テーマ:今日聴いた音楽(73798)
カテゴリ:映画・アニメ・音楽
銀色夏生の「かなしいことり」は、
斉藤由貴の歌った名曲として知る人ぞ知る存在だったし、 銀色夏生のファンからも、 大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」に並ぶ、 彼女のつくった名作と認知されてはいましたが、 あくまでもアルバムのなかの1曲であって、 いわゆるシングルヒットではなかったので、 当時の歌番組でさかんに披露されたわけでもなく、 世間的な知名度はおのずから限られていました。 ◇ しかし、 今回、萌音がカバーしたことで、 この曲は、まさに名実ともにスタンダードになっていく。 リアルタイムの世代よりも、 むしろ若い世代に知られる曲として羽ばたくことになる。 萌音が《小鳥》にかんする曲を歌うのは、 大橋トリオの作った「Little Birds」に続いて二度目ですが、 彼女が選曲コメント動画で見せたパタパタ羽ばたくしぐさは、 この楽曲の新たな巣立ちを予言していたのかもしれません。 ◇ 数十年ものあいだ偏愛していた曲が、 こんなふうに飛び立っていく瞬間を目の当たりにするのは、 個人の人生の音楽体験のなかでも稀だろうし、 すくなくとも、わたし自身にとっては初めてのこと。 由貴ちゃんや、 銀色夏生や、武部聡志は、 そして、この曲の制作にかかわった人たち(長岡・市村)は、 未来にこんな幸福な運命が来るのを想像できていただろうか。 たとえプロの音楽家でも、 これほどまで劇的に「曲が育つ」ということを、 そうそう経験できるものではないだろうと思います。 ◇ 萌音の歌声についても、 清塚信也のピアノについても、 ちょっとまだ形容すべき言葉が見当たりません。 今回のカバーアルバムは、 2枚組の全21曲なのだけど、 最初に聴いてしまった「かなしいことり」があまりにも素晴らしすぎて、 なかなか先へ進めません。 先行公開された楽曲も、 軒並みクオリティが高かったので、 それが全部で21曲もあるのかと思うと、 容易に聴き流せなくて、ほとんど途方に暮れますね。 普通なら、カバーアルバムなんて、 さらっと聴いて「はい、なるほどね!」で終わるものだけど、 これほどの曲数でありながら、 こんな密度の濃いカバーアルバムになるとは想像もせず、 むしろオリジナル作品以上の重みさえ感じて驚いている。 ぜんぶ聴き終わるまでに、だいぶ時間がかかりそうです。 萌音の字は、なぜか由貴ちゃんの書く字によく似てる。 パタパタの予言。 7/2追記。 この曲の主人公が、 なぜ自分たちのことを「ことり」と呼ぶのか、 じつは、よく分かりません。 しかし、 武部聡志のオリジナルアレンジでも、 89年の『balance』の長谷川智樹のアレンジでも、 「朝の海辺」と「小鳥」の両方をサウンドで表現しています。 基本的には「朝の海辺」の映像を軸にしながら、 そこに、どこか小鳥っぽい要素を加えている感じです。 (由貴ちゃんの『poetic live』の冒頭には、小鳥たちの朝のさえずりが聞こえます) 2010年のコトリンゴのバージョンでは、 波がさざめく様子をピアノで描いていて、 今年の由貴ちゃんの『水響曲』のリアレンジでも、 ハープを使って海岸の印象を出しているので、 どちらかといえば《海》の印象のほうが強いかもしれません。 今回の萌音バージョンも、 やはり《すずしい夜明けの青い海辺》は見えてくるのですが、 同時に、清塚信也の右手のアドリブの遊びは、 実際の《小鳥のさえずり》を表現しているようです。 きらきら光る静かな海に立っているようでもあり、 じつは、すでに家に戻った主人公が、 明るい日差しの部屋で小鳥に話しかけながら、 朝の別れのシーンを寂しく回想してるようにも見える。 歌曲風に演奏してることもあって、 ちょっと室内っぽい印象が出てるのかもしれません。 そこらへんの聴き比べをすると面白い。 なお、この曲の歌詞については、 「二股の恋人の片方と別れた」と考える解釈Aと、 「親友に告コクられたけどフった」と考える解釈Bがありえますが、 由貴ちゃんは、おそらくAの解釈で歌っていました。 (だからこそ罪深い内容の歌詞として注目されてきました) そのことは萌音自身も理解しているはずだけど、 なんとなく今回の萌音の歌声を聴くと、 Bの解釈で歌ってるようにも聞こえます。 ▷ 斉藤由貴×銀色夏生「かなしいことり」について お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.07.02 12:24:14
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