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まいかのあーだこーだ

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2024.04.01
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苗代の桜や鬼の住まいする 刑務所を囲む桜の仄白き 幽谷のロッジの夜明け白き飛花 花月夜冒険譚に挿す栞 束の間を正気の母と花の道 さくらさくらむすめのたましいのいろ 濠の端の羽音走りて初桜 花曇昼夜の区別なき赤子 花月夜学童終わりのチャンバラ戦 我が運命夜櫻に問う生も死も 祖父逝きて今朝の櫻の寒き色 出郷の車窓を叩く飛花落花 青光りせり750ccに花吹雪 風吹かば花の色なる城下町 校庭に響くピアニカ春の雲 祖父逝きて今朝の櫻の寒き色
3月28日のプレバト俳句。
春光戦のお題は「桜」です。
決勝進出したのは梅沢、千賀、ジュニアの3人。
優勝は千賀でした。



森迫永依。
花月夜 学童終わりのチャンバラ戦
チャンバラの続く公園 花月夜
(添削後)
チャンバラの続く団地や 花月夜(添削後)

十分に佳作です。
9位の評価は低すぎる。添削する必要もない。

前回の「旗源平」の句も、
平家物語のような風情があったけど、
今回も歌舞伎に見立てたような面白さがある。

なお、先生は、
「花月夜」から「学童終わり」への展開を、
夜から夕方へ時間が逆行してる…と言いましたが、
それは間違った解釈というべきです。

中七の「学童」とは、
一般的に「学童保育」のことであって、
共働き・ひとり親家庭などの子だという示唆です。
そうでなければ、わざわざこの単語は使いません。
ふつうに「学校帰り」と書けばよいのだから。

放課後の学童保育が終わるのは18時以降だし、
家に帰っても留守番せざるをえない境遇だからこそ、
学童たちは月夜になってもまだ遊んでるのです。

作者がそれを説明しないせいもあるけれど、
先生をふくめ、誰一人その意図を汲み取れていない。

前回の「旗源平」の句もそうでしたが、
今回もまた不当な評価に貶められてしまった感じ。
ここまでくると、
視聴者はMBSへ苦言を呈してもいいのでは??

追記:
原句の「戦」の要不要について。
ここでのチャンバラは、見世物や演目でもないし、
無邪気なごっこ遊びというだけのものでもなく、
男の子のストレス発散の憂さ晴らし、
ちょっと乱暴なゲームとも読めますし、
貧困や寂しさにも負けない明るい逞しさとも読める。
そうした意味で、この「戦」の字の多義性というのがある。
下6の字余りではあるものの、
撥音「n」が二箇所入ってリズム上の字余り感は少ない。




森口瑤子。
束の間を正気の母と花の道


中七の「正気」でドキッとさせる。

下五の「花の道」は、
もちろん桜咲く並木道のことですが、
比喩的な意味の「花道」とも読めます。



的場浩司(予選句)
我が運命さだめ 夜櫻に問う生も死も
満開の夜櫻に問う生も死も
(添削後)
満開の夜櫻に我が生を問う(添削後)

内容が観念的で、
ベートーベン並みに暑苦しいですね。
しかも、その発想はわりに凡庸というべき。



的場浩司(Tver限定)
祖父逝きて今朝の櫻の寒き色


こっちを提出してれば決勝進出だった!!
…と先生絶賛の句。

時間と視覚と肌感覚と心情が、
無駄なく描写されていて、
たしかに非の打ちどころがありませんね。

因果関係のような叙述によって、
実景に心情をのせていく形式も的確です。




千原ジュニア(予選句)
刑務所を囲む桜の仄白き


終止形で「仄白し」と書くほうが、
客観写生の原則に適ってますが、

これを連体形で終わらせた形は、
「仄白きこと」という感嘆・詠嘆の省略にも見えるし、
たとえば「仄白き悲しさ」「仄白き優しさ」など、
作者の印象を言い含めるような効果も与えます。

