カテゴリ:旅の重さ
ここにも名越切通の説明板がありました。
この説明板には、名越切通について、日本語、中国語、英語、そして韓国語で説明されていました。国際的な観光地の鎌倉・逗子のことだけはありますね。 ![]() また山道をしばらく歩いていくと、 ![]() 名越切通の第三切通に差し掛かりました。 ![]() この切通を過ぎると道が二つに分かれていましたが、道標の示す大切岸の方へ向かいます。 この道を過ぎて歩いていると、きれいな和服姿で草履で歩いている女性に出会い、挨拶されましたが、ちょっと不思議な方でした。 ![]() 平成31年2月1日に建立された新しい名越切通と刻まれた石碑がありました。 ![]() そして、逗子市側の山の斜面に出ると、 ![]() ここからは、逗子の町並みが見えました。 ![]() 逗子市教育委員会が設置した「お猿畠の大切岸(おおきりぎし)(→→→こちら)」の説明板がありました。 ![]() この切り立ったた断崖が「お猿畠の大切岸」です。 長さ800m以上にわたって高さ3〜10mにもなる切り立った崖が尾根に沿って連続する遺構で、従来から、鎌倉幕府が三浦一族からの攻撃に備えるために、切通の整備と一体のものとして築いた、鎌倉時代前期の防衛遺構だと言われてきました。 ![]() しかし、平成14年度(2002年)に発掘調査したところ、大切岸は、板状の石を切り出す作業(=石切り)の結果、最終的に城壁のような形で掘り残されたもの、つまり石切り場の跡だということが確認されたそうです。 鎌倉では、ここに見られるような「鎌倉石」と呼ばれる凝灰質砂岩の大規模な切出しが行われて丘陵部における平坦地が造成され、同時に切出したこれらの岩を破砕して道路の舗装材に使用したり、切石にして建築物の基礎や側溝の護岸・井戸枠などの建材に使用したりしていたそうです。、 ![]() しかしながら、大切岸に防御的な目的は一切なかったと即断はしていないようで、「吾妻鏡」の記事に見られるように、鎌倉は敵の攻撃を防ぐのに適した地形=要害と認識されていることから、このように大々的な石切りを行なっても、鎌倉の街を取り囲む尾根を安易に掘り割ることはせず、あえて城壁のような崖を残したのかも知れませんね。 ![]() 註)下に添付しているGoogleの地図では、山道を歩くコースを表示できなかったため、大回りしたコースを歩いているように見えます。そのほか名越切通や大切岸へのコースも同様に実際に歩いたコースとは違うコースが表示されています。 (逗子市で歩いたコース) 【つづく】 ![]() 人気ブログランキング 逗子を歩く(その9) お猿畠の大切岸 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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