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再出発日記

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旅の記録

2020年10月20日
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カテゴリ:旅の記録

1か月以上前にたまたま見つけたサイトで予約したのだけど、高級ホテルに泊まってフランス料理コースを食べた。


フランス料理付き宿泊が約1/3になっただけでなくて、二つのクーポンが4000円分ついて、実質18900円が1000円ほどの負担になった。多分生涯で1番のお得旅だと思う。


突き出しみたいな感じで、セロリの「ブイヨン展ド・レギューム」要は野菜の煮詰め液。普通に美味しい。


赤白ワインセットを頼む。先ずは白ワイン(ブルゴーニュ・シャルドネ・ハイ・ジャド・ド・バッカス2016 グラス2000円相当)


白ワインが美味い。ほんのり甘み。ブルゴーニュのシャルドネ、やはりこうでないと。パンはさつまいもパンとフランスパン。アミューズは、豚足のコロッケと南蛮漬け。


鯛のタルタルと赤大根のサラダ仕立てと海老のムースのキャビア添えという大仰な料理。腹に入った気がしない。これぞフランス料理の真髄か。白ワインの甘みが際立つ。


フォアグラの濃厚なあぶらみ。白ワインでの飲むと辛味が強調されるけど、赤ワイン(ジェイコブ・スクリーク・ダブルバレルシラーズ・オーストリア グラス1600円相当)で飲むとタンニンとうまく調和した。白と合わすときは甘いワインを選んでくださいとのこと。猪豚のラヴィオリ包も美味しかった。


鯛のカダイフ包み。香草マスタードのソース。と帆立貝添え。しっかり食べさせてくれた。このぐるぐる巻きがカダイフ?香草仕立てと言われなければ気がつかないほどの繊細さ。フランス料理は、味がハッキリしない。日本料理みたい。


シラーって、しっかりタンニンがあるんだ。


りんごのシャーベット(お口直し)!


なぎ牛の網焼き。発芽マスタードのソース。美味しい牛は、こんなにも脂を中に入れているんだ!しっかりワインが受け止める。もう少し複雑なワインでもよかった。


チーズ盛り合わせ。右から白カビ、青カビ、ゴーダチーズ。白カビは初めてかも。甘い。


砂糖入れはこんなスプーンを使うんだ!


デザートはモンブランアマファソン(モンブラン自家製)。栗のアイスクリームとカシスのソース。
カシスって、少し酸味があるんだ。


ミアルディード(お茶菓子)。

良い経験をさせてもらった。







最終更新日  2020年10月20日 09時24分07秒
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2019年12月13日
カテゴリ:旅の記録

博物館フェチの私が、なかなかタイミングが合わずに見ることできていなかった倉敷市の代表的な博物館、倉敷市歴史民俗資料館をやっと観た。三好市にある広島県立歴史民俗資料館とは、展示内容は質量とも雲泥の差がある。けれども、観るべきところはあった。

(1)ともかく建物が素晴らしい。大正14年竣工の元倉敷幼稚園を解体復元して作ったもの。正面のいかにもモダンな佇まい。圧倒的なのは、美しい八弁花模様の天井を持つ遊戯室(展示室)である。こんなに広いのに、八角形にすることで、内部に支柱を使わずに幼児が伸び伸びと遊ぶことができた。現存するものでは全国唯一、幼児教育史上貴重な建物らしい。


(2)歴史民俗資料館というよりは、教育資料館として改名したらいいほど、それに特化していて、倉敷市の歴史展示や民俗資料はほとんどない。資料の8割くらいは、明治から昭和にかけての教科書を、倉敷市の各地域から集めて展示している。戦前のそれは、数があるからなのか、実物を手に取ってみることができる。





教科書展示の充実度は、今まで観たどの博物館よりも充実していた。






最終更新日  2019年12月13日 16時07分57秒
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2019年10月01日
カテゴリ:旅の記録
この後、三次もののけミュージアムに行く。予想以上にいい博物館だった。おすすめです。