通常なら避けるべき手法ですが、
この句にかんしては許容したくなります。



千原ジュニア(決勝句)
青光りせり 750ccななはんに花吹雪


バイクに花吹雪、という句材は凡庸です。
かりに評価すべき点があるとすれば、
それを「青光り」と描写したことの独自性だけ。

なお、
連体形で「青光りせる750cc」と書けば、
光ってるのはバイクだけですが、
いったん終止形で切って倒置法にしたことで、
場面全体が光ってるようにも見えるのですね。

しかし、
表現に多少の工夫を加えたところで、
やはり句材そのものが凡庸なのは否めない。



キスマイ千賀(予選句)
幽谷のロッジの夜明け 白き飛花
幽谷のロッジ 夜明けの飛花白し
(添削後)

そもそも「夜明けの幽谷」に霧のイメージがあるので、
下五の「白」の情報は重複にも思えるけど、

添削のようなカット割りと語順にすれば、
その「白さ」をさらに強調する効果が生まれますね。



キスマイ千賀(決勝句)
出郷の車窓を叩く飛花落花


車窓に桜吹雪という句材は凡庸なのだけど、
上五の「出郷」は経済効率の良い言葉だし、
中七の「叩く」の表現にも意外性がありました。

季語の「飛花落花」も、
漢字四字で動画的なイメージを与える熟語だけど、
そのわりに音数も少なくて効率的です。

車のスピードのせいもあるとはいえ、
バタバタするほどの桜吹雪だったのでしょうね。



梅沢富美男(予選句)
苗代なわしろの桜や 鬼の住まいする


下五の「住まいする」は、
韻文的な言い回しなのかもしれませんが、
悪くいえば、ムダに字数を埋めただけ。

かりに、
中八・下五で「苗代桜に鬼の棲む」と書けば、
(もしくは上五・中七で「鬼の棲む苗代桜」と書けば)

残りの5音分でもう一要素を加えられます。

これまでも梅沢は、
「日焼けを剥く子」「剪定の音」など、
わずか7音で書ける内容に17音も費やして、
剪定や鋏の音の霏々として
一心に日焼けの鱗はぐ子かな

みたいにスカスカな句を作ってるけど、
今回も12音あれば書ける内容なのです。

そもそも、下呂市の「苗代桜」は、
苗代に咲いてるからそう呼ばれるのではなく、
「苗代へ植える頃に咲く」ということが由来なので、
それを「苗代の桜」と書いたら意味が違ってきます。
固有名詞の「苗代桜」ではなく、
一般名詞の「苗代」に咲く桜としか読めなくなる。

まあ、それならそれで、
ひとつの幻想句としては成立しますが、
それを予選1位と高く評価するのはどうなんでしょうね。



梅沢富美男(決勝句)
風吹かば花の色なる城下町
夕風や 花の色なる城下町
(添削後)

句材そのものが凡庸なのですが、

たんなる取り合わせにするよりも、
「風が吹いたので花の色になった」
と因果っぽい書き方にするほうが幻想的なので、
添削句よりは原句のほうがいいかなと思う。



キスマイ横尾。
花月夜 冒険譚に挿す栞


下五の「挿す栞」だけを見ると、
挿さない栞があるんなら持ってこい!
…ってことになりますが、

たんに「冒険譚に栞」と書いただけでは、
A そこに読みかけの本がある
B いま本を閉じた
C これから本を開く

などの解釈が生まれてしまうので、
Bであると明示するためには動詞を省けない。

そのうえで、先生は、
「栞挿す」か「挿す栞」かの選択について、
先に「栞」を出したらネタバレになるので、
原句のように「挿す栞」と書くのが正解としました。

しかし、
それは「季語よりも栞が主役」と言ってるのに近いし、
いつもの先生の説明とも違ってます。
いつもなら、
「動詞に軸足を置くか、名詞に軸足を置くか」
という観点で判断するのだから。

