第11位 パリ世界陸上 陸上男子200m(2003年)
「陸上短距離では日本人は世界には通用しない」という限りなく真理に近いと思われた固定観念を「マッハ末次」こと末次慎吾が見事なまでに打ち破ってくれた大会です。世界大会での銅メダル獲得という結果も素晴らしいですが、私が衝撃を受けたのはその圧倒的な「速さ」です。「マッハ末次」という普段の私なら冷笑したくなるようなネーミングもこの時ばかりは全く違和感がありませんでした。
予選では前半だけで勝負を決め、最後は流して次のラウンドに余力を残すという外国のスター選手にはおなじみの光景を日本人選手が見せてくれたのもこの時だけです。カーブでぐんぐん加速し、他の選手を置き去りにしていく走りは美しさすら感じさせるものでした。
しかし、末次が輝いたのもこのときが最後で、以後タイムでも順位でも目立った結果を残していはいません。余談ですが98年のアジア大会の100mで伊東浩二がみせた走りも衝撃的でしたが、これも一度きりのものでした。やはり、短距離での衝撃的なパフォーマンスは天の時・地の利・心技体全てが揃った時のみに起こるほんの一瞬のきらめきにすぎないのかもしれません。
第10位 ウィンブルドン96 女子シングルス準決勝 シュティフィ・グラフVS伊達公子(1996年)
ウィンブルドンの歴史に残る名勝負であり、100年に一人の天才伊達公子が最もグランドスラムタイトルに近づいた大会でもあります。
当時の女子テニス界はグラフが無敵の強さを誇っていて、タイトル独占状態でした。特にウィンブルドンでは抜群に強く、88年から95年までの8年間で実に6回の優勝を飾っていました。フォアの強打とバックハンドスライスを武器とするグラフにとって芝のコートは相性が抜群だったのです。
一方フラットストロークの伊達とイレギュラーの多い芝の相性はいまひとつで、自身も「グランドスラムで勝てるとすれば全豪か全米」と語っていました。
しかし、この大会は絶好調で、自身初の準決勝まで勝ち上がってきました。また、この年のフェドカップではグラフ戦初勝利もあげており、私の期待も高まっていました。
前回の対戦で敗れていることもあってかグラフは最初から飛ばし、第1セットを簡単に先取します。しかし、第2セットに入ると伊達もペースを取り戻し、互角の展開となります。そして2-2で迎えた第5ゲーム、両者のベストショットがぶつかり合う真っ向勝負となります。どちらも譲らずデュースが繰り返される中、私は次第に伊達のバックがグラフのフォアを上回るのを感じていました。そして、実に9回にわたるデュースの末、ついに伊達がこのゲームを奪います。その後は伊達がグラフを完全に制圧し、結局6-2でこのセットを奪います。夕闇のセンターコートで、伊達のウィナーが次々と決まる様は幻想的な美しさをたたえていました。
この展開なら伊達の勝利は間違いなく、優勝も視野に入ってきたと思われましたが、審判はグラフの申し出を受け入れ日没サスペンデットを宣告し、第3セットは翌日に持ち越しとなってしまいました。
そして翌日日本時間夜7時、NHKがニュースの予定を変更して生中継する中、第3セットが行われましたが、再度猛スパートをかけるグラフがスロースターターの伊達を6-3で危なげなく押し切り、勝利します。結局グラフは決勝でも快勝し、7回目の優勝を果たしました。
あの時ボールが見にくいほど暗かったのか、もしも立場が逆だったら審判は申し出を受け入れたのか、今となっては分かりようもありません。また、もしも照明設備のある別の大会だったら・・・という思いもあります。
しかし、そういった運命的な要素があったればこその伝説の名勝負なのでしょう。そして、第3セットのグラフは技術・メンタルともに驚異的に強かった、これは紛れもない事実でした。