画名画をしていて、今日は「喜びも悲しみも幾年月」をするらしい。生ポスターがあった。




また、羅生門のアカデミー外国語映画賞とベネチア映画賞を取った時の像のレプリカがあった。撮っていたら、これも撮影不可という。これもナイショでお願いします。(こんなモノまで撮影不可の意味がわからない)


文化博物館の通りは、古い建物が多く残っているそうです、明らかな明治風。現役のみずほ銀行。


立椿ビルディング。大正9年建築。和洋混成らしい。






最終更新日  2019年06月17日 10時22分10秒
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2019年05月07日
テーマ:京都。(5500)
カテゴリ:旅の記録


「鐡輪の井戸」もそうだったが、京都には、戸を開けるとそこは玄関ではなく、多くの長屋?の潜戸である場合が多々ある。何か異次元に向かう戸のように感じる。


北野天満宮に至る。天満宮に用があるわけではなくて、もう一つの蜘蛛塚が、此処の伴氏社の奥にあると聞いたからである。ところが、一通り探したがない。


北の門を出るとカフェ「オリーブ キタノ」があった。疲れていたので入る。完全町屋(宿屋)を改築したお店を女将が1人で運営していた。お客が来ないようで、私とのおしゃべりを40分ぐらいした。そこでいくつか情報を得る。
どの流れからそうなったのかは、忘れたが女将は
「大阪はいけすきまへん。神戸は好きどすえ」
正に『アドまっち天国』通りの反応で、彼女にそういうと、全然番組観てないようで真から思っているようだ。京都と大阪の仲違いは根深いようだ。また、ここに来るまでに長屋から機織りの音がしたことを告げびっくりした戸を言うとやはりあれは西陣織の作業所らしい。
「もうあきまへん。西陣はなくなります。このあたりでもたくさんの作業所があったんですけど、全部なくなりました」
「それはみんな着物を着なくなったから」
「そうどす。西陣はなくなります」
あれだけいろんなところから音が聞こえていたのだからまだまだ技術の継承はできている気がするのだけど、京都の人はネガティブなことで相手に利害関係がない事ならば、かなり「はっきり」とモノを言うことがわかった。いろいろお話したが、省略。但し、これだけは記さなくてはならない。
「珍しいもん、教えまひょうか?天満宮の横に御土居というのがありましたやろ?あの堤は秀吉さんが、築いたもんやけど、洛中洛外を隔てるもんやから、それを築いだときに溝をさらう。この店の横にもそのあとがありますのや。その時にお地蔵さんが大量に出ましたのや。お地蔵さんは、流れた(死産)した赤ん坊をお祀りするもんやけど、いろんな事情で祀ることができへんようになると、人は洛外に持ってくるんや。だから、溝にたくさんのお地蔵さんが捨てられている。でも、出てきたもんは存外に扱うことができへん。それで、お地蔵さんを集団で祀っているところが、其処にある」
「ということは、その地蔵堂は、秀吉の時代からずっとこの地域の人たちが祀ってきたということですか?」
「そうや。地蔵祭りの時には、新たにお化粧をしている」
ひとつひとつの地蔵には、流れ、という歴史がある。その話だと、少なくとも室町時代からの地蔵ということになる。とんでもない「民衆がつくった遺物」である。
「見させてください」


これが喫茶店から10メートルほど西に寄った所にある地蔵堂だ。「延命地蔵大菩薩」と書いてある。地域が今でも大切に祀っている証拠に、可愛く化粧されている。「これだけ出たんやないんや。もっと出てるんや」と言って、少し北側の御土居保存の堤を見せてくれた。


これが秀吉御土居である。京都の洛中をこの御土居で囲んだ。いわゆる権力者の権力の表し方だろう。


その横に出てきた地蔵を保存している。これは堤保存整備の時に出土した地蔵だろうか。こうしてみると、地蔵の形は何百年もあまり変わらない。但し、2人並んで彫られている地蔵がわりと多い。昔は、それだけ死産だったり、幼児のうちに亡くなる子供が多かったということだろうか。


御土居の前に、大阪でも見た長屋形式の借家があった。関西では広くある形なのだろうか?岡山ではあまり見ない。




ずいぶんと雰囲気のある家。未だ一般家屋のようだが、江戸時代では娼家だったような雰囲気がある。




さて、北野天満宮の事務所で蜘蛛塚を聴くと、あっさり場所を教えてくれた。但し、5時を遠にすぎているので中に入れない。もっと面白いものを見させてもらったので、これで良し。生粋京都のおばあさん、ありがとうございました。


