カテゴリ:鬼滅の刃と日本の歴史。
NHKプラスで「東北ココから~東北古墳調査最前線」を見ました。
東北地方のローカル番組ですが、 先日のNスペ「古代史ミステリー」を補完する内容。 とくに狗奴国にかかわる話だったように思う。 簡単にいうと、 東日本の《弥生系》勢力も《続縄文系》勢力も、 ヤマト王権の影響を受けていて、交易もしてた! …みたいな話です。 以下は、番組内容のメモ。 1.東日本の《弥生系》勢力 福島県の会津盆地では、 弥生時代から稲作がおこなわれていて、 そこは北陸と郡山盆地をむすぶ交通の要衝だった。 その証拠に、 木製の農具が出土した湯川村の桜町遺跡(3世紀ごろ)では、 在地の土器だけでなく、 北陸系の土器や北関東系の土器が出土してる。 … 会津盆地にある杵ガ森古墳は、 3世紀末~4世紀初ごろの初期の前方後円墳。 形は約6分の1スケールの「箸墓類型」で、 箸墓古墳の時代から半世紀の隔たりしかない。 やはり会津盆地の大塚山古墳は4世紀末の築造で、 ヤマト王権から授かった三角縁神獣鏡や、 ヤマト王権が朝鮮半島から輸入した鉄の製品が出土。 埋葬された豪族はヤマト王権と対等な関係だったらしい。 郡山盆地からすこし南下すると… 須賀川市の団子山前方後円墳(4世紀中頃)では、 2種類の円筒埴輪を交互に配置してる。 その様式は山梨や静岡の前方後円墳と同じ。 須賀川市の東にある小野町でも、 在地の首長を埋葬したらしき前方後円墳が発見された。 東海地方から東北南部の山間地にいたるまで、 ヤマト王権の影響を受けた文化が共有されてたってこと。 ただし、番組を見てても、 弥生人が東北南部まで進出したのか、 縄文人が稲作や古墳文化を取り入れたのかは分かりませんでした。 徐々に混血が進んだのかもしれません。 ◇ 2.東日本の《続縄文系》勢力 新潟市の角田浜妙光寺山古墳(4世紀前半)も、 やはりヤマト王権の様式であろう前方後円墳。 その近くの遺跡で出土したのは、 続縄文文化と古墳文化の特徴を合わせた折衷土器。 鉄や米を得るために海産物などと交易してた可能性がある。 さらに新潟市からすこし北上すると… 胎内市にある城の山古墳(4世紀前半)は、 楕円形の円墳ではあるものの、 副葬品の構成が近畿地方の古墳と同じだった。 中国製の盤龍鏡、翡翠の勾玉、鉄製の太刀、 高度なデザインの靫ゆき(=矢を入れる革製の筒)が出土。 ◇ 日本最北にある前方後円墳は、 岩手県奥州市にある角塚古墳。 5世紀末~6世紀初につくられてる。 近くにある中半入遺跡は、 その角塚古墳をつくった人々の住居跡で、 馬の歯が出土してるのだけど、 儀式として馬の生贄を埋めるのは大陸文化の影響っぽい。 なお、 魏志倭人伝には「馬無し」と記述されてるので、 日本へ大陸の馬が移入されたのは、 4世紀末~5世紀の「倭・高句麗戦争」以降のこと。 それから半世紀ほどのあいだに、 東北へも馬がもたらされて交易・運搬に利用された。 東北地方から中央へ輸送された産物は、 鎧のひもや馬具などに用いる大型動物の革など。 ◇ 6世紀中頃に仏教が伝わると、日本の古墳時代は終わります。
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最終更新日
2024.05.14 09:00:12
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