テーマ:政治について(19789)
カテゴリ:政治
頭山家と松任谷家について書き記した延江浩は、
その著書に『愛国とノーサイド』というタイトルをつけました。 「愛国」とは頭山家のことを指し、 「ノーサイド」とは松任谷家(というよりユーミン)のことを指します。 そのうえで、 両家の「愛国」はノーサイドだった=右でも左でもなかった、 というのです。 もしかすると、ユーミン本人も、 次回のオールナイトニッポンで似たようなことを言うかもしれない。 つまり、安倍晋三への共感とは、 政治的なものではなく、右や左とは関係なく、 ごく人間的で自然な感情にすぎないのだと。 しかし、ここには、 愛国心を普及させるのと同じレトリックが隠れています。 つまり、 愛国とは、右でも左でもない自然な感情なのだから、 政治思想の有無とは無関係に、 すべての国民が等しく有すべきものだ、とのレトリックです。 ◇ 生まれ故郷の文化や風土への愛情は、自然なものです。 だれだって自国文化や国土への愛着はもっています。 しかし、いつのまにか、 それが「国旗や国歌への愛情」とイコールにされ、 さらには「皇室や国体への愛情」とイコールにされ、 ついには「国策を支持する意思」ともイコールにされてしまう。 やがて、 国策を支持できない反抗的な人々に対して、 「お前には愛国心が無いのか!」との脅しが掛けられ、 憲兵にしょっぴかれてしまう。 まさに、現在の香港と同じ状況です。 日本で知識人が力を失った今、 「"愛国"こそが危険なレトリックなのだ」 ということを一般国民に理解させるのは、もはや困難です。 戦後75年がたって、 いよいよ日本人は、この危険性を完全に忘れてしまいました。 ふたたび軍事的なイシューが起こったとき、 おそらく多くの日本人は、この「愛国感情」に引きずられます。 ◇ ただでさえ、オリンピックが近づくにつれ、 「国を愛さなければスポーツもできない」という状況へ追い込まれています。 多くの芸能人が、この愛国キャンペーンに駆り出されています。 なぜ国を愛さなければスポーツさえ出来なくなってしまうのか。 しかし、そのことを不自由とさえ感じなくなるのです。 国を愛することと、スポーツをすることが、いつのまにかイコールになる。 これこそが、 石原慎太郎が仕組んだオリンピックという儀式だからです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.09.11 12:00:06
|
|