バスで河原町に行く。降りて、何故か方向感覚のいい私が何度も間違える。今回の旅はホテルの場所を勘違いしていたところから始まり、方向間違え放しだった。なんか物の怪のせいだろうか?何度か間違えて、やっと鴨川を渡る。向かいに南座が見える。


八坂神社辺り迄行って、フランス人のつくる京野菜料理店を目指すが、どうやら閉店しているようだ。新書に書かれていた住所でピンポイント検索したので間違いない。次の候補店は、川沿いの少し高級な店、これもなんと見つからなかった。閉店かどうかは不明。暗闇の中を1時間半歩いた。


鴨川沿いの高級割烹は、未だ納涼床は出ていない。妖しく美味しそうに食べている。足が棒のようで、しかも腹が猛烈に減っている。河原町に戻って、ある店に狙いをつける。


京極町の京極スタンドである。昼も夜もやっていることは柏井さんが書いていた。今日を居酒屋で終わらすのは残念だったけど、此処も岡山にはない飲み屋だ。


えん豆卵とじ、赤ワイン。


スジ肉煮込み。おばんざいの定番である。安定的に美味い。


鰻ざく。これが、京都ならではの料理。おばんざいとして、こんなに気楽に鰻料理は、なかなか出てこない。柔らかい。癖はない。コクがあまりないのが物足りない。でも数百円で鰻が食べられるのは嬉しい。


ポテトサラダ、竹の子わかめ煮、白ワイン。締めて3660円。安い!


場所は新京極商店街。明治10年ごろには、芝居小屋、浄瑠璃、寄席などや飲食店が建ち並び、東京浅草、大阪千日前とともに日本三大盛り場として知られるようになったらしい。


再び鴨川を渡り市電で帰る。有名な鴨川沿いの等間隔で並ぶカップルの列。少し寒いのに御苦労さま。写真見て気がついたけど、ストリートシンガーもいるのね。

これまでの最高歩数。34147歩。






最終更新日  2019年05月07日 12時20分08秒
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2019年05月06日
テーマ:京都。(5500)
カテゴリ:旅の記録


堀川通りを渡り、さらにテクテクと歩く。称念寺、俗称猫寺に至る。浄土宗のお寺。1603年建立。三代目住職が愛猫家だったが、猫が貧窮しているのにもかかわらず呑気に姫に化けて舞を舞ったのに怒り追放する。その猫が報恩して寺が再興したらしい。


老松は、その愛猫を偲び、伏した猫の姿になぞらえているらしい。そのことから、いつしか猫寺と呼ばれるようになった。時が経ち過ぎたためか、全く猫に見えない。


千本通に至る。北上している時に、「指物師
  普賢」と名乗る暖簾を掲げたボロ屋を見る。「指物(さしもの)とは、板と板、板と棒、棒と棒を組み、指し合わせる仕事のことをいい、また一説に、「物指し」を用いて細工することもいわれる。京指物の源泉は、平安時代にさかのぼり、それ以前の奈良朝の宮廷および寺院においては、正倉院にみられるようなわが国独自ともいえる木工芸が、豊かな木材資源(有用50種以上)をもとに発達している。(京都伝統工芸協議会ホームページより)」検索すると、大谷普賢という指物師が此処に住んでいて、茶の道具などをつくり数々の賞を受賞しているらしい。


上品蓮台寺にたどり着く。此処に来たのは、蜘蛛塚があると柏井さんが書いていたからだ。寺の説明板には、そのことは書いていなくて、様々な国宝、重文ほかがあるらしい。


仕方ないので、境内の墓をひとつひとつ見て歩く。無い。全然わからない。説明板に書いていた、平安朝屈指の仏師・定朝の墓は見つかった。




『京都の路地裏』​を精読する。そうすると、欅の木の下にある、と書いていた。それを頼りにもう一回りすると、あった!無縁墓がずらりと並んでいる。


説明。


蜘蛛塚ではなかった。源頼光の塚になっていた。説明をよく見ると、頼光が退治した土蜘蛛の塚が此処にあったとなっているから、蜘蛛塚でいいのかもしれない。土蜘蛛とは、飛鳥でも、大和政権に対峙する勢力ではないか、と言われていた。よって、この蜘蛛も、その残党かもしれない。と、思いながらこの地域を見る。東に京都に少ない小山、船岡山がある。残党が潜むにはいいところかもしれない。