三次は写真のように、中洲の中で発展した町であり、矢谷墳丘墓が山陰と吉備の結節点であったように、江の川に挟まれて、水交通、陸交通共に、交通の要所として発展した。


前は三次市歴史民俗資料館という名の辻村寿三郎人形館が大きな観光施設だったのだが、現在は完全にもののけミュージアムにとって変わっている。実際祝日ということもあって凄い人出だった。日本初の妖怪をテーマにした博物館。湯本豪一氏の妖怪コレクション5000点を一括寄贈を受けて作ったらしい。日本最大のコレクションで、ホントに見応えあった。
ほとんど写真に撮ってもいいというのが、ブロガーにはたまらない。
以下、写真を並べるだけで、下手な私の解説よりも雄弁だと思う。少しだけ、言葉を挟みます。







































































この部屋は「お絵描き妖怪ピープル」。なんと、妖怪の下絵に色を塗って登録すると、壁に自分の絵がふわふわ歩き出す。大人の私が見ても興奮する。子供が描いて動くのを見たら、一生忘れないと思う。これだけのためでも、子供を連れてくるべきだ。












































寄生獣がいた!






























以上、特別展「かわいい妖怪展」。





館を出た。三次を代表するという、比熊山。見事な円錐形のお盆を被せた形。明らかに神奈備山の形をしていて、弥生時代遺跡があってもおかしくはない。残念ながら、頂上には、中世の領主・三吉氏が天正19年(1591)に本拠を移した山城跡があるのみという。古代遺跡は、その時に破壊されたかもしれない。もののけミュージアムを呼び寄せた「稲生物怪録」で稲生武太夫が肝試しで登ったのが、比熊山であり、それがこの物語の始まりだったことを考えると、大きな意味を持つ山なのである。








三次の街中では、まだまだ明治・大正・昭和の建物が色濃く遺っている。




湯本コレクションが寄贈されたのは、ひとえにこの妖怪物語が、有名だったからだ。そういう意味では、貴重な碑だろう。


人形師が輩出する下地になったか、街の至る所に木場があった。しかし、此処は廃業していた。三次人形は気品ある土人形として有名。北の外れに窯を築いて焼かれた。江戸時代に評判をとったらしい。
高速を通って倉敷に帰った。約2時間で帰れた。また、来たい町である。






最終更新日  2019年10月01日 08時07分10秒
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2019年09月30日
カテゴリ:旅の記録


みよし風土記の丘のジオラマ。浄楽寺・七ツ塚古墳群を中心に整備されている。


方墳は計20


前方後円墳は計1


帆立貝型古墳は計3、そして円墳は計152確認されている。






外に出た。民俗資料も、少しある。これは江戸時代の農家の姿を留めている(17C中頃)らしい。旧真野家住宅。


古墳時代の竪穴式住居、平床式住居、高床式住居を復元。








七塚古墳群。山頂に延々と円墳が並ぶ様は、朝鮮半島伽耶の古墳群と瓜二つだ。あちらは、これより高く土を盛っているが、大袈裟という説もあるので、本当に瓜二つだったかもしれない。二つの国の遺跡の比較研究はどこまで進んでいるのだろう。私が研究者ならば、必ず一冊本をつくるテーマなのだが。






戸の丸山製鉄遺跡のたたら跡の復元があった。










資料館の中でも、復元実験の細かな解説があった。
江の川の砂鉄約20キロを使い、松の灰約60キロも使い、6時間かけて、鉄塊約4キロが出来たらしい。古墳時代から日本の製鉄が始まったとすれば、正にこれが日本の製鉄作業の正確に近い再現になる。詳細な図版と写真と復元現場で、これまでもなく、古代日本の製鉄作業がイメージできた。


この後、三次工業団地内にある矢谷古墳(古墳ではなくて、弥生時代の墓なので墳丘墓のはずなのだが、何故か石柱には古墳と書いている)を訪ねた。来て分かったが、一度来ている。あの時は、駅から貸し自転車で来たはずだ。ものすごく苦労したのを覚えている。15年以上前のはずだ。ブログに記録がないので。デジカメの第一世代で、すぐにバッテリーが切れた。一枚か2枚しか撮っていないはずだ。バシバシ写真を撮るぞ!