あらためて比べてみます。
A: 花月夜 冒険譚に挿す栞
B: 花月夜 冒険譚に栞挿す


Bのほうは動作に軸足があるので、
「読書を終えて花月夜へと視線を移す」
って感じになるし、そのぶん季語が立ちます。

Aのほうは「栞」に軸足が置かれるので、
そのぶん季語が脇役に回ってしまいかねない。

とはいえ、
全体としては「読みかけの冒険譚」の映像が残るので、
先生が「ファンタジーっぽい」と言ったように、
季語の「花月夜」と「冒険譚」のイメージが、
たがいに幻想的に響き合って重なる感じもあるのだけど、
その効果はAでもBでも変わりありません。

なので、
「栞を主役にしすぎずに季語を立てる」のなら、
動詞に軸足を置いたBのほうが正解だろうと思います。



犬山紙子。
さくらさくら むすめのたましいのいろ
さくらさくら 子のたましいのさくら色
(添削後)

原句は6+4+7=17の破調。

すべて平仮名で書いてますが、
子供の視点で書いてるわけじゃなく、
むしろ親の視点で書かれてるのよね。

前段の「さくらさくら」が娘の歌声なら、
そこにかんしては平仮名で書く必然性があるけど、
後段まで平仮名で書く必然性があるかは疑問。

しかしながら、実際に、
さくらさくら 娘の魂の色

と漢字で書いてみると…
なんだか「自分の娘」じゃなく「若い女」の句に見えるし、
鬼滅の禰豆子みたいな世界観に見えるかもw

かたや添削句のほうは、
字余りで6+7+5と調子を整え、
子供の「魂」とその「色」を平仮名で表記してます。
その意図は理解できるけれど、
なんとなく「亡き子の追悼句」のように読めるし、
やはり原句とは意味合いが違ってるように感じる。

ためしに6+8+5にして、
さくらさくら むすめのたましいさくらいろ

…としてみたのですが、
これまた「うら若き娘」の色香に見えてしまうかもw

ってことで、
いまいち解決策は見つからず、
結局、原句が最適解かもしれません。



フルポン村上。
花曇 昼夜ちゅうやの区別なき赤子こども
花ぐもり 夜を泣き昼を泣く赤子あかご
(添削後)

原句の「昼夜の区別なし」は説明的だし、
赤子が「泣いてる」のか「遊んでる」のか、
それも字面からは判然としないので、
その意味では添削句のほうが優れてます。

ただし、添削句は、
説明が描写へと訂正されたぶん、
描いた時間が「夜から昼まで」になり、
季語の「花曇」の時制までぼやけてしまう。

原句の場合は、
「昼夜の区別なし」ってのが描写ではなく、
赤子についての抽象的な説明だからこそ、
時制はあくまで「花曇」の日中なのですね。

…ってことで、
これもちょっと直しにくい内容ですが、

漢語の「区別」を使わずに説明を短くし、
赤子が「泣く」という情報を加えるなら、
花曇 昼夜ひるよるなしに泣く赤子

と出来ます。



中田喜子。
濠の端の羽音走りて初桜
濠の端を羽音走れり 初桜
(添削後)

NHK俳句の村上鞆彦の言葉を借りると、
4つの「ha」の押韻はクドいとも言えるし、
とくに「端」と「初桜」の語には、
押韻ありきみたいな作為性を感じる。

とはいえ、添削句のように、
適切な助詞や切れを用いて、
意味と構成を明確にすれば、
ただ言葉遊びに溺れたかのような作為性は、
だいぶ緩和されるかもしれません。



清水アナ(Twitter)
校庭に響くピアニカ 春の雲


よくいえば素朴なのですが、
あまりに内容が凡庸すぎました。

中七の「響く」も不要だし、
季語もだいぶつまらないけど…

なんとなく、この季語の選択は、
フォスターの「静かにねむれ」っぽいよね。



▽過去の記事はこちら
https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12




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最終更新日  2024.04.04 07:01:05
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