現代も、無縁墓は次々と増えているようだ。


千本通に戻って、三停留所ほどバスで南に行き、そこから千本釈迦堂を探す。いつしか長屋通りに紛れ込む。至るところから機を織る音が聞こえる。工場ではない。長屋の中である。細い路が何本も通る長屋町。一軒燃えたら、全てが灰塵に化すような町だ。此処は西陣、これは西陣織なのか。こんな手工業で作られているのか。


地図アプリに頼りすぎた。ずいぶん捜したが見つからない。この地蔵堂を釈迦堂と間違えた。大きく迂回する。


千本釈迦堂 大報恩寺。


(大報恩寺ホームページより)「大報恩寺にお参りすると、境内にある「おかめ塚」に因み、“縁結び” “夫婦円満” “子授け” にご利益があると言われています。「おかめ」は本堂建築で棟梁を務めた大工「長井飛騨守高次」の妻。高次が重要な柱の寸法を間違えて短く切り過ぎた際、枡組で補えば良いと助言して、窮地を救いながらも「専門家でもない女性の知恵で棟梁が大仕事を成し遂げたと言われては夫の恥」と上棟式を迎える前に自害した愛妻「おかめ」の物語が伝わる、全国のおかめ信仰の発祥となっています。」


疲れた。良い喫茶店があれば入ろうと思ったけど、適当なのがない。柏井さんおススメの蕎麦屋に入る。上七軒ふた葉。


ここの茶そばは絶品だと柏井さんはいうのである。
「すみません、茶そばというものを食べてみたくて」
「茶そばというのは、うちではお蕎麦のことをいうんです」
どうやらうどんと分ける名称らしい。
「あ、だとザルをください」


ザル700円。うどんと同じく、コシがない。出汁を楽しむものなんですよね。これが絶品という京都人の気持ちがわからない。






最終更新日  2019年05月06日 19時42分23秒
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2019年05月05日
テーマ:京都。(5500)
カテゴリ:旅の記録


歩いて行くと、昔ながらのお米屋さんがあった。


出雲路橋。鴨川を渡る。


柏井氏は「ここから見る比叡山から大文字山に至る東山がもっとも美しいプロポーションを見せる(​『おひとり京都の愉しみ』​)」という。何をもって「美しい」というのか、わからない。


天寧寺の額縁門


ここから観る比叡山が額縁のようだと言う。これは、つまり「京都の自画自賛」なのではないか。


西園寺という寺の寺号の額の方が、私には、思わぬ発見だった。なぜならば、この寺は鎌倉幕府太政大臣藤原公経の建てた寺であり、その時西園寺と名付けたのであるが、それ以来子孫の家名となり、西園寺家の北山山荘になったと言う。そして、この額の筆は、中江兆民の盟友であり、首相ともなった西園寺公望の筆らしい。明治25年というと、兆民が1年で帝国議会を辞め、北門新報で臥薪嘗胆を狙っている時期である。


御霊(ごりょう)神社にたどり着く。


堀には菖蒲?が満開。


ここは、もともと早良親王、菅原道真や吉備真備などの御霊を慰める神社なのだが、それに加えて、日本最大の内戦・応仁の乱発祥の地らしい。揮毫は応仁の乱東陣総大将細川勝元子孫・細川護煕元首相。


ここも、令和元年記念として、この豪華な神輿を担いで、54年ぶり復活の神幸祭をするらしい。


本殿の中。


遅い昼食。近くの淡海食堂にたどり着く。いやあ、ホントに地域の愛される食堂でした。


誰か画家の卵が描いたのか、淡海食堂の絵を掲げている。とても味わいのある絵だ。


メニューは、何年も値上げしていないのではないか。


柏井氏おススメのキツネカレーうどん(480円)を食べる。なるほど、京都のうどんは、お伊勢さんのうどんと同じコシが全くない。お伊勢さんと違うのは、こちらが少し細めというだけ。なぜコシがないのか?うどんは、出汁を味わうためのものだからだそうだ。そういう意味では、うどん出汁で作ったカレーはとても美味しい。けれども讃岐うどんを良く知っている私は、うどんにコシがあってもいいように思う。ともかく満足して出た。