2013年に立てられた説明板。これが最新の研究成果か。特殊器台は10基発見。胎土は吉備のもの、と書かれている。墳丘は、尾根の高まりを利用して作られてはいる。全長18.5m、くびれ部より南側は6m、北側は12.5m、高さ1.2m、周囲は幅2mの周溝が巡っているらしい。ガラス玉が発見されたのは、2012年と最近だった。








三次平野を一望出来る、一等地に作られている。どのような「王」だったのか。






最終更新日  2019年09月30日 08時53分45秒
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2019年09月29日
カテゴリ:旅の記録
9月16日晴れ
ここからは、山大新聞会カテゴリーから離れて、旅(日本)になります。最初の数時間だけ山口(湯田温泉)に居て、あとはずっと三次のレポートになります。




朝の散歩。山頭火の碑があった。詳しくは写真を見てほしい。説明書で最後切れているのは、「この碑に彫られた句は山頭火の日記からとった自筆である」と書いていました。




さらに行くと交差点に普通のお地蔵さんがあるのですが、「辻の地蔵」ということで、とてもあらたかなお地蔵さんらしい。昔は結婚する度に、しっかり家庭が築かれるようにと祈りを込めて、結婚した家庭に運ばれていたらしい。


そう思って見ると、表情に深みがある。


戻って、山頭火碑の隣には、郷里の詩人中原中也詩碑があった。「童謡」がきざまれいる。この文字は自筆の原稿から採っている。


さて、そこから中国自動車道に乗る。行きとはまた違う道である。途中は工事中でめちゃくちゃ細く感じる一車線道路が延々続いたり怖かった。2時間ほど走って、広島の東北三次に着く。そこから、みよし風土記の丘に行く。近くのうどんやで遅い昼食を食べてリベンジに向かう。


この博物館は、、昔一度だけ行って十分に写真が撮れなかった(バッテリー切)ことがあり、博物館フェチとしてリベンジだ。広島県最大の考古学博物館で、「県立歴史民俗資料館」という名前になっている。考古学遺物の充実度を、その館の名称で測るのはNGである。国立、県立、市立も、資料館も博物館も、名前はその博物館の充実度を測る目安にはならない。どの博物館もそうだが、行ってみないとホントの価値はわからないのである。ここは行ってみたら、凄い「考古学博物館」だった。今日は常設展しかない。ラッキー。






入って直ぐの廊下展示は、新人学芸員(下江裕貴、松原萌)が博物館実習の一環で採取した土器などを見直したら、古墳の造成時期が1世紀近く遡る発見をすることができた、といういわば「研究発表」だった。




















内容は、かなり専門的ではあるが、それが結果的には新聞ネタにも成るわかりやすい結果になった。展示しやすい内容だ。この新人さん、いいスタートが切れた。






ここの展示は、説明書が大きくてわかりやすい文章で、とても好感が持てる。


ただ、年代観は炭素年代法を使っておらずに、なかなか大変そうだ。


黒川遺跡出土、袈裟襷文銅鐸(本物)が展示。広島県では、銅鐸は三ヶ所からしか見つかっていない。しかもこの銅鐸は、山中で偶然埋納銅鐸を見つけたものである。使い込まれた小さめの銅鐸で、本気で祭りを行い、本気で埋納した感じが出ていた。「埋納」とは何なのか?改めて思う。






この頃の広島県は、吉備、出雲、そして綾野綾羅木の影響下で3つに分かれていたらしい。右は三次矢原遺跡の脚付注口鉢形土器。三次は出雲の影響下だろうか。真ん中は福山御領遺跡の器台と壺、吉備の影響ありあり。左は安佐北区の寺田遺跡の壺型土器。
四隅突出型墳丘墓の1番古い型は、三次盆地から見つかっている。一部写真を載せる。


歳の神第3号墓。


歳の神第4号墓。




そこから出土する土器は「塩町式土器」と言われ、装飾性の高い土器だ。


そして、最後の最後に矢谷墳丘墓が現れる。大きさ、副葬品共に、この地域としては規格外である。四隅突出墓を二つ足したような形をしている。


何と「ローマのガラス玉」が出ている。


山陰系の土器。










そして、特殊器台が数多く並べられていた。明らかに「吉備から運んだもの」である。厚さが5ミリとは初めて知った。どうやって運んだのだろうか。昔から「大きな謎」である。しかも、向木見型らしい。西谷墳墓は立坂型だったので、それよりも20ー30年あとの墳墓ということになる。何故?




