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まいかのあーだこーだ

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2024.05.03
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カテゴリ:ドラマレビュー!
…昨日の記事の続きです!

他人から卵子提供を受けて出産した場合、
「その子に愛情を注げるのか」って疑問はある。
でも、そこに確たる答えはないですよね。

そもそも我が子に対してさえ、
まともな愛情を注げない親はたくさんいるのだし。

逆に、
血縁のない養子を引き取って愛情を注ぐ人もいれば、
配偶者の連れ子にちゃんと愛情を注げる人もいます。
もちろん、子供との相性の問題もあると思う。

だから、一概には言えない。



たとえばレズビアンの女性が、
男性の配偶者の精子と、
女性の恋人の卵子を使って、
自分のお腹を痛めて出産したならば、

たとえ自分との血縁がなくても、
我が子のように愛情をもてるかもしれない…
なんてことを考えてみたりもします。

たぶん臓器提供の場合もそうでしょうが、
顔の見える知り合いからのものか、
顔の見えない他人からのものかによって、
感情のありかたは変わってくるかもしれません。

どちらがいいのかは分かりませんが。




もうひとつ考えるべきテーマとしては、
卵子や精子の「ドナー選別」の問題があります。
これは、ほかならぬ「遺伝子選別」ということ。

たとえばドイツの優生保護政策では、
民族浄化と称してユダヤ人が殺されたり、
日本でも身障者への不妊治療が強制されたりして、
あきらかな人権侵害があったのですが、

卵子や精子のドナー選別と同様に、
たとえば天皇のお妃選びにおいても、
ペットや競馬馬の品種改良においても、
実質的な遺伝子選別はおこなわれています。

そして現代における遺伝子選別の多くは、
企業や学校が優秀な人材を選別するのと同様に、
市場原理にもとづく経済行為としておこなわれる。

政策的におこなわれるにせよ、
経済行為としておこなわれるにせよ、
それらが差別的な人為であることに変わりはない。



けれど、逆に、
医療や福祉の充実した先進国では、
自然界で生きるのが困難だった弱い遺伝子も、
生き残る確率を高めてきた、という側面があります。

昔なら若くして亡くなったであろう、
病弱な子供や身障者であっても、
先進国でなら成人して子供が産めるようになってる。

それもまた、
自然選択に逆らった人為であるのに違いはないし、
技術的にはあらゆる遺伝子のバリエーションを残すのも、
可能になっていくのだろうと思います。



そう考えたときに、
自然選択に逆らった人為はどこまで許容されて、
遺伝子選別はどのようになされるのが正しいのか。

進化論的な自然選択と同じように、
自由経済の市場原理に任せるべきなのか。
それとも国家的な政策介入によって、
遺伝子選別のありかたに規制をかけるべきなのか。

それとも近視眼的な人間の判断を排除して、
いっそのことAIのマッチング技術を駆使し、
未来社会に適した人材養成と、
持続可能な人口調整をはかっていくべきなのか。

社会的な議論においては、
そこまでの判断が必要になってくると思います。






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最終更新日  2024.05.03 15:03:48


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