やはり柏井さんおススメの店。御霊神社前まで戻り、水田玉雲堂に入る。疫病を鎮めるための御霊会(863年)の時に神前に供えられた菓子を、応仁の乱後の1477年この場所に店を構えてそのお菓子を復元したのが、唐板(からいた)というお菓子らしい。お菓子ひとつにも、ちょっと歴史の規模が違う。


1番小さい袋が650円と思ったよりも高かった(後で全部手焼きと知る)。少し迷ったけど買うことにする。「割れやすいから」と言って、ビニール袋を足してくれた。サイドポーチに押し込む。






最終更新日  2019年05月05日 10時15分52秒
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2019年05月04日
テーマ:京都。(5500)
カテゴリ:旅の記録
三館共通券、買ったからには行かなくてはならない。これが思った以上に面白いところだった。


鴨資料館 秀穂舎(しゅうすいしゃ)。元鴨社公文所の学問所画工司浅田家の旧宅。要は神社のための絵を描く人の家。けれども、神社という所は、一般人とは隔絶した生活をするのだということがよくわかる。一子相伝の職能集団だったらしい。約数百人の氏人がこの一帯に住んでいたらしい。


この日初めての観覧者ということで、1人だけど説明する人がいて詳しく説明してくれた。華表門。門が鳥居になっている。下鴨神社社家に多い門らしい。よく見ると、鳥居の上に鴨が乗っている。


門の裏側に、お客の随行者が待つスペースを設けていた。こんなの見たことない。お客様は全て、随行者を伴う前提で設計されている。タバコの火入れなどもある。


座ってみると、玄関が正面に見えて、主人が出た時に決して見逃さないようにできている。


井戸(御井)と水を入れる御壺(おつふ)と、その先は枝折戸(しおりど)と言って、この世と清浄界との端、結界になっているらしい。


中は写真撮影不可。武具を置いている部屋があった。文化人に相応しくないが、神社は度々動乱に巻き込まれるので必要とのこと。思いっきり古く「応仁の乱の頃ですか?」と聞くと「それよりもっと前です」と言われてしまった。また、側を流れている川で禊をするための場所なども作られていて、画工司にしてこうならば、もっと上の人はどうなるのかと思ってしまった。


糺の森は、原生林が残っているという話なのだが、ほぼ全てを管理しているように見えた。






糺の森や下鴨神社が世界文化遺産になるに当たって、環境保存調査のために一部発掘調査をして、平安時代後期の祭祀遺構を見つけたらしい。






いよいよ原生林ではなくなっている。


御手洗場は、舟形磐座石を使っているそうだ。御苦労なことだ。


去年の台風21号による被害の復興途中らしい。


さざれ石。神霊の宿る石らしんだけど、こんな風に俗化されたらなあ。




この連理の賢木はすごいと思う。詳しくは説明版を。


下鴨神社本殿前の舞台。


本殿前には、干支の社が祀られている。私は子年なので、その前で10円のお賽銭を投げた。


本殿前には、一般にある鈴がない。秀穂舎の人が言っていた。「下鴨神社本殿だけは無いのです。なぜならば、神様に来て頂いてお願いするところではないからです。神様に感謝する所なのです。五月の葵祭も、皇室使節がやってきて、一年の感謝するお祭りなんです」とのことです。


もう一つの資料館、大炊殿に向かう。浦の廻廊を回る。なかなか興味深い説明が書かれていた。


御井の説明板。


御井。


葵の庭の説明板。


フタバアオイ。


カリンの花。


水ごしらへ場の説明。


磐座の上にみんなお賽銭を投げているけど、なんだかなぁ。


大炊殿説明板。






大炊殿中。




大炊殿いろいろ。


七五三餅説明。


七五三餅。しかし、神社ってホントめんどくさい。


唐車説明板。




唐車。


御手洗川説明板。


橋と光琳の梅を見る。ここから、あそこまで抽象する絵画を作ること自体が精神構造がわからない。


ここのトイレは、最新のトイレのようなのだが、なぜかトイレットペーパーがなかった。何か嫌なことがあったようだ。しかし、普通知らないで入ってしまうでしょ。たまたま花粉症でペーパー持っていたから良かったけど。