そのあと古墳時代の展示に移る。ここの博物館は、むしろこちらがメイン。ただし、私の関心は弥生時代までなので、なおざりに紹介します。


古墳時代の山間集落のジオラマ。よくできている。現在の三次工業団地(矢谷墳丘墓もある)のある遺跡を参考にしたらしい。






最終更新日  2019年09月29日 09時15分54秒
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2019年06月19日
テーマ:京都。(5299)
カテゴリ:旅の記録


電車を乗り継いで、京都国立博物館に来た。やっと平日に来ることができた。現在は新館が立っているので使われていないが、明治古都館である。明治28年建築。


この意匠。ものすごく安直な和洋折衷。


国立博物館は『国宝一遍上人絵伝と時宗の名宝』であった。お陰で、考古展示はなくなった。いつもこんな感じだ。
もちろん、一遍上人絵伝は全て見ることができる。途中でうとうとしていたのもあったが、思いもかけず、1時間40分もここにいた。六波羅蜜寺の空也上人像を40年ぶりに見たいと思っていたが、諦める。
感想は、美術品的に傑作では無い。人はあらゆる階層が出ていない。構図も単調。


テレビを見て気になっていた三十三間堂に行く。


中身はお見せ出来ないが、仏像の奉納という文化と、それに応える名人を含めた職人集団の存在、それを支える社会素晴らしいと思った。










少しお寺の周りを回る。


最後の晩餐は、柏井さんお勧めの店を探したのだが、結局時間的に間に合わない。駅前の「夜カフェ」に入る。


前菜。


メイン。


デザート。ワインも飲めて値段的にも満足できる晩餐だった。


というわけで京都旅、それなりに満足いく三日間だった。
22081歩






最終更新日  2019年06月19日 12時25分00秒
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2019年06月18日
テーマ:京都。(5299)
カテゴリ:旅の記録


なんとか、柏井さんのおススメのランチを食べようとして、思いついて伝説のタマゴサンドを作っている喫茶店に向かう。


すると、予約で既にいっぱいという。諦めて、マンガミュージアムに向かった。


旧小学校を改築したミュージアムだ。だから広い。二階にメイン展示の「マンガって何?」があった。




今まで見た中で、もっとも総合的に説明していた。外国に向けた展示にもなっていて、これだと総合的に日本のマンガを紹介できたと思う。


しかし、残念ながらガイドブックが一切無い。これではいけない。写真撮影もできないのに、この内容をどうやって外国に持ち帰るというのだ。絶対おかしい。1960年代の「夕焼け番長」最終巻があったので、見る。怪我をして、スポーツマンになるきっかけもなくし、去って行く。最後は夕焼けをバックにしていない。意外だった。


実際に作っているのを見せるコーナーなどがあった。


午後一時前になっていた。もう一度、タマゴサンドの喫茶店に行ってみる。なんと、今度は2時半まで満杯という張り紙があった。バカにしている。もう柏井さんの店には行かない。来る途中に見たおばんざい定食の店に寄る。日替わり定食。豚肉とキャベツの煮付けとおばんざい二品。750円。美味しかった。


なんと私が入って、五人ほど後で、ソールドアウトになってしまった。


おばんざいのうち、これは麩を使ったサラダだ。京都らしく、岡山ではまず出ない。


カウンターの前に、「京都めし」という情報マンガがあって、さぞかしここも出ているのかなと思って探してみるけど見つからなかった。




ところが、よく見ると鯖定食のコーナーの絵がここのお品書きにそっくり。後書きを見ると、店の名前をナイショにしていた。奥床しくも、「名店」なのである。流石、私。ちゃんとカンでこういう店を見つける。






最終更新日  2019年06月18日 15時51分26秒
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2019年06月17日
テーマ:京都。(5299)
カテゴリ:旅の記録
長くお休みしました。​京都の旅の続き​書きます。今までの一覧はカテゴリー旅の記録をご覧下さい。
4月23日(火)晴れ  3日目


