テーマ:ぶらり見て歩き(684)
カテゴリ:旅の重さ
大正時代から昭和初期にかけて我孫子は「北の鎌倉」と称されるほど、多くの著名な文化人が居を構えたり別荘を持っていたそうです。その中の一人に柔道創始者で、講道館を開き柔道の普及に努めた嘉納治五郎(→→→こちら)もいたそうです。
その跡地が天神山緑地として公園となっています。 嘉納治五郎別荘跡地の説明板がありました。 我孫子には明治44年(1911)に別荘と農園を構えたほか、杉村楚人冠(ジャーナリスト)や村川堅固(西洋古代史学者)らと手賀沼保勝会を結成して、環境保全運動と手賀沼を活かした町おこしに尽力したそうです。 生誕160年にあたる令和2年(2020)に市民団体の寄付により建立された銅像です。 こちらは東京都文京区にある講道館前にある嘉納治五郎の銅像です。同じ型から制作されたんでしょうかね。そっくりです。 このような書が我孫子に残されているんだとか。 「力必達(つとむればかならずたっす)」 「鏡為人以(ひとをもってかがみとなす)」 なるほど、生き方の参考になりますね。ロンドンオリンピックで日本男子史上初の金メダル0個という結果に終わった柔道男子日本代表監督だった篠原信一(→→→こちら)さんなんか、この言葉の意味を噛みしめて指導されていたんでしょうね。 別荘地からは手賀沼の景観が楽しめますが、 往時はこんな感じで手賀沼を眺められたのでしょうが、 今は、ちょっと周辺の木も大きくなって視界を遮っていて、ちょっと残念です。 もう少し、枝を落とすなどの手入れをして景観を楽しめるようにしてもらいたいです。 富士山なども見ることができたとそうですね。 嘉納治五郎別荘跡地の向かい側にあった青い南欧調の屋根の邸宅は「三樹荘」と呼ばれる思想家、美学者、宗教哲学者として知られる柳宗悦(→→→こちら)邸宅跡です。今は現在は歌人の村山祥峰氏邸となっていて公開はされていないそうです。 やっぱり、こんなお洒落な家は文化人と呼ばれるような人が住むもんですね。 嘉納治五郎別荘跡と三樹荘の間にある天神坂と呼ばれる坂道を下っていきます。 「三樹荘に 夢をつむぎし文人の 足跡しるす 天神の坂」と記された石版が坂の途中にありました。村山祥峰さんの歌なんでしょうね。 更にこちらの石板には、 天神坂の記と記されていました。 (自然と文学を感じる手賀沼散策コースです) 【つづく】 人気ブログランキングへ 常磐線沿線物語 我孫子編(その7) 嘉納治五郎の別荘もありました お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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