下鴨神社を出た所に、加茂みたらし茶屋がある。ここが正真正銘みたらし団子発祥の店らしい。この周りには、みたらし団子の売る店が他に一軒もなかった。下鴨神社の御手洗池が発祥なのに、無いということは、この店に敬意を払っている証拠である。


これがみたらし団子420円。小ぶり。三つではなく、五つ。しかも一つは少し離れている。何故かは、以下の説明文。


ということらしい。甘すぎくなく、少し焦げ目があって、とても美味しかった。
一旦切ります。






最終更新日  2019年05月04日 12時01分37秒
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2019年05月03日
テーマ:京都。(5500)
カテゴリ:旅の記録
二日目、とても三回に収め切れませんでした。五回に分けて掲載します。
4月22日(月)晴れ 2日目


朝、寝坊した。行きたい所に行けなかった。私の人生っていつもこんな感じだ。朝食は一泊4000円とは思えないバイキング。


2泊するので、半分くらいしか乗せなかった。


深草駅に行く。龍谷大学正門。ずっと昔、ここに受験に来た。その時と雰囲気がまるきり違う。他にもう一つ京都の私立の受験をした。京都の左京区に、兄貴の下宿があった。今でもイマイチよくわからないのだけど、地下の鰻の寝床だった。玄関扉から地下に降りて、細い廊下の最初の扉を開けると、2人がやっと寝ていられるスペースがある。よって陽は入らない。そこを基地として、受験日と受験日の間の期間を利用して1週間、私は京都観光をした。中学修学旅行は奈良・京都だったが、日本史教科書に載っている京都はそれだけではないだろうと、確信を持っていたから昭文社のポケット地図を持って、行きたい寺は全て踏破するつもりだった。京都をなん分割かして、今日は銀閣寺周辺、今日は六波羅蜜寺周辺、今日は金閣寺周辺、今日は二条城周辺、今日は平等院周辺と歩いていった。行きと帰りだけバスに乗り、地図に載っている有名ラーメンを食べ、時には、同志社映画研究会に入っていた兄貴オススメの名画座「京一会館」などで一日中初めて若松孝二などのピンク映画を延々と観たりした。一本目こそ興奮したけど、三本目からは飽きてしまったのも覚えている。ものすごく、大人になった気がした。今思えば、ピンク映画なのに素晴らしいチョイスだったのだ。その後何回か京都を訪れ、行きそびれた所は補ってきたので、有名所の寺は大抵行ったはずだと思っている(実際はそうではないのではあるが)。この金のかからない旅が、私の生涯の旅スタイルになった。この時、京都の土地勘がついたので、その後歴史小説を読むときや、歴史書物を読む時にどれほど役に立ったかしれない。若い時に、京都を1ー2週間、東京を1ー2週間歩いて回ることは、その後の人生に必ず役に立つ。東京へは私はその後15年経たないと行くことができなかった。私立受験は、ひとつは落ち、龍谷大学は受かった。しかし、そのあと国立の山口大学に受かったので、さすがに兄弟共に私立大学に行くカネはないと、私は自覚していて山口に行った。大学に未練はなかったが、京都の文化には未練はあった。


電車で出町柳駅まで来る。糺の森に着く。




河合神社。見るつもりはなかったが、説明を見るととっても興味深い。鴨長明の人生挫折の神社だったのだ。


三井社。三井物産の社殿ではない。下鴨神社の分霊神社。ともかく、異様に屋根を綺麗に古く保存している。


河合神社では鏡絵馬と言って、美人の神社の霊剣新たかにあやかるためか、自分の化粧品で飾り立て奉納するらしい。


まあ様々な「化粧」があるものだと、実際の奉納を観て思う。


本殿。


任部社(とうべのやしろ)。祭神は八咫烏の命らしい。ということで、サッカー選手のサイン入りボールが奉納されていた。


鴨長明資料館があった。ほかの2つの資料館と三館共通券。博物館フェチとしては観なくては。中の鴨長明失意のうちに河合神社を去る事情については、冒頭のここを観てもらいたい。