朝、どこかの知らない偉いさんから「○日までに書け」と言われてその気になる夢を見た。どうやら旅日記が全然追いついていないことが影響しているらしい。疲れて毎夜直ぐに寝てしまうのだ。朝少し書く。朝食は、結局昨日のに少しボリュームを足した。今日は博物館巡り(昨日は月曜日なので、どこも閉まっていたから)なので、9時過ぎに出発だ。


京都駅に行ってコインロッカーに荷物を置いて、烏丸御池まで行って、国際漫画ミュージアムを見ようとしたら、10時開館という。まだ30分もある。




仕方ないので、京都文化博物館に行くと、ここも10時開館だった。ちょっと周りを回る。この辺りは、歴史的建造物が多い所らしい。


この町屋は明らかに普通の家だけど、とても良くできている。コープ京都の宅配がやってきた。対応している家人を見ると、おばあちゃんだった。一人で家を守っているのだろうか。


この家はもう少し格式が下った町屋形式。


しかし、隣の路地は行き止まりのある、長屋の連なる路地だった。


お地蔵様が約束のようにある。その御顔がとても良かった。


老舗の京都お菓子屋。


柚味噌の店。


商品は1番小さいもので2000円以上。とても手が出ない。


文化博物館にやっと入る。旧日本銀行を使った施設。展示替えで、考古遺跡展示は無い。私の博物館巡りの目的は古代の見聞を広めることにあるのだが、滅多に上手くはいかない。いつもこんな感じだ。


京都の歴史をざっとなぞる、直ぐ忘れてしまう常設展示。ただし、特別展示で祇園祭が始まるまで、函谷鉾の名宝展をしていた。前掛けは、ペルシャから取り寄せた「イサクに水を供するリベカ」の絨毯らしい。これを1839年に復活した時に掲げたというのだからすごい。しかも現役で活躍している。雨の時はどうするのか?それが1番気になった。こっそり撮ったのでナイショでお願いします。


三階は映画名画をしていて、今日は「喜びも悲しみも幾年月」をするらしい。生ポスターがあった。




また、羅生門のアカデミー外国語映画賞とベネチア映画賞を取った時の像のレプリカがあった。撮っていたら、これも撮影不可という。これもナイショでお願いします。(こんなモノまで撮影不可の意味がわからない)


文化博物館の通りは、古い建物が多く残っているそうです、明らかな明治風。現役のみずほ銀行。


立椿ビルディング。大正9年建築。和洋混成らしい。






最終更新日  2019年06月17日 10時22分10秒
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2019年05月07日
テーマ:京都。(5299)
カテゴリ:旅の記録


「鐡輪の井戸」もそうだったが、京都には、戸を開けるとそこは玄関ではなく、多くの長屋?の潜戸である場合が多々ある。何か異次元に向かう戸のように感じる。


北野天満宮に至る。天満宮に用があるわけではなくて、もう一つの蜘蛛塚が、此処の伴氏社の奥にあると聞いたからである。ところが、一通り探したがない。


北の門を出るとカフェ「オリーブ キタノ」があった。疲れていたので入る。完全町屋(宿屋)を改築したお店を女将が1人で運営していた。お客が来ないようで、私とのおしゃべりを40分ぐらいした。そこでいくつか情報を得る。
どの流れからそうなったのかは、忘れたが女将は
「大阪はいけすきまへん。神戸は好きどすえ」
正に『アドまっち天国』通りの反応で、彼女にそういうと、全然番組観てないようで真から思っているようだ。京都と大阪の仲違いは根深いようだ。また、ここに来るまでに長屋から機織りの音がしたことを告げびっくりした戸を言うとやはりあれは西陣織の作業所らしい。
「もうあきまへん。西陣はなくなります。このあたりでもたくさんの作業所があったんですけど、全部なくなりました」
「それはみんな着物を着なくなったから」
「そうどす。西陣はなくなります」
あれだけいろんなところから音が聞こえていたのだからまだまだ技術の継承はできている気がするのだけど、京都の人はネガティブなことで相手に利害関係がない事ならば、かなり「はっきり」とモノを言うことがわかった。いろいろお話したが、省略。但し、これだけは記さなくてはならない。
「珍しいもん、教えまひょうか?天満宮の横に御土居というのがありましたやろ?あの堤は秀吉さんが、築いたもんやけど、洛中洛外を隔てるもんやから、それを築いだときに溝をさらう。この店の横にもそのあとがありますのや。その時にお地蔵さんが大量に出ましたのや。お地蔵さんは、流れた(死産)した赤ん坊をお祀りするもんやけど、いろんな事情で祀ることができへんようになると、人は洛外に持ってくるんや。だから、溝にたくさんのお地蔵さんが捨てられている。でも、出てきたもんは存外に扱うことができへん。それで、お地蔵さんを集団で祀っているところが、其処にある」
「ということは、その地蔵堂は、秀吉の時代からずっとこの地域の人たちが祀ってきたということですか?」
「そうや。地蔵祭りの時には、新たにお化粧をしている」
ひとつひとつの地蔵には、流れ、という歴史がある。その話だと、少なくとも室町時代からの地蔵ということになる。とんでもない「民衆がつくった遺物」である。
「見させてください」


