せっかくこのような表現の場があるので、思いつきのままに書いてみます。
ちなみに投資の話は全くしませんので、興味のない方は読み飛ばしてください。
私はスポーツが大好きです。自分でするのも好きですが、観るのはそれ以上に好きで、色々な競技をかなり幅広く観ている方だと思います(投資を始めてからはだいぶ減りましたが)。
そこで、自分の選ぶ名場面ベスト20を不定期連載で発表したいと思います。
なお、選考の基準は自分がいかに感動・興奮・歓喜・憤慨・落胆・驚愕etcしたか、すなわち、 「どれほど感情を揺さぶられたか」 の一点です。そのため、結果を知ってから観たものは基本的にランク外です。例えば、マラドーナの5人抜きなどはリアルタイムで観ていればおそらく入っていたでしょうが、ランク外となっています。また、完全に私の主観に基づいているので、世間の認識と大きく異なる点もあるかと思います。
では、早速始めたいと思います。
第20位 第71回箱根駅伝(1995年)
この大会は当時早稲田の3年生だった渡辺康之のための大会でした。渡辺は完全な天才型で、コーチをして「彼に教えることなんて何もない。ただ彼が力を発揮しやすいように環境を整えるだけです」と言わしめるほどでした。
発言も強気で、当時ライバルだった山梨学院大のマヤカについて、「マヤカもケニアに帰れば二流のランナー。自分の目標は世界のトップだから負けるわけにはいかない」と語ります。そして実際に箱根の大舞台で圧倒的な走りを見せ、前人未到の区間新記録を打ち立てます。私はこの有限実行型の天才ランナーに完全に魅せられていました。
卒業後、五輪の金メダルを目指しマラソンに転向しますが、怪我などもあり、全く精彩を欠きます。当初は大挙して押しかけたマスコミも1,2年後にはすっかりいなくなりました。それでも私は渡辺は必ず復活し、活躍してくれると頑なに信じ、本人でもないのに「今に見てろよ」とか思っていました(笑)私は一度心底凄いと思うと、その後どれほど落ちぶれてもとことん信じぬく傾向があるのです。
しかし、結局私よりも世間のほうが正しく、その後渡辺が多少なりとも活躍することは全くありませんでした。そして、99年に「数十年は破られない」と言われた箱根2区の区間記録があっさりと破られた時、私の中で一つの時代が終わったのでした。
第19位 99-00 UEFAチャンピオンズリーグ 1次リーグ アーセナルVSフィオレンティーナ(1999年)
フィオはこの前のシーズン、バティストゥータ・エジムンド・ルイコスタを擁し、その攻撃力でセリエAを席巻したのですが、このシーズンはエジムンドが退団し、低迷していました。この試合でもアーセナルに終始圧倒されますが、カメのようになりながら耐えしのぎ、奇跡的に0対0で終盤を迎えます。私は判官びいきでフィオを応援しており、もしかしたら0対0で終われるかもしれないと期待しはじめていました。
しかし、そんな私の貧弱な願望をバティストゥータが吹き飛ばします。ただ1回訪れたチャンスを生かし、衝撃の決勝ゴールを決めたのです。この試合フィオ唯一の枠内シュートでした。そもそも私の目にはこの場面はチャンスにすら見えませんでした。映像がないのが残念ですが、バティが卓越した個人能力のみで決めたのです。サッカーがゴール数を競うゲームであること、ストライカーの優劣が勝敗を決することを痛感させられ、今と変わらずFWに人材がいなかった日本代表の限界を感じずにはいられませんでした。
第18位 アテネ世界陸上 陸上女子10000m(1997年)
現在も活躍中の千葉真子が銅メダルに輝いた大会です。当時は世界大会のトラック種目で日本人がメダルを取るなど不可能と思われていた時代で、千葉の快挙は固定観念を打ち破る素晴らしいものでした。もっとも、今では10000mでのメダルは再び夢物語のレベルになってしまっていますが。
千葉のデビューは93年頃だったかと思いますが、そのスタイルは従来の概念を打ち破る衝撃的なものでした。とにかく、スタート直後から駆け引きなしでぶっ飛ばし、そのままペースダウンせずに圧勝してしまうのです。そしてレース直後もニコニコ。あまりの強さにドーピングでもしてるのではとすら思ったほどで、この選手が日本の歴史を変えてくれると期待せずにはいられませんでした。
なお、私の一度信じた選手を信じぬく法則はここでも発揮されており、今も千葉がマラソンで世界記録を塗り替えてくれるのではとかすかに期待しています。
少々疲れたので今日はこのへんで終わります。不評の声が多数届かない限り、また続きを書きたいと思います。