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テーマ:古代のロマンを求めて(40)
カテゴリ:旅の記録
松江の市街地を抜けて国道431号線を西進する。宍道湖が広がる。この写真を撮っていると、埋蔵文化財センターの看板を見つけた。普通のセンターは見学OKのはずだ。行ってみよう! やっぱりOKだった。ここは製鉄遺跡であるタタラ山第一遺跡製鉄炉の説明が充実しているのが一つ。地下構造を見事に解明していた。 おそらくこれは江戸時代のタタラ製法。しかし、弥生や奈良時代ではこれは無理だと思うのだけど。 古墳時代から平安時代にかけては、吉備とかが中心だったタタラ遺跡が、室町時代にかけて一挙に吉田地区等の斐伊川沿いに出来る図があった。私は西谷墳墓群の力の源は、製鉄の力かと思っていたが、違うと思い出した。やはり交易の力だったのだ。 センターのもう一つの目玉は、見つけたかった、そして西谷墳墓群の王の都だろうと言われるムラの1部、山持(ざんもち)遺跡である。しばらく、写真が続く。 さて、交流の証として各地域の土器が紹介されていて、吉備の土器もあった。しかし、特徴的なのは、特殊器台こそないけれども、全て祭祀用の大型器台なのである。しかも、おかしいのは、ちゃんとした吉備の模様もあったけど、 これらは、私は吉備では見たことがない。 また、これも随分雑な気がする。何故、吉備の祭祀が、青木遺跡ではなく、ここでも行われたのか?非常に疑問だ。 その他の展示をざっと紹介。 明日行く予定の堀部第一遺跡。 古浦砂丘遺跡。 西川津遺跡の石器。 どうやらそこで、分銅型土製品も出ていたらしい。この民間祭祀用具の伝播力は、ホントにすごいと思う。 山陰弥生土器の移り変わりを見せる。これは前期。 中期。 次の中期? 後期 古屋敷遺跡(太田市)の縄文時代晩期の木棺墓。中国地方で二例しかない珍しいものらしい。 縄文時代の配石墓(飯南町貝谷遺跡)。 いろいろ質問したかったが、する勇気がなかった。お礼を言って、センターを後にする。またひたすら宍道湖沿いを西進。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年06月17日 11時00分05秒
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