これが喫茶店から10メートルほど西に寄った所にある地蔵堂だ。「延命地蔵大菩薩」と書いてある。地域が今でも大切に祀っている証拠に、可愛く化粧されている。「これだけ出たんやないんや。もっと出てるんや」と言って、少し北側の御土居保存の堤を見せてくれた。


これが秀吉御土居である。京都の洛中をこの御土居で囲んだ。いわゆる権力者の権力の表し方だろう。


その横に出てきた地蔵を保存している。これは堤保存整備の時に出土した地蔵だろうか。こうしてみると、地蔵の形は何百年もあまり変わらない。但し、2人並んで彫られている地蔵がわりと多い。昔は、それだけ死産だったり、幼児のうちに亡くなる子供が多かったということだろうか。


御土居の前に、大阪でも見た長屋形式の借家があった。関西では広くある形なのだろうか?岡山ではあまり見ない。




ずいぶんと雰囲気のある家。未だ一般家屋のようだが、江戸時代では娼家だったような雰囲気がある。




さて、北野天満宮の事務所で蜘蛛塚を聴くと、あっさり場所を教えてくれた。但し、5時を遠にすぎているので中に入れない。もっと面白いものを見させてもらったので、これで良し。生粋京都のおばあさん、ありがとうございました。


バスで河原町に行く。降りて、何故か方向感覚のいい私が何度も間違える。今回の旅はホテルの場所を勘違いしていたところから始まり、方向間違え放しだった。なんか物の怪のせいだろうか?何度か間違えて、やっと鴨川を渡る。向かいに南座が見える。


八坂神社辺り迄行って、フランス人のつくる京野菜料理店を目指すが、どうやら閉店しているようだ。新書に書かれていた住所でピンポイント検索したので間違いない。次の候補店は、川沿いの少し高級な店、これもなんと見つからなかった。閉店かどうかは不明。暗闇の中を1時間半歩いた。


鴨川沿いの高級割烹は、未だ納涼床は出ていない。妖しく美味しそうに食べている。足が棒のようで、しかも腹が猛烈に減っている。河原町に戻って、ある店に狙いをつける。


京極町の京極スタンドである。昼も夜もやっていることは柏井さんが書いていた。今日を居酒屋で終わらすのは残念だったけど、此処も岡山にはない飲み屋だ。


えん豆卵とじ、赤ワイン。


スジ肉煮込み。おばんざいの定番である。安定的に美味い。


鰻ざく。これが、京都ならではの料理。おばんざいとして、こんなに気楽に鰻料理は、なかなか出てこない。柔らかい。癖はない。コクがあまりないのが物足りない。でも数百円で鰻が食べられるのは嬉しい。


ポテトサラダ、竹の子わかめ煮、白ワイン。締めて3660円。安い!