彼のいた頃の下鴨神社古図。


江戸時代の鴨長明の絵。既に仙人のようになっている。うーむ、違うと思うけどなあ。


大福光寺本『方丈記』(複製本)。鴨長明直筆かどうかは不明らしい。ひらがながカタカナになっているところが特徴的。直筆だとしたら、ホントに貴重だ。


実際の方丈庵がある場所らしい。行きたいけど、実際は半日仕事になる。諦める。


実際の場所の写真。


外に方丈庵の復元があった。観たかったので、嬉しかった。


こういう生垣はあったと思う(少年の世話する者までいたのだから)。


夏は涼しく


冬はなんとか凌げそうだ。四畳半。私はそんなに酷い家とは思わないのだけど。


瀬木の小川。湧き水から出る水が糺の森を通って行く。今は枯れていた。


この川の石橋を渡り、河合神社に向かう、その間の馬場が、なんとラグビーワールドカップの第1蹴の地らしい。八咫烏神社は、蹴鞠の神様なので、ラグビーにとっても神様なのかもしれない。






最終更新日  2019年05月03日 18時18分56秒
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2019年04月30日
テーマ:京都。(5500)
カテゴリ:旅の記録


四時過ぎに京都駅に着く。京都駅を見ると、いつも私は「この屋根がガメラとギャオスの戦いで破壊されたんだな」と思う。




5条まで地下鉄で行くこともできたけど、つい旅心が出てきて歩いて向かった。もう十分歩いていたけど、ちょっときつい。歳だろうか(この時点でおそらく15000歩ぐらい)。京都は至る所にお地蔵様が祀られている。しかも、それがすこぶるお地蔵様ではない。何やらの神様なのである。この神さん。曰くありげな石の背後に薄古い仏画を飾る。。お供えは持ち帰ってください、と書いていた。


京都には突き当たりのある路地と、通り抜ける路地がある。確かに行くと迷宮に入る気がする。森見登美彦の世界ですね。


5条まで歩いてきたのは、「鐡輪の井戸」を見るためである。なかなか見つからず苦労する。普通の家の玄関のようにかすかに案内が書いていた。


ホントに普通の玄関の隣にあるのだ。入るのに憚れるが、ちゃんと観光客用の説明を書いているので、入っていいのである。



元は世阿弥が作った「鐡輪(かなわ)」という能作品。詳しくは、写真を。


ここの水を持ち帰らないように、断りを入れるところが、少しぞくりとする。



祭神を守るのは、やはり狐様のようだ。


絵馬が何やら不気味である。誰が奉納したんだろ。


誰かが忘れていった手袋。


そうは言っても、縁を切りたい人は多々いるわけで、ペットボトルの水を持ってきて、お供えして持って帰る人は絶えないらしい。恐ろしや、恐ろしや。


さて、そこからさらにテクテク歩いて行く。菅大臣神社。あの権力を笠にきている人のための神社ではない。菅原道真さんの神社だ。北野天満宮が有名ではあるが、こちらは生誕の地らしい。


飛梅の梅もちゃんとある。京都は、このように恨みを癒す施設が其処彼処にある。


この時期特有か、玄関には例外ない確率で、祇園祭の鉾の名前を挙げる飾りを掲げている。鉾への寄付の印なのだろうか。


京都の路地は、突き当たりと突き当たりではないものがある。これは突き当たり。


これは突き当たりではない。


京都の街は碁盤目状にできているが、時々辻子というZ字路やT字路もある。


むしろ人が行き交う場所になっている。


ここは膏薬辻子という。この説明にあるように、空也上人が平将門の首塚を供養するための神田神社を建てたことから、空也供養から膏薬辻子になったという説を書いている。空也から膏薬になったのは頷けると思うが、供養から辻子は頷けない。これは柏井壽『京都の路地裏』の「空也供養の厨子」が訛ったという説明がわかりやすい。厨子を建てて供養したわけだ。


これが神田明神。平将門さん、なかなか恐れられています。





最近新しく建て直ししている。


明倫小学校旧正門跡。明治の古い小学校跡ならば珍しくないが、明倫舎は、心学の石田梅岩の弟子・手島堵庵(1718-1786)が開いた心学講舎である。その頃からの門ということで、とっても貴重だ。


『おひとり京都の愉しみ』で、カジュアル和食のお一人夕食として勧められていた『まんざら亭NISHIKI』に入ってみる。


カウンターに座る。


以下の注文をする。


盛り合わせ5種 1500(牛スジ味噌煮込み、明太糸こんにゃく、茄子の揚げ煮、ポテトサラダ、菜の花のおひたし)
銀ダラ西京焼 1000
豚トロと9条ネギガーリック炒め  450
白ワイン フランス ソーヴィニョンブラン50%  600(マスドジャニー二、サビアンコムサ・ブラン)
赤ワイン シラー50% 600(サビアンコムサ)
会計6000円予想。


