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まいかのあーだこーだ

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2008.06.28
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カテゴリ:政治
以前、リストカットについて書いたことがある。
2004年の12月なので、3年以上も前。

http://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/200401230000/

最近、ネットを見ていて気がついたんだけど、
この3年余りの間に、当時と変わってきたことが2つある。

◎リストカットのことを「瀉血」と呼ぶのが一般的になってる。
 もしかしたら、わたしの日記が発端なのか?

◎2006年の5月ぐらいに、
 鍼灸師による瀉血治療が「違法」との判決が出ていること。

なんとなく、
2004年のわたしの日記の内容にもかかわることだし、
べつにわたしに責任があるかどうかは分からないけど、
いちおう、今の時点でわたしなりに落とし前をつけておきたい、
と思っています。



2004年の日記を、わたしがなぜ書いたか、というと、
それは、わたしの中に、
「排血衝動には生理的な根拠がある」という感覚があったからです。
つまり、これは一概に「病気」と言えないところがある、と思うから。

実際、おなじ排血行為であるにもかかわらず、
現在のリストカットは「病気」であるとされ、
伝統的な瀉血行為は「医療」として行なわれてきた。

同じことが、別の範疇でくくられています。

これは、いわば観念の問題であり、また政治の問題でもあると思う。



まずは、鍼灸の瀉血についてですが、

2006年の裁判の内容は、正直よく分かりません。
どうも、
「刺絡鍼法は適法だが、瀉血療法は違法である」
というような理屈があるらしいんだけど、
そもそも「刺絡」と「瀉血」がどう違うかも、なにやら判然としない。

しかし、ここに感じられるのは、
西洋医学を中心とする日本の医療政治思想のなかに、
伝統的な医療に対して、
きわめて排他的な見方、そして不遇な扱いがある、ということ。
そもそも、これといった被害実態があるわけでもないのに、
なぜ継続的に行なわれていた治療が訴訟の憂き目に会うのか、
そこのところも、よく分からない。

いずれにせよ、その背景には、
「瀉血で治療するなど迷信である。野蛮で不潔である。」
といった観念が、
西洋医学を中心とする日本の医療思想の土台にいまも存在して、
それが暗然と司法にまで及んでいる実態が見てとれます。
患者側に多くの需要があり、かつ、なんら被害もないのに、
何故かそれは、なかば政治的に排除されてしまう、という情況がある。

反対に、西洋医学的な療法の場合、
かりに現実に被害の実態があったとしても、
しばしば法的に、また政治的に保護されてしまう情況さえある。

西洋医学はデータに基づいた科学であり、
伝統療法はただ経験医学にもとづくだけの非科学的な迷信にすぎない。
しばしばそのような見方もされると思う。

けれど、たとえば作用機序がはっきり分からないまま、
経験的に効果が認められるというだけで認可される医薬も少なくない。
使ってみてはじめて激しい副作用のあることが確認されるケースもある。
つまり、西洋医学的な療法であっても、
すべてが「科学的根拠」のもとに行なわれているわけではなく、
現実には、西洋医学もかなりの部分を「経験医学」に依拠してる。

そう考えると、
それこそ「科学的な根拠」もないままに、
伝統的な療法が政治的、観念的に排除されている実態は、
わたしたち国民の福祉にとって利益になっているのか訝しいと思える。



さて、リストカットのほうですが、

かりに排血衝動が生理的な根拠をもつものだとしたら、
その行為を「病的なもの」と決め付けること自体が誤りなわけです。
まして、それは、精神科や心理カウンセリングの対象にはならない。
けれど、現在の医療風土の中では、
「排血行為」は精神的に異常な行動だと看做されるし、
本人たちもそのように思い込んでしまう。
そしてそれは「自傷」の表現なのだ、と自他ともに解釈されていく。

これは、はっきり断言しておきたいことだけど、
「自傷行為」と「排血行為」は区別して考える必要がある。
しかし、社会や本人たちはおろか、医療の人間さえ、
これらを根拠なく混同しているのです。

もちろんリスカをする状況は「健全」ではないと思う。
何かしらバランスが崩れているのは間違いないと思います。
しかし、それがたんに精神科や心理カウンセリングの適応だとは、
科学的にいっても信用できない。



西洋医学的な医療を一概に悪者扱いすることもできないけれど、
医療そのものによって生み出される病気は少なくないですね。
薬害肝炎や薬害エイズはもちろんその一例だけれど、
リストカットもその一つかもしれない。
そして、
これは観念的なものであるだけに、よりいっそう根が深いかもしれない。

つまり、
伝統的な瀉血療法が「違法」とされるのと同じ思想風土のなかで、
リストカットもまた「ビョーキ」のレッテルを貼られているのではないか。
そう思えてなりません。

しかし、それはかつてならば、
ともに「医療」として行なわれていたかもしれないのです。

現在の、リスカをする少女たちは、
精神科や心理カウンセリングに送られる、という扱いを受けます。
彼女たちが精神科の治療や心理カウンセリングを受けたところで、
そのリスカが「治る」などという科学的な根拠はどこにもないにもかかわらず。
そして、結果的には、きわめて不衛生な状況で、
しかも、まったくの不見識な方法で、自分の腕を切り続けてしまう。
でもって、ついには腕が傷だらけになってしまう。

現在の医療観念によって「ビョーキ」の範疇に入れられる彼女たちは、
ある意味の西洋医学思想の「被害者」じゃないかと思えてなりません。













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最終更新日  2008.06.28 18:44:27


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