場所は新京極商店街。明治10年ごろには、芝居小屋、浄瑠璃、寄席などや飲食店が建ち並び、東京浅草、大阪千日前とともに日本三大盛り場として知られるようになったらしい。


再び鴨川を渡り市電で帰る。有名な鴨川沿いの等間隔で並ぶカップルの列。少し寒いのに御苦労さま。写真見て気がついたけど、ストリートシンガーもいるのね。

これまでの最高歩数。34147歩。






最終更新日  2019年05月07日 12時20分08秒
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2019年05月06日
テーマ:京都。(5299)
カテゴリ:旅の記録


堀川通りを渡り、さらにテクテクと歩く。称念寺、俗称猫寺に至る。浄土宗のお寺。1603年建立。三代目住職が愛猫家だったが、猫が貧窮しているのにもかかわらず呑気に姫に化けて舞を舞ったのに怒り追放する。その猫が報恩して寺が再興したらしい。


老松は、その愛猫を偲び、伏した猫の姿になぞらえているらしい。そのことから、いつしか猫寺と呼ばれるようになった。時が経ち過ぎたためか、全く猫に見えない。


千本通に至る。北上している時に、「指物師
  普賢」と名乗る暖簾を掲げたボロ屋を見る。「指物(さしもの)とは、板と板、板と棒、棒と棒を組み、指し合わせる仕事のことをいい、また一説に、「物指し」を用いて細工することもいわれる。京指物の源泉は、平安時代にさかのぼり、それ以前の奈良朝の宮廷および寺院においては、正倉院にみられるようなわが国独自ともいえる木工芸が、豊かな木材資源(有用50種以上)をもとに発達している。(京都伝統工芸協議会ホームページより)」検索すると、大谷普賢という指物師が此処に住んでいて、茶の道具などをつくり数々の賞を受賞しているらしい。


上品蓮台寺にたどり着く。此処に来たのは、蜘蛛塚があると柏井さんが書いていたからだ。寺の説明板には、そのことは書いていなくて、様々な国宝、重文ほかがあるらしい。


仕方ないので、境内の墓をひとつひとつ見て歩く。無い。全然わからない。説明板に書いていた、平安朝屈指の仏師・定朝の墓は見つかった。




『京都の路地裏』​を精読する。そうすると、欅の木の下にある、と書いていた。それを頼りにもう一回りすると、あった!無縁墓がずらりと並んでいる。


説明。


蜘蛛塚ではなかった。源頼光の塚になっていた。説明をよく見ると、頼光が退治した土蜘蛛の塚が此処にあったとなっているから、蜘蛛塚でいいのかもしれない。土蜘蛛とは、飛鳥でも、大和政権に対峙する勢力ではないか、と言われていた。よって、この蜘蛛も、その残党かもしれない。と、思いながらこの地域を見る。東に京都に少ない小山、船岡山がある。残党が潜むにはいいところかもしれない。


現代も、無縁墓は次々と増えているようだ。


千本通に戻って、三停留所ほどバスで南に行き、そこから千本釈迦堂を探す。いつしか長屋通りに紛れ込む。至るところから機を織る音が聞こえる。工場ではない。長屋の中である。細い路が何本も通る長屋町。一軒燃えたら、全てが灰塵に化すような町だ。此処は西陣、これは西陣織なのか。こんな手工業で作られているのか。


地図アプリに頼りすぎた。ずいぶん捜したが見つからない。この地蔵堂を釈迦堂と間違えた。大きく迂回する。


千本釈迦堂 大報恩寺。


(大報恩寺ホームページより)「大報恩寺にお参りすると、境内にある「おかめ塚」に因み、“縁結び” “夫婦円満” “子授け” にご利益があると言われています。「おかめ」は本堂建築で棟梁を務めた大工「長井飛騨守高次」の妻。高次が重要な柱の寸法を間違えて短く切り過ぎた際、枡組で補えば良いと助言して、窮地を救いながらも「専門家でもない女性の知恵で棟梁が大仕事を成し遂げたと言われては夫の恥」と上棟式を迎える前に自害した愛妻「おかめ」の物語が伝わる、全国のおかめ信仰の発祥となっています。」


疲れた。良い喫茶店があれば入ろうと思ったけど、適当なのがない。柏井さんおススメの蕎麦屋に入る。上七軒ふた葉。


ここの茶そばは絶品だと柏井さんはいうのである。
「すみません、茶そばというものを食べてみたくて」
「茶そばというのは、うちではお蕎麦のことをいうんです」
どうやらうどんと分ける名称らしい。
「あ、だとザルをください」


ザル700円。うどんと同じく、コシがない。出汁を楽しむものなんですよね。これが絶品という京都人の気持ちがわからない。






最終更新日  2019年05月06日 19時42分23秒
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