銀ダラは、ものすごく脂が乗っていた。私は生涯銀ダラといえば、この脂が乗っていることを思い出すだろう。



9条ネギのガーリック炒めは、普通の味なのだけど、9条ネギのしっかりした存在感だけが際立っていたと言っていいだろう。急遽赤ワインを頼んで良かったと思う。


盛り合わせ5種を頼んだ時に、ご希望は?と聞かれたので9条ネギは欲しいと言ったが、入っていなかった。それを指摘すると、どうやら伝達ミスがあったようだ。私は追加オーダーはいいよ、としたのだが、カウンターの向こうから「9条ネギと生麩のおから」をサービスで持ってきてくれた。追加で白ワインを頼む。細やかな気配りは、流石柏井壽さんおススメだけはある。


会計は、予想よりも下の5500円くらいだった。名刺の住所は、写真をみてください。
宿は朝食バイキングがあるのに、一泊4000円と超格安の「アーバンホテル京都」。ところが、私の勘違いしていたのが悪いのだけど、京都駅北かと思いきや、京都駅南のホテルでした。それでも綺麗な良いホテルです。
26630歩






最終更新日  2019年04月30日 09時25分48秒
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2019年04月29日
カテゴリ:旅の記録


平野区民センター。埋蔵文化財倉庫の名前が。ところが、受付で聴くと、あくまでも倉庫であり、職員は常駐していないらしい。


展示も非常に貧弱だった。それでも馬野繁蔵採取考古資料の展示は素晴らしかった。


瓜破式と言われた弥生前期の壺は、素晴らしい意匠を施していた。


蓋も素晴らしい。青谷上寺地遺跡の蓋と形が変わらないのは、何か意味があるのだろうか?


イイダコ漁の土器もあった。




スクレイバー。石斧。大型蛤刃石斧。くさび。磨製石剣。磨製石包丁。




石キリと石鏃。




加美遺跡は、大阪平野の重要な弥生遺跡である。河内潟を挟んで、大阪平野に弥生文化が急速に育っていった様子がよくわかる。


ここも、見事な方形周溝墓だ(弥生中期)。y1号墳丘墓。26×16×3m。親族全員が埋葬される(23人)。隔絶された首長という概念は未だない。しかし、銅の腕輪をしていた人は居た。


縄文時代、長原式土器の元になった土器の展示がされていた。刻み目のある粘土の紐を(突帯)を1ー2本貼り付けている。形は違う気がするが、韓国最古の土器、隆起文土器とは関係ないのだろうか?出土は2800年前。他の土器から籾痕のあるものもあったという。ほとんど弥生早期と言って良いのではないか?


疲れた。ランチを出戸駅近くのイオンのレストラン街(と思って入ると、レストランが2つしかなかった)で、チキングリルとビール大瓶一本を飲む。自分への「ご褒美」。


このレストランでは、未だに100円コインの星座御神籤が置いていた。大阪やなあ。


こういう昔ながらの長屋式家屋は、実は京都でも見ることになる。


出戸駅から駒川中野駅に移る。ここは「長原遺跡・瓜破北遺跡・桑津遺跡出土の弥生、古墳時代土器をはじめ、長原遺跡の地層の剥ぎ取り資料など、旧石器時代から室町時代までの平野の歴史を紹介する約150点を広いスペ-スに展示しています。また、平野区在住の大崎辰三氏が昭和10年に瓜破遺跡で採集した弥生土器や石器の写生をおさめた貴重なアルバムのほか、平野環濠都市の立体模型、民具や農具、地車、河内木綿など、平野を様々な角度から紹介しています。」と書いていて、次こそはと期待したのだが、平野区民センターとあまり変わらなかった。また、弥生遺跡跡を彷彿させる地形もよくわからない。もちろん、昔は河内潟の周りにムラは次々とできたのであり、だからこそ遺跡がこの辺りに集中しているのではある。しかし、びっくりするような発見を見つけることができなかった。悲しい。夕方いっぱいまで大阪巡りをするかと思ったが、案外早く(4時過ぎごろ)京都に着きそうだ。
























ざっと遺跡を紹介します。ホント疲れた。京都に行こう。なんと新快速に乗り換え20分でも着いた。






最終更新日  2019年04月29日 08時55分51秒
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