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テーマ:古代のロマンを求めて(40)
カテゴリ:旅の記録
何もないことは知っていたけど、矢野遺跡の場所に行って見た。出雲ドームの隣らしい。 どうやら、現在のサッカー場がそのまま矢野遺跡のようだ。今回車で、ずっと出雲市内を走っているのだが、確かに王の都の「とびすムラ」から車で10分くらいかかるので遠いことは遠い(歩いて1時間?)。でも、一つの国としては充分目が届く範囲だと思う。矢野遺跡からは、多くの特殊器台が、しかも吉備の胎土のそれが出ていることになっている。図録を見ると、それらの土器は2ー3世紀と書いていた。3号墳180年から210年(3号墳の次々王ぐらいまで)ぐらいまでは続けていたという意味か? このあと、出雲歴史博物館の駐車場に停めて出雲大社に赴いた。宝物館を観るためだ。 ところが、ギリギリ閉まっていた。残念だ。博物館含めて、明日行くことにする。 ついでに、出雲大社に参ってみる。 御神籤は、吉凶は付いてない。まあまあ良い結果でした。旅も「よい」らしい。 ここを象徴する銅像。大国主尊。 近くの原山遺跡に行ってみる。荒神社の中に良好に残っていると聞いた。 この辺りは、弥生時代は内海の海岸部だった。よって、見事な砂地だ。ここに前期の配石墓や後期の石棺墓があったらしい。弥生の人たちが出雲に住み着いた遺跡として重要らしい。 この裏山に、こんなオブジェがあった。 よく見ると、藁で作った「龍」だ。どういう謂れがあるのか。 昔の海岸線を幻視する。 現在の海岸部より、10数メートル奥まった所に、屏風岩という遺跡がある。 国譲り神話の舞台らしい。この記述は少し違和感がある。 岩を裏側から見る。木が茂っている。確かに今にも崩れそうだ。大事にして欲しい。 奉納山に車で登る。頂上には神社があって、お社の後ろには、本社かもしれない木が祀られていた。岩といい、木といい、出雲は、他の地域よりも多くそういう聖なる場所がある。 何故来たか。国引き神話の写真を撮るためである。 それはこういう神話である。 私のカメラと技術では、こういう写真が限界らしい。薗の長浜が綺麗に見えて、遠く微かに三瓶山が見える。 確かに三瓶山は、ひときわ大きい。大山と同等の扱いもわかる気がする。 ざっと出雲市を外観。 遠く西谷墳墓群も見える気がする。 大社町の前の家は例外なく切妻造だ。この統一感はすごいと思う。 ここからの夕日は、日本遺産に選ばれているらしい。夕焼けにはまだだったけど、とりあえず撮ってみる。 ホテルに戻り、夕食に先ず出雲そば。石臼で挽いているらしい。 やはり割子そば。三段の丸い器にそばを盛り、薬味と出汁をかけて食べる。そば実を殻ごと挽いているので、色は濃く、味も濃い。 そのあと、何故か名古屋飯の居酒屋で、手羽先とビール。帰って、昨日のワインを飲みほした。 今日の出費。 荒神谷遺跡図録と観覧料 約2480# 歴史博物館図録4474 昼食1003 出雲そば780# 居酒屋「稲ちゃん」1188 夜食760# 珈琲・ジュース300# #は現金払い
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最終更新日
2018年06月18日 11時